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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第三章》追 跡
114/297

  ザリオンの宇宙船  

  

  

「さっさと入りやがれ!」

 二人のザリオン人に拉致られ、俺と玲子は駐機場近くの空き地に着陸していた十字型の宇宙船へ乱暴に連れ込まれた。


 船内は照明が煌々と点いており眩しいぐらいなのだが、薄汚くゴミだか食べ物のカスだかが散乱していた。

 通路と天井が異様に高いのは、連中の体格からして当然だろう。だいたいのモノが銀龍の倍近いサイズだった。


「艦長にはオレが報告して来る。オマエはコイツらをギルドの倉庫に閉じ込めておけ」

 でかいほうのワニがそう言って、それより少し小柄のワニが首肯。

 小柄だと言ってもワニどうしを相対的に見比べた感想で、俺と並んで立ったら、背の低いほうでも頭二つ分は高いだろう。言っとくけど俺だって身長はあるほうだぜ。



 嫌な臭いのする部屋の中に半身を縛られて、まるで雑巾みたいに投げ入れられた。

 酔って寝入る茜と優衣も荷物のように扱われて、部屋の隅に無造作に放置するとワニ野郎は荒い仕草でドアを閉めて立ち去った。



 小汚い部屋がしんと静まる。

 優衣たち二人は完全に機能停止状態だった。茜は優衣から飛散するアルコールをも吸い込んでいるため動く気配がない。


 バイオクリーナを起動させるか?

 いやいや、それは考えものだ。

 あの子らの体から発散するアルコールがまだまだ大量なので、もう少し揮発するまで待ったほうが良い。かと言ってこのままじっとできないのも俺の性分だ。玲子も同じことだろうし、うなだれるより抵抗を試みるほうが先だ。


「痛ってぇぇな。もっと優しく扱えバカやろ!」

 外に向かって喚いてやった。


「うるせえぞ! ギルドのエサが!」

 向こうで張り(はりばん)でもしていたのか、いきなり爬虫類の顔が開いたドアから突き出て、落雷みたいな怒鳴り声を浴びせると、大きな音を立てて閉められた。



「ギルドって何だよ!」

 俺の声だけが響いた。


「あれじゃない」

 やけに冷静な玲子。薄暗闇に上半身をロープで縛られたその白い(あご)が、何かを示していた。

 俺も(ばく)され動きずらい半身を捻じってそれを見つけた。


「んげぇ……!」


 派手に拒否の表情を浮かべた俺の先、大きな(おり)がいくつか並んいて、中でごそごそ動く野獣が数匹。暗くてよく見えないが、イノシシを数倍凶暴にした牙の生えた四肢(よつあし)の動物だ。


「腹ぺこみたいな顔してるわ」

「お前、怖ぇことを平気で言うなぁ。俺はこいつらの餌なんかになりたくねえぞ」


「あなたが優衣たちを酔わすからこうなったのよ」


「なんだよ、まるで俺が悪いみたいな言い方だな」

「みたいじゃないわ。悪いのよ。あなたの失態ね。社長に報告して減給にしてもらうからね」


「こいつらがここまで極悪だとは思わなかったんだ。だいたいな。最初にお前があいつらにケンカを売るからいけないんだ。シューティングクラブをあんなむちゃくちゃにして、お前こそ減給の対象だぜ。俺が報告してやる」


「もう!」

 玲子は縛られたままブリッジで体を反らしていとも簡単に立ち上がると、太腿(ふともも)(あらわ)にドアをガンっと蹴飛ばした。

「バカ! ザリガニ!」

 ワニ……だ。


 縛られて自由が利かないくせに、それだけの動作を楽々とこなすとは体の柔らかい奴だ。それだけではなく薄暗いとはいえ、その格好、タイトミニで足を上げるもんだから、床に転がって見上げる光景はなかなか見ごたえのある景色だった。


 少しして外から会話が──。

(すげえ土産とは何だ? (かね)になるものを奪ってこないとヒエラルキーのアップは見込めねえぜ)

(だいじょうぶでさ、艦長。今回ばかりは裏切らねえ。保証する)


 一拍して扉が放たれ、眩しい光が差し込んだ。


「くっ」

 目に差し込む光が強くてよく見えない。


「これ見てくれ、艦長」

 光の中に黒くシルエットになった二人のザリオン人が立っていた。一人は声と会話からして、俺たちをここへ拉致した男。もうひとりは飛び抜けて体格のいい大男で頭がドアの最上部を越えており、腰を屈めてて部屋の中を覗き込むほどだ。


(片目だ──っ!)

