もうひとりの茜(管理者の宇宙船)
「アカネー。もうちょっと唐辛子の量を減らしてくれよ」
ついに俺も音をあげた。
「でも、あのホテルと同じ味という条件でお作りしてるんですよー?」
ここは銀龍のギャレー前にある食堂のテーブル。各自の好みに合わせて朝食のメニューを拵える茜。
ピンクのエプロンドレスを着たメイド姿が妙に似合うのは、正真正銘メイドとして生まれてきたガイノイドだからだろうか。
「いやあのね。こう毎日だと、うんざりなんだよねー」
「だからやめておけって言ってあげたのに」
横から口を挟む玲子の前には、あっさり風味のパスタとサラダ。瑞々しい緑の葉っぱが美味そう。
「オラもさっさとやめといてよかったダ」
と肩をすくめる田吾の前にはホコホコと湯気の昇る煮込み餡かけスープ。胃に優しげで、無性にそそられる。
「意地を張るからそういうドツボにはまりまんねん」
「はーい。社長さん。キレイに焼けましたぁ」
俺の右隣で旨そうな野菜スープに舌鼓を打つケチらハゲの席へ茜が添えた物は、カリッと香ばしく焼けたトーストにたっぷりのバターがとろけた物だった。
「だいたい。朝食だってえのに、何で俺だけ晩御飯風のおかずになってんの? やっぱ朝はトーストとスープだろ?」
「うるさいわね。あなたが、こんな美味いものは無い、毎日三食これでいいなんて豪語するからでしょ」
「確かにホテルの味と寸分違わないし、美味しいのは認めるよ。でもマジで三日間三食これだと、胃に穴が空くぜ、あぁ。社長。それ俺にくれないか? そうだ。このエビの激辛ソース煮込みと換えない? 絶品だぜ」
「さすがはアカネや。まったく同じ味を再現できるとは思ってもなかったんやけどな。なかでもエビの激辛ソース煮込みはパーフェクトやったな」
「ありがとうございまーす」
「せやけど、それも二日までや。交換する気はおまへんで、裕輔」
「頼むよ、社長。じゃあ、トースト半分だけでいいから」
「あかん。だいたいな。そんな辛いもんばっかり食うてたら、オイドの穴がただれ……」
「ゴホンゴホン」
食事中に語るセリフではない。玲子の咳払いに払拭された。
ちなみにオイドとは、お尻のことである。
「あなたも自分でまいた種なのよ。ウダウダ言ってないで早く頂きなさい!」
不快感も露わに、激しく拒絶の表情で俺を睨み付ける玲子だが、言い出したのはこのハゲオヤジだ。
矛先を変えないと総攻撃を喰らいそうなので──。
「それより、機長。銀龍はオートパイロットで飛んでるんだから、アタッチメントを手放せよ」
「ダメダメ、シロタマの制御装置なんか信用できないよ。こうやって監視していなきゃ不安で食事が喉を通らないさ」
通らない理由はほかにあると思うが、特製サラダとトーストを同時に頬張っていては説得力に欠ける。しかも食べながら姿勢制御の微調整をするパイロット。こんなナガラ運転でよく飛んでるな、銀龍は。
「ん?」
小さな重力の変化を感じてテーブルの上に目を転じた。グラスに注がれていた水が左肩を上にしてわずかに傾いだ。
「進行方向が変わったんちゃうか?」と言う社長の言葉に反応して機長が立ち上った。
「オートパイロットですから。何かを見つけたのかもしれません」
「何を?」と田吾が四角いメガネの奥で目を丸くした。
「問題点を見つけると自動的にそちらに向きを変えるそうです。シロタマがパイロットシステムに手を加えています」
「問題点?」と疑念の灯る目を振る社長。
「はい。我々の現状と話題から問題点を推論して、答えを得るポイントを導くとそこへ自動的に進路を変えるそうです」
「まーた。勝手にそんな機能を付け加えよって……だいたい現状と話題から推測した問題点はその都度変化するやろ。そんなもんをすべて推論して答えなんか出まっかいな」
社長は口を平たくして憤りを隠せない様子。そこへと船内通信が入り、パーサーからの声が渡った。
《社長。怪人エックスからの位置情報を受信しました》
本来なら彼が無線機にかじりつく必要は無いのだが、空腹が限界に達したと文句を垂れる田吾に代わって、気のいいパーサーが無線機の番人となっていた。
「ちょうどええ。進行方向を変えさせる理由ができましたデ」
ハゲオヤジはにへらとほくそ笑むと、無線機に応える。
「おおきに。ほら、田吾。おまはんの出番や。パーサーと朝食を交代せんかい」
「んがぁ。ちょっと待つダよ。まだスープが……」
「ほんまドンくさいな、おまはん。ホンマやったらパーサーが先に朝食やったんや。ほれ早よ食べ、すぐ飲め。三回噛んだらもうええ、飲み下しなはれ」
それだけ急き立てられたら、喉も通らないだろうに。気の毒な奴。
それでも何とかスープを飲み干すと、残ったトーストを口に咥えて、田吾は司令室へと駆けて行き、社長がその後を追った。
マンガ以外でトースト咥えて走る奴がこの世にいたとは、驚きの事実である。
しばらくして、パーサーが登場。
「田吾くんが代わって位置計算をしてますので……」
