ザータナスの誓い
床の上に投げ出され息を飲んでいる俺の真ん前で戦いが始まった。
ぶんっ、と宙を薙いで、ドラム缶みたいな足がひと回りする。言葉で語れば回転横蹴りだが、それだけで言い表せない迫力あるものだった。
風が舞い空気をえぐる猛烈な回し蹴りが爆裂するものの、玲子は悠々とジャンプして部屋の隅へ逃げた。空振りに終わった艦長の強打は壁の大半をぶち壊してようやく止まった。
すんげぇぇぇぇ。
まるっきし、アレだ。パワーショベルさ。あれが唸りを上げてフル旋回して来たと思ってくれ。
巻き添えを喰らったらこっちの命まで危ぶまれる。俺は必死に転がって部屋の隅へ逃げた。
「ユイ、そのロープちょうだい」
蹴りでは効果が無いと悟った玲子は優衣から投げ渡されたロープを二束ほど握り、投げ縄よろしく空中で回転させ始めた。
「女をバカにするヤツをあたしは絶対に許さないの!」
そう『オンナのクセに』とか、『オンナだてらに』とか『オンナに何ができる』とか、小バカにした台詞は禁句なのだ。
「オンナ! そんな物でオレと命を賭けて戦う気なのか?」
唸り声みたいな低音の怒声を伴って対峙する艦長。だが玲子も落ち着いたものだ。体を低くしてロープを回転させている。
「そうよ。だからって、舐めてかかると泣くことになるわよ」
だよな。ナノチューブ入りのリボンでだって武器になったもんな。ザリオン製のロープも同じぐらい強度がありそうだ。
「オレはこの艦の長だ。この意味が解るか? ザリオンは最も強い者が船の総責任者となる。その立場の者と勝負するのだぞ!」
「あたしはね。舞黒屋の総責任者にだって楯突くことがあるわ!」
おーい。あんまり自慢になってねえぞ。
「もう一度訊く。オマエはザータナスの誓いを宣言して勝負に挑むのだな?」
ザータナス?
なんだそりゃ。ザリオン語か?
でも玲子は気にもせずに、
「真剣勝負ってこと? いいわね。受けて立つわ!」
そこへ部下が飛び込んで来て銃を突きつけた。
「艦長! 加勢しやすぜ!」
大ワニは剣呑な目付きでそいつの動きを制した。
「手を出すな。こいつはオンナだてらにザータナスの誓いを宣言したのだ」
「なっ! げ……ゲルダザッグ!」
部下は派手にオレンジの目を見開き、
「……ダッフ!」
意味不明の言葉をいくつか吐いて、素直に後ろへ引き下がった。
今ザリオン語で何が語られたのかは知らないが。胸のコミュニケーター(翻訳機)が解釈できなかったことだけは伝えておこう。
「あの玲子さん……」
優衣が何か言いかけたが、口ごもった。その表情を見る限り忠告めいたことを言おうとしているかに見えるが、二人とも声を交わすような余裕はない。
「ユイも手出し無用よ」
と言い返すや否や、
「ぐぉぉぉ!」
艦長がいきなり飛び掛かった。それをいとも容易くかわすと玲子は壁を蹴って宙を舞う。黒髪を翻して上段に構えたロープを振り切った。
甲高い風切り音が放出。それはまるで刃物だ。ロープが白く一閃を引いた。
直後──。
パンッ、という乾いた音がしてオレンジ色の液体が飛び散った。
「出たぁ。得意のカマイタチ現象だ」
こいつの得意技さ。細い物を凄絶な速度で振り下ろすことで、真空状態を作って相手を切り裂く瞬断現象さ。
鉄板みたいなワニの皮膚が裂け、派手に出血すると地響きを立てて膝を着いたが、それは一時だけで、ガバッと力強く立ち上がると玲子に一撃を喰らわそうと拳で突く。だがひょいと交わして玲子が背後に回った。拳はそのままでかい音を立てて壁にめり込んだ。
暴走するパワーショベルの復活だった。電柱より太い腕とドラム缶みたいな蹴りが縦横無尽に炸裂する動きをすべて玲子はかわしてく。
代わりに狭い倉庫が四方に崩れて大きな空間ができ上がった。何かが爆発したみたいにありとあらゆるものが吹き飛び、ぐんにゃりと変形。艦長の物凄まじいパワーを物語っている。
「ぐわわぉぉぉ!」
咆哮を放って両肩を怒らし、玲子を狙って拳を連打する艦長。その隙間を紙一重の振舞いですり抜けていく。無駄な動きはなく、ほんの少し首をねじるだけで顔面を狙って突かれた拳が側壁にめり込む。次の刹那には丸太の蹴りが横に薙いで通過するが、それは徒労に終わる。ゆらりと紫煙が漂うかのようにして玲子はすり抜ける。
「どこ行った! まるで風が抜けるようだ。まったく歯が立たん」
広がった瓦礫を見渡す艦長の一瞬のスキを狙って玲子がロープを振り下す。宙を切り裂く激烈な一閃が走り、間髪いれずに今度は逆方向から切り上げた。クロスする光のラインがまぶしく目に刺さる。
「す……すげぇ」
力技の艦長とは対照的に玲子の技は可憐で、俺の目には長刀で十字に切り刻んだとしか見えなかった。
「ぐぉっ!」
軍服の背中にクロスした切れ目が走り、盛り上がる背筋からオレンジの液体がほとばしったが息つく間も無い。ブーンという宙を裂く音がして、艦長の太い腕が玲子を狙って旋回した。彼女のしなやかな体は宙を舞い、天井まで飛び退くと、みたびロープが空中を切り裂く。
ドンッ!!