 叫びかけて、必死で飲み込む。


 巨体を折って入ってきた男にはオレンジ色の眼球が一つしかなく、片方は潰れていて大きな傷跡があるだけ。

 他のザリオン人より圧倒的に大きな体格。異様な肩幅と頑強な骨格で拵えられた筋肉質の身体は逆三角形で、頭部を繋ぐ首が極太だ。


「ちょっとそこらでは手に入らないもんだぜ。艦長」

「おおげさなことを言うな」

 横から語りかける部下に首を捻るたその体躯(たいく)は、部屋が狭苦しくなるほどの圧迫感を覚えた。

(で……でけえ)



「おぉ。ガイノイドか」

 吼えるような声は聞いた中で最も低音で、最も腹に響く。それはバスドラムをバットで殴ったのと同じ圧力を伴い、空気が揺れた。


「ただのガイノイドじゃねえぜ。管理者製だ」

「ほぉぉ」

 声のトーンを二段ほど上げて、でかい体をぐいっと奥まで突っ込むが、屈めた肩が高い天井に当たりそうになるほどのとんでもない巨漢だ。


「この銀髪。この皮膚感。確かに管理者製だ。こりゃぁ良品じゃねえか」

「言っただろう?」

 大男はしゃがみ込み、寝息をたてる茜の頬を撫で回しながらオレンジの片目は優衣を見据えていた。


「この髪の長いガイノイド、こんなタイプはここらでは見たことねぇ。たぶん進化版だろ。見ろこの毛、一本一本まで本物そっくりだぜ」


 男は唸るように低い声を出し、次にスンスンと茜の銀髪を嗅いで隣の男に訊く。

「酒臭いな」

 続いて優衣の端正な面立ちにも鼻を近づけ、

「こっちも……」

 オレンジのガラス球みたいな目をギラリとさせた。


「アルコール吸引の例外処理が働いて機能停止している……。ということはアルコールフィルターがついてねえのか。ほぉ」

 またもやひどく感心し、

「となると管理者直下のガイノイドだ。あいつら酒を飲まねえからな。こりゃあ、最高級じゃねえか」

 俺にとって、屈辱的な言葉を吐くでかい野郎はしばらく優衣の髪の毛を摩っていたが、ぐいっと勢いよく立ち上がった。


「でかしたな。ヒエラルキーを一段上げてやる」

「ありがてぇ」


「他の仲間も色々奪って来たようだが、お前らが最も高値だ。今回の遠征では殊勲賞だな」


 タクシーの運ちゃんが言っていた極悪非道な連中だと言うのは本当で、これでは海賊だと言ってもいい。

 何とかここを抜け出して通報すれば、証拠もあるし警察も動けるはずだ。



「こっちのガイノイドは?」

 もう一度、こちらに向き直り、玲子へオレンジ色の目を転じた。

「少し毛色が違うが、こっちもなかなかのでき来じゃねえか」

「それが……アンドロイドか生命体かよく分らねえんだ」


 誰しも思うことは同じだな、俺もいまだによく解らんのだよ、玲子くん。



 艦長はギラギラした目玉を部下に戻し、

「どういう意味だ?」

「コイツ。オレの牙を銃弾で撃ちやがったんだ」

 そいつはでかい口を開けて、先っぽの無くなった牙を指で差した。


「ぐわはははははは。いつもより迫力がねえと思ったぜ」


 片目の巨大ワニが大笑いをし、そいつはさらに悔しげに言う。

「それだけじゃねえんだ、艦長。コイツはオレが発射した銃弾を撃ち落としやがったんだ。偶然じゃねえ。確かに狙いやがった」

