1.5
「やっぱり星って凄く綺麗だな」
子供がおもちゃを手にしたかのようにキラキラと瞳を輝かせ星空を見つめてしまう。耳を澄ましてみると未だ楽しそうに蛙がゲコゲコと夏の歌を歌っている。いつもならもう少し風流に鳴いて欲しい。なんて思うのだろけど今ばかりはそんな気持ちさえ抱くことは無かった。目を閉じてみたら、蛙の鳴き声も十色あるとよく分かる。普段はあまり気にして耳にする音なのかもしれないけれどどこか始めて聴いたような新鮮な歌声に聴こえてくる。それは気のせいだということも少し考えれば分かることなのだろう。それでも尋は今の新鮮に感じる感性を大切にしたかった。窓際に座り鼻唄まじりで体を揺らしながら夜涼みを一人満喫する。何も考えていない時ほどふと、自然に過去の出来事を思い出すことがあり、尋もまた少しだけ胸に突っ掛かっていた過去の断片が脳裏を過ぎる。
「キャンプだったのか?それも家族じゃあないか?学校のイベント?」
記憶の断片を紡ぎ合わせるように独り言を呟いてみるがたかだかまぐれで思いだした記憶であるためすぐさま難航してしまう。思いだしたと言っても記憶