不気味に腹を震わす音がして、時を移さず閃光がほとばしり、空気がごおっと鳴り動いて何かが突き抜けた。不可視の揺らぎが艦長を呑み込み、あの巨体を突き圧して隔壁にぶち当てたのだ。以前ドロイドに囲まれた俺たちの退路を作ったあの不可解な空気の怒涛だった。
「どぁぁーっ」
宇宙船の分厚い鉄骨に叩きつけられた艦長は苦痛に顔を歪め、ドラみたいな重低音の怒声を唸らせて、背中からぶっ倒れた。
「ひぃぃぃ」
情けない声を漏らしたのは俺さ。だってよ。艦長が倒れたほんの数センチ横で丸まっていたんだ。こんなワニの下敷きになったら、押し潰されてしまうだろ。な?
艦長が動かなくなったのを確認してから、玲子と優衣が部屋の外に走り去り、茜もその後を追った。
「ば、バカ、アカネ! 俺を放って行くな。こら! 俺はコマンダーだぞ」
──悲しいことに、縛られたまま数分間、放置された。
俺にはこんな趣味はねえんだけど。それよかちょっと扱いが雑じゃね?
「ここに居たんですか、コマンダー。探したんですよー」って茜が舞い戻って来たときは、笑ったね。
「アカネー。お前のボケは天下一だねぇ」
「そうですかー。ありがとうございまぁす」
「バカヤロー! ウソに決まってんだろ。早く俺を助けろ!」
「だってあっちのほうが面白そうだったんですよ」
「お前、そんなことでコマンダーを雑に扱ってるとバチが当たるぞ」
「ばちって何ですかぁ?」
屈託のない表情で小首を傾けられたら、怒りも吹っ飛ぶというものだ。
解放された右手で銀髪を撫でつつ、
「ほら急げ、玲子たちを止めないとこの宇宙船が穴だらけになるぞ!」
茜を急き立てたが、刻遅し。
外から悲鳴と怒号、どったんばったんと派手な音と玲子の高笑いが渡ってきた。どうせ優衣も一緒になって暴れているのに違いない。
そして急激に静かになった。
「どうなったんだ?」
静寂に沈むと、それはそれで恐怖を誘うもので……。
耳を澄ませて扉の外に顔を出した瞬間、あり得ないほどの轟音が鳴り響き、通路がフラッシュ。眩しくて手で覆うっていたら、遅れて突風が吹き抜けて宇宙船が大きく揺れた。
「遅かったか……」
目前を走った強い光はハンドキャノンのエネルギーシードだ。粒子加速銃よりは小規模だと言っても、放出されるエネルギーはただの鉛の球やフェーザー銃なんてもんじゃない。
「やっちまったなー」
音のしたほうへ駆け寄る。
「あー。お月様ですよー」
茜は無邪気に感想を述べ、
「ぬぁぁ─────っ!」
俺は茫然とする。
船首から船尾までを定規で引いたみたいに、一直線に駆け抜けて行ったエネルギーシードは、ザリオンの宇宙船を貫通しており、最後尾に巨大な穴を空けて、輝く満月が見えた。これではただの洞穴状態だ。
金属箱からシロタマを取り出し、優衣がそれを掲げる。
「レイコさん。無事ですよ」
彼女の手のひらでタマ野郎がクルクル廻っていた。
それを見た瞬間、広がっていた玲子の黒髪が重々しく腰に向かってたゆんでいく。
「シロタマ」と小さくつぶやいて、手の上へ迎い入れる玲子。
人騒がせな銀白色の球体は「びっくりしたでしゅ」と漏らして、ほどけて波打つ玲子の黒髪の中に潜り込もうとした。
それを引き止めて尋ねる。
「タマよ。さっきの変身は見事だったぜ。どうやったんだ?」
「なんのことでしゅか?」
「金属ウニに変身したじゃねぇか」
黒髪に半分隠れたボディを一度引き抜きながら、
「ウニ? 何でしゅか?」
「あんなに尖ってたじゃねぇか。ピンピンだったぜ」
俺の問いに報告モードに切り替わった。
『流動性金属の扱い方がいまだに理解不能です。それと電磁シールド内の強力な電磁波のせいで記憶の一部がデバイスから消失しました』