 大男は笑い顔を反転。見開いた片目で玲子を睨み、ゴツゴツした口角をわずかに歪めた。


「なるほど。そりゃ人間じゃねえな」

「でも艦長。上物だぜ。すげぇやわらけぇ」

 部屋に入って来た部下が玲子の腕を摘まみつつ、裂けた口から赤い舌をちらつかせて興奮した声を出した。


「汚い手で触らないで!」

 肩を執拗に触り続けるワニの手を振り払い、

「あたしは人間よ。このザリガニっ!」

「ふざけるな! あんな銃の撃ち方ができる人間はいねぇ」


「ふんっ、何よあんなの。たまたま偶然に当たっただけじゃない」

 玲子は涼しい顔をして言い切るが、

「この肌といい、あの胸のすく銃の腕前、ぜってえ人間じゃねえ」


「失礼ね! あたしはレディなの!」

 レディは平気で銃をぶっ放さない。


 憤怒を前面に出して突っかかる玲子だが、でかいほうのワニは平然と、かつ、でかい声で吼えた。

「おい、誰か酒をもって来い!」

 体も大きいが音量もすごい。壁がビリビリ響いて鼓膜が破れそうだ。


「なによ、ご馳走してくれるの?」

 そんなことねえだろ、という俺の突っ込みは続く。


「ほら、飲め!」

 持って来られた酒瓶の先っぽでカタチのいい唇をこじ開けられ、強引に流し込まれた。


「ぶっ!」


 少量は飲んだようだが、すぐに噴水みたいに吐き出すと、

「ま、マズい。何これ、あなたたちこんなモノ飲んでるの!」


「ひでーこと言うな。これでも上物のブラッド(血)ワインだぜ」


「ふん。芳醇(ほうじゅん)さもへったくれもないわ。あーまずい」

 玲子はひとしきり文句を言い、ワニたちはしばらく、むー、とか唸りながら口を閉じて様子を窺っていた。


 俺が説明する必要は無いだろうが、底の抜けた酒樽女にひと口ぐらいの酒では変化は無い。


「コイツは管理者製じゃないな」

 ワニどもは無念そうに息を吐いた。


「そいつは酒樽ごと与えないと酔わないぜ」

 俺もまだ少し酔いが残るので、やたらと強気だ。


「ほう、それならオレたちと対等に飲めるな」

 その体格ならマジで言ってんだろうが、こっちだってマジで言ってんだ。


「そりゃそうと……」

 でかい身体を屈めて、艦長が俺の横にしゃがみ鼻先を近づける。


「この男はなぜこんなに酒臭いんだ?」

「自分から酒を被ってガイノイドを止めちまったんだ」

「コイツがか?」

「そうなんだ……おかしいだろ?」

「知能が低いのか?」


 二人の会話に玲子はほくそ笑み、今度は俺が憤然とする。

「うるせえ。お前らを助けるためにやった処置だ。ありがたく思え!」


 二人のワニは一度顔を見合わせてから、こっちに向き直ると、

「は──っ! オレたちを助けるだと? がははははは、天下のザリオンを助けるとほざきやがったぜ!」


「「どがっはははははははははは」」


 二人そろって派手に哄笑し、瞬後、マジ顔に戻した艦長は俺を睨め上げてこう言った。


「人の助けを乞うぐらいなら、死を選ぶのがザリオンだ! よーく頭に叩き込んでおけ!」


 どがっ、と強烈な蹴りを入れられて、俺は部屋の隅に吹っ飛ばされた。後頭部を後ろの檻にぶつけ、耳元で生臭い息を吐いた猛獣の唸り声が渡り、吃驚(びっくり)して飛び退いた。