と語りながら、スマートに席に着くと、さっとナプキンを胸に引っかけ、軽く腕をまくる。
そこへ暖かそうなコンソメスープと、こんがり色のついたトーストを並べる茜。
「はいどうぞ。オニオンがシャキシャキのコンソメスープになっていまーす」
「やー、これは美味そうだ」
琥珀色の液体に静かにスプーンを下ろし、ほこほこと昇る湯気も一緒にかき混ぜた。
「じゃ。パーサー、ごゆっくり。オレは操縦席に戻るよ」
アタッチメントを持って席を立つ機長へ、パーサーは爽やかな破顔を向け、
「シロタマの探査システムがまた何か見つけたようだよ。今回も頑張ってくれ」
「どこでも飛んでやるさ」
「ふふ、頼んだぜ」
う──む。
どこか根本的に俺と田吾との会話とは異なっているな。
俺たちなら、
『ほら、田吾。早くしろ。先行ってんぜっ!』
『まってくんろ。まだ、ののかちゃんの下着を穿かせてないダよ』
『はぁー? お前、脱がして何やってんの?』
『いろいろダす』
『こ……この、ヘンタイ野郎め』
と、ま。こんなもんだろ。恥ずいよな、実際。
──で。朝陽みたいな清々しい笑みを浮かべるパーサーへと、揉み手擦り手で詰め寄る俺。
「あのさ。この旨そうなスープとそっちの薄味オニオンスープと替えっこしない? こっちはまだ一滴も飲んでないしさ」
パーサーはちらりと俺の手元を見遣り。
「遠慮しとくよ。その赤色は朝から胃に悪そうだし、このスープはコンソメ仕立てだから薄味じゃないんだ」
「こっちも美味いんだぜ。でもこう辛くっちゃさ」
「知ってるさ。サンクリオから帰った晩に出された時は、キミと一緒に絶賛したさ。これは完璧だとね」
「だろ。もう一杯いかがっす?」
「遠慮するよ。今朝はコンソメが所望なんだ」
所望……って。
左様ですか……。
俺の脇に茜が登場して腕を腰に当て仁王立ち。
「お残し厳禁れすよ。コマンダー」ピシリと言った。
「悪いけどさ、怪人エックスからの位置情報が入ったんだ、すぐに行かなきゃならなくてな。残りはお前にやるよ。じゃあな」
「あー。コマンダー、お残し厳禁れす! あ、あのね……」
何か叫んでいたが無視してギャレーを後にした。
社長の言うとおり、肛門のメンテが必要になるかもしれない。
司令室に入ると、首をかしげた優衣が待ち受けていた。
豊かに盛り上がった胸に流れる黒髪を手で押さえながら、田吾と向き合っている。
「イメチェンしたのかな?」と漏らすのは、超ロングだったヘアースタイルがいつもより短いのだ。けど、意外とそれもいい。
優衣は茜の進化版で、髪の毛の長さと色、質を自由に変更できる。たぶん玲子の指導でも入ったのだろう。そういう玲子もこのあいだから自慢のロングを少しカットしていた。
超ロングもいいし、栗色のボブもいい。それからこのセミロングも悪くない。つまり優衣の場合、何にでもよく似合う面立ちとスタイルをしている。茜もほぼ同じなのに違いが出るのは、優衣は未来で頭髪システムと時間渡航システムを組み込んだ時に筐体の整形も練り直されたらしく、茜よりほんの少し大人びたボディだという。だがそれだけではない気がするのは、茜の銀髪ショートというヘアースタイル。そして何といってもあの幼げな口調のせいだろ。
それから茜の衣服にメイドスタイルが追加されたのは、パーサーからのプレゼントだそうだ。田吾ではないのでそっちの趣味はなく、純粋にメイド服が似合うだろうと言うことで、サンクリオで食料を買い込んだついでに買ってやったらしいが、どうしてどうして、ファッションセンスはちゃんと的を射ており大好評である。
優衣は入ってきた俺に気付き、微笑を浮かべた後、傾けていた小首をもとに戻して田吾へ告げる。
「プロトタイプのEM波は検知内にはありませんよ……」
「じゃあ、何の位置情報ダすかな? ちゃんと5光年先を示してるダ」
二人とも真剣な思案顔なので、つい訊いた。
「どう言うことになったんだ?」と尋ねる俺に、
「怪人エックスの位置情報の場所にはドロイドの気配は無いんダ」とは田吾の主張で。
「しかもです。シロタマさんのオートパイロットシステムも同じ場所に向かおうとしてるんです」
「なるほど。ドロイドの気配はないが、位置情報と同じ場所に銀龍が行こうとしているわけか」
「なんや。進行方向が同じちゅうことでっか?」
途中でトイレにでも寄ったらしく遅れて部屋に入って来た社長が口を出した。
「しゃあない、食後の運動や。行ったら解るやろ」
悔し紛れにも似た言葉で渋々承諾すると、すばやく壁の船内通信のボタンを叩いた。
「機長。田吾の指示の場所まで飛びまっせ。実体化に備えてや」
優衣へは顎で示す。
「ほなハイパートランスポーターの操作はおまはんにまかせますワ」
「わかかりました」
香り立つ空気をたゆたわせて、第三格納庫へと優衣が立ち去った。
それはロボットにはあるまじき香りで……。
「あいつ何か付けてるのか?」
俺の鼻腔をくすぐって通ったのは、玲子と同じ香りだった。