「どの部分だ? 俺たちがここで捕まってたことが消えていたら都合いいんだけどな。社長に知られないし……」
『それは消えていません。メモリ破壊が起きたのは、現時から13分35秒765ミリセック前までの期間です』
「ちっ、ウニの部分だけか」
俺は舌打ちをして目を閉じた。
『ウニ……。棘皮動物。体壁にカルシューム性の骨格をもつ水管系の動物。生殖腺が食用になる種もあり……』
「もういいぜ、タマ」
くだらない報告を長々述べるシロタマの前で、茜が引き摺って来た艦長の意識が戻った。
「……う。うぅぅ」
まだ苦痛に顔を歪めていたが、あれだけの出血がもう止まっていた。
「オマエら何者なんだ?」
艦長は恨めしそうに玲子を仰ぎ見た。
「だから特殊危険課だって言ったでしょ。あたしたちを舐めて掛かるからこうなるのよ」
「いったい……。特殊危険課とは何なんだ?」
「宇宙でただ一つの存在なの。なにをしても咎められないグループよ」
何考えてんだこいつ。俺たちがやっていいのはネブラのプロトタイプを破壊することだけだ。
「これで全員でーす」
茜はゴミでもかき集めるように、気を失ったザリオン人を引き摺って来ては順に並べて置いていく。それは魚河岸に並ぶ巨大マグロか、岸に打ち寄せられた巨大ナマズのようだ。そして戦意を失ったものは部屋の隅に集められ、優衣がハンドキャノンを突きつけて睨みを込めていた。
両腕を腰に当てた玲子が全体を見渡し満足げになずき、それへと艦長が懇願する。
「オレは好きにしてくれていい。だが部下だけは助けてやってくれ」
この言葉で決着がついた。部下は全員覚悟を決め、目を閉じた。
この暴れ女豹は勝負に勝てばそれでいい、あるいは相手が改心さえすればそれで満足するんだ。物欲的には満たされているから、相手を倒して何かを奪い取るというような卑劣な行いは決してやらない。ま、典型的なお金持ちのやり方だな。
悄然とするワニ面に向かって玲子が明るい声で高々と宣告した。
「いいわ、許す。ただし、こんど宇宙のどこかであたしたちと会ったら、ちゃんと挨拶するのよ、わかった?」
ふんぞり返る玲子に艦長が問う。
「我がヴォルティ。名前を教えてくれないか?」
照明に視線を据え置き一拍空けた玲子。艦長に尖った視線を戻して言い捨てる。
「銀龍のレイコよ。覚えておきなさい!」
おいおい、お前は任侠者か……。
それより艦長が漏らしたヴォルティという言葉に異物感を覚えるが、ここはさっさと引き上げるべきだ。
「もういいだろ。さあ帰るぞ」
まだ暴れ足りなそうな玲子の肩に俺はそっと手を添え、玲子はそれに首肯して優衣から戻されたハンドキャノンを上着の内側へしまい込んだ。
「アカネ……帰るわよ」
長い黒髪を翻しアマゾネスたちが出口へ踏み出す寸前という、とてもいいタイミングで一人の男が船内へ走り込んで来た。
「旦那、無事ですかい?」
息を切らせて飛び込んで来たのはタクシーの運転手だった地球人だ。
「いやぁ、あのあとシューティングクラブで撃ち合いが起きたって聞いて、びっくりしてさぁ。戻ってみたら、あんたらがザリオン人に拉致されて、クルマに放り込まれるのを目撃しちゃって、心配でずっと外で見張ってたんですぜ」
言いようのない安堵感がこみ上げてきて、嬉しくて自然と笑みがこぼれる。
「そうかい。あんた良い人なんだな」
俺は地球人と肩を組むと出口へと歩んだ。
「あぁぁ。いい空気だぁ」
外に出ると清々しい夜の冷たい空気が頬を撫でて通り、それと一緒に多数のサイレン音が渡って来る。
「でね、ザリオンの宇宙船に連れ込まれてから、なかなか出てこないから……オレ……警察呼んじゃったんだ」
「え? それはまずいぜ。俺たちお忍びなんだよ」