「逃げることはねえだろ。オマエはそいつらの餌になるんだぜ」

「ほぉ。ちょうどよかったな。もう何日も餌を与えてなかったんだ。助かるぜ」

「お前ら、言葉を喋る生き物を無慈悲に扱って平気なのかよ」

「ぶはは、こっちのアンドロイドのネエチャンも喋るぜ、でも生きてるとは言わねぇ」


 だんだん腹が立ってきたぞ。

 まだ酒の臭いが残るが、もう我慢ができん。

「生きてるんだよ。その子らも!」

 声を張って叫ぶと、寝転んだまま首だけを優衣たちへ捻り、

「特別制御指令85、ベータ4456……」


「そいつを黙らせろ!!」

 片目の艦長が叫び、小柄のほうが力いっぱい俺の頭部を蹴り上げた。


「ぐはっ!」

 同時に目の前が暗くなった。玲子にもよく蹴っ飛ばされるが、あいつは加減してくれてんだと改めて感じた。本気でやられると意識が途切れる。


「裕輔!」

 玲子が飛びついてきたが、

「じゃまするな!」

 艦長は玲子を縛っている縄を鷲掴みにし、まるでクレーンで吊り上げるように俺から引き剥がすと部屋の隅に投げ捨てた。


「あうっ!」

 痛みを堪える玲子の向こうで、茜のシステムボイスがつぶやく。

『承認コードを先に述べてください』


 形のいい頭にクッと力が入り、寝顔がこちらへ動くのが、薄く開けた俺の視界に映った。

「承認コード、ゆうす……がはっ!」

「喋るとぶっ殺すぞ!」

 承認コードを伝える途中で腹を力いっぱい蹴られた。再び強い痛みが襲ってきて一気に力が抜けた。


「ぐぅ……」

 呼吸停止を余儀なくされる強烈な激痛に耐え、うずくまるあいだに時間切れとなった茜がわずかに声を漏らしたが、全身の力が抜けて、すぐに静かになった。それを確認して艦長が部下に命じる。


「その男。口になんか詰め込んでおけ、そいつがコマンダーだ」

 力任せに口を開けさせられ、そこへボロ雑巾みたいなものを押し込まれて、接着剤付きのテープで口を塞がれた。


(臭せぇぇぇぇ!)

 あまりの臭気で吐き気が込み上がる。もだえ苦しみ床を転げまわるが、口の中に突っ込まれたものは取れない。



「この女も気が強いが美人で、なかなかの上物だ。ザリオンの奴隷市で高く売れますぜ、艦長」

「そうだな。しかし綺麗な顔立ちだが、オマエらどこの星だ?」

 玲子の前にしゃがみ込み、シャベルのような大きな手で黒髪を一つまみ持ち上げたり、白い顎を摘まんで捻ったりした。


「汚い手で触らないで! カニ野郎!」

 玲子は嫌悪感を剥き出しにして激しく頭を振って抗うが、連中には何の効果も無い。片手で軽々と吊り上げられて、

「こりゃぁ活きがいい。こういうのは高値がつくんだぜ」

 下から覗き込まれた。



「それとこれを見てくれ艦長。この女、こんな物も持っていたんですぜ」

 強奪した金銀財宝を親分に差し出す山賊みたいに、玲子から奪い取ったハンドキャノンを艦長の前に恭しく置いた。


「ほぉ。粒子加速銃のタイニー版じゃねえか。これも高く売れるぜ」

 黒光りするハンドキャノンをマジマジと観察していた艦長が、玲子を正面から捉えて訊く。


「こんな物を持ち歩くとは、オマエらいったい何者なんだ?」

「あたしたちはアルトオーネから来たのよ」

「アルトオーネ? 知らねぇな」

「星間協議会にも入ってねぇんですぜ。チンケな星に決まってる」


「あんたたちも入ってないくせに、エラそうに言わないでよ」


「は──っ!」

 艦長が強烈な鼻息を玲子に吹っ掛けた。


「いいかオンナ。星間協議会なんざ管理者の野郎が弱い連中を集めて作った羊の集団だ」

 ドスの利いた声をぶっ放す艦長へ、部下も同調する。

「オレたちは狼だ。羊を襲うのが仕事なんだ。覚えておけ!」

 

(狼じゃねえ、お前らはワニだ、ワニ)

 何か言い返してやりたいが、口の中に硬く詰められたくっさい雑巾がジャマをする。


「進化版のガイノイドとお前ら同じ服装をしてやがるな。このチンケ野郎のダサい服も同じ色合いの服だが、それは制服なのか?」

「いいトコに気づいたわね」

 玲子は縛られていると言うのに、強気で言いのける。


「あたしたちは特殊危険課の者よ。あなたたちこそ覚悟してなさい、後で痛い目に遭わせてやるからね」


 艦長はでっかい鼻の穴を大きく広げて訊く。

「特殊危険課とは何だ?」

「この宇宙で何をしてもお咎めを受けないグループよ」

 まだ言ってるよー。


「それならオレらと同じじゃねえか。そんな奴がこの星域にまだいたとは……がははははは」

「もしもその子たちを売ったりしたら管理者が黙ってないわよ!」


 玲子は目を怒らし、艦長はいつまでも愉快そうに笑い飛ばす。

「がははははっ! オマエら何も知らないようだから教えてやろう。管理者直下のガイノイドはとんでもねえ高値で売れるんだ。なぜだか知ってっか?」

 オレンジの目玉がぎろりと動く。

「管理者製のアンドロイドは、誰も作れない高機能なパーツで満載なんだ。バラバラにして部品にすりゃあ。誰が誰だかわからなくなるし、部品だけでも相当な金額になるんだ」


「ひどいことを……」

 玲子の顔が怒りと不快に歪んだ。


「しかも有名なFシリーズと進化版となりゃ。まず手には入らない。礼を言うぜ」

 艦長は玲子から視線を外し、嘲笑いを浮かべたワニ顔を俺へとくれる。


「オマエがアルコール停止をしてくれたおかげで、それがやすやすと手に入った。だぁはははははは。ありがたい話だ」


 ぐわばぁ、と山がそびえるように立ち上がると、艦長は俺たちを顧みることなくドアを閉めた。




 またもや部屋の中が薄暗闇に戻り、俺は途方に暮れる。悔しくて涙が出そうだった。


「ほんとよ。どうしてあたしたちを止めたの?」

 優しげに問う玲子に、俺の憤懣も幾分緩むが、

(一般人が巻き込まれたら、えらいことになると思ってな。で気づいたらこのザマさ。ザリオンがこんなに極悪な連中だとは思いもしなかったんだ。笑いたかったら笑えよ)

 と言い返したいところだが、こっちはモガモガ、フガフガと玲子に言うだけだ。


「さぁて、どーしよっか」

 玲子は俺を責める気は無いようだ。笑った目をしてゴロリと床を転がった。

 辺りはしんっと静まり、数匹の獣が檻の中でゴソゴソ動く気配だけが部屋を浸透している。


「特別制御指令85、ベータ……」

 そこまで言って玲子は首をかしげた。

「ベータ、なんだっけ。と言うより、コマンダー以外には効き目ないんだよね?」

 風邪薬の効能みたいなことを言う玲子にうなずいてやる。

 こいつらは普段俺の命令なんか聞きゃあしないくせに、システムだけはコマンダーの命令しか受け付けないのだ。


(ふふふふ……)

 俺はやせ我慢のせせら笑いを一発かました。

 やっちまったことを悔やんでも仕方が無い。それよりも俺をここに置いて行ったのが失敗だったな、ザリオンくん。

 口の中に詰め込まれた物さえ取れれば、茜たちを再起動できるんだぜ。

 横で転がる玲子の綺麗なふくらはぎを足の先で突っついた。


「ん? なに?」

 体をよじって顔を向ける玲子。かなり苦しそうな体勢だ。俺も言葉に出せないが、モガモガ言いながらも鼻先辺りを視線で示す。


「その詰め物を取ればいいの?」

 と言うので、鼻からフガフガ音を鳴らしながら首肯する。


 玲子は芋虫のように横倒しになった体を旋回させて、後ろ手で縛られた指を俺の顔の前に移動させようとするが、向こうからはこっちが見えないためうまくいかない。


「ちょっ、これは難しいよ、裕輔。そっちから近づいてくれない?」

 目の前で細くて綺麗な指が艶めかしく動いている。俺の額を触ったり、目の中に指を突っ込まれそうになったりしていたら、べりっ、という音でテープが剥がされた。


 痛ぇぇぇぇ!