地球人に向かって声を潜める。
「そうか、三人も美人を連れてるもんな。何かワケ有りなんすね。すまなかった」
申しわけ無さそうに頭を掻きつつ、運ちゃんは奇跡のヒーローを見るような表情を浮かべた。
「しかし旦那は腕っ節も相当強いんだな。あのザリオンを相手に口元をちょっと切っただけで、たいした怪我してねぇなんて……」
そう言われて手の甲で唇を拭ってみる。薄っすらと血が滲んでいた。
まさか玲子の太腿を見ていて蹴られました、などと言えないので、とりあえず笑ってごまかす。
地球人はクルマからペットボトルの水を出してきて、
「これで口を洗うといい」と、俺へと差し出した。
「あぁぁ。ありがたい。口と頭を洗いたかったんだ」
「だろうな。旦那ぁだいぶ、酒臭せぇですぜ」
「ふははは。浴びるほど飲んだからな」
受け取ったペットボトルを開け、頭から掛けて酒を洗い落とす。また茜たちに酔われると困るしな。
「助かったよ」
礼を言うと、地球人の肩に手を回して囁いた。
「な、警察が集まる前に、こっそりと俺たちをホテルまで乗せてってくれないか」
「いいぜ、乗ってくれよ、さぁ」
男はすぐにドアを全開にすると、俺たちが乗り込むのを待ってクルマをスタート。途中でたくさんのパトカーと数台の消防車とすれ違う。
振り返ると、十字型の宇宙船からモクモクと煙が上がっていた。
エネルギーシードが突き抜けた宇宙船はもう飛ぶことはできないだろう。
こんなことが社長にバレた日には……どうなんだろ俺。
「わぁ。色の違う『たくし』ですよー。おユイさーん」
お前らが暴れたから来たんだよ。アカネー。
やるせなさに脱力する俺だった。
ホテルまでの道すがら、タクの運ちゃんはとても気になる言葉を綴りだした。
「今日さ、このあたりを流してる最中にヤツラが駐機場に止めてある観光客の船に潜入するところを見たんだ。あれって何か盗みに入るところだったんすよ」
「ああ。連中の宇宙船には盗品がゴマンと積まれていたぜ」
「やっぱりな。通報して正解だな。今頃全員逮捕されてんだろな」
「いいことしたじゃないか」と言う俺に、
「それがさ。まだ続きがあるんすよ」と切り出し、
「旦那たちが拉致られていた時に、どうしたものかって、うろついていたらさ。駐機場に鏡面塗装の船が泊まってんだろ。鏡みたいに磨き上げられていてすんげぇ綺麗な船さ」
銀龍のことだが、俺たちの所在がばれるとまずいので、とりあえず黙ってうなずくだけに留める。玲子も後部座席で小さな咳払いを落とすだけだった。
「その船がどうしたんよ?」
「あぁ。それでね」
ハンドルを切りながら、運ちゃんは話の先を続けた。
「その船に忍び込もうとしたザリオン人がさ、船に触れた途端、痙攣してぶっ倒れる瞬間を目撃したんだ」
「どういうことだい?」
「ザリオン人に電気ショックは効かないって話、知ってるかい?」
「知らない」
「ウロコが絶縁物質になるんだってさ。でもそれを痺れさせたんだ。ありゃ相当進化したセキュリティなんだろな。それか鏡張りがザリオンを寄せ付けない何かかな? どんな仕組みかは知らないけどさ。上手く利用すれば連中に大きな顔をされることがなくなる。そうだ。縁起を担いでこのクルマも鏡面仕上げに全塗装しようかな」
玲子の黒髪でシロタマがごそりと動く小さな音を俺は聞き逃さなかった。
触れただけで痺れるような仕組みは銀龍には無い。タマが何かやらかしたんだ。留守のあいだに勝手に何かの実験をしていたんだと思う。なにしろ銀龍全体がワケの解らない装置の塊と化けはじめて久しいからな。
これを社長に報告するか、しないか……悩むところだ。きっとエライ迷惑な物を作ったに違いない。