 痛みに耐えかねて体を反らしたおかげで、またもや玲子と大きく離れてしまった。


「もうちょっとだったのにー。動くな裕輔!」

 そんなに怒ったって仕方ないだろ。痛いものは痛い。お前が乱暴なだけだ。


 再び白い指が妖しく俺の顔をまさぐる。痛みを癒すご褒美のような心地のいい感触、そして。

「あがががが」

 バカヤロ、そこは鼻の穴だ!


「きゃー。やだ」

 慌てて俺の頭で指の先を拭きやがった。


 やだ、じゃねえー!


 諦めたのかゴソゴソさせて体の向きを変える玲子。

 おいおい。今度は足でやるつもりか?


「意外と……う、ぅん……あん、ぁはぁ。難しいわねこれ、ぁぅん」


 ちょ、ちょっと待てって。

 足の先で俺の口元を突っつきながら、色っぽい小刻みな吐息と、うごめく白い太股。


 一生懸命なのはわかるが、お前は秘書課の制服だということを忘れている。床に転がった体勢で俺と向きを逆にした玲子。自分の足先を使って俺の顔をまさぐるタイトミニの美女。それはそれはすげえ景色だった。


「なによ?」

 俺の視線が示す先にようやく気づいた玲子。

「どこ覗いてるのぉぉ!」

 という金切り声と一緒に俺の顎を思い切り蹴りやがった。さっきザリオンにやられたばかりのところをだ。


「ぐわぁぁぁーん」と顎の骨が鳴った。


「いっ痛ぇぇぇぇぇぇ。このバカっ! 本気でやりやがったな! 俺だって覗きたくて覗いたんじゃねぇぇ。だったらそんな短いスカート穿いてくんなーっ!」


「こっちだってねー。縛られてるから必死なのよ」

「そんなこと言ったって、目と口は近くにあるんだ。どうしようもねえだろバカ!」

「あなたこそ目をつむればいいでしょ!」


「そんなことしたら何も見えねえーだろ!」


「何も見え……って。バカ、スケベ、えっち!」

 またもや散々罵ってから、

「あぁぁ。裕輔。取れてるじゃない」


 あ。


「どうりで会話が続くと思ったぜ」


 顎周辺が激痛で痺れていたので気が付くのが遅れたが、詰められた布切れは玲子が蹴っ飛ばしたショックで外れていた。


 急いで承認コードを発令する。

「緊急バイオクリーナー実行だ! 起動コード、特別制御指令85……」

 ひー。長いんだよこれ。

 ひと息吸っているあいだに──。


『『承認コードを先に述べてください』』


 茜と優衣のシステムボイスがユニゾンで返してきた。

「手続きが長いし形式ばってるし、面倒臭いよ、ほんと」


「ほらまだなの? なんだか外が騒がしいよ」


 玲子が知らせるとおり、外が騒がしい。争い合うような怒号が聞こえて来るが、なにしろザリオンの習慣や習性などまるで知らない。今日初めて出会ったばかりで、俺たちにとって未知の種族だ。旅立ちの準備かもしれないし、飯の前にする何らかの儀式かも知れない。


 それよりこっちは急がなければならない。

「承認コード7730、ユウスケ3321」

 二人から承認されるのを待って、

「緊急バイオクリーナーを実行せよ。起動コード、特別制御指令85、ベータ4456」

 一気に喋り抜けた。


 そこへ、どがーんと音がして扉が開き、一人のザリオン人が飛び込んで来た。


「な、なんだよ! ノックぐらいしやがれ!」


 ドアを開けて入って来たのではない。投げ飛ばされた、あるいは吹っ飛んだ勢いでドアにぶち当たり、こっちに飛び込んで来たのだ。


 もうもうたる白煙も一緒に立ち込めて、事態はさらに困惑の坩堝の中へと落ちて行った。

  

  

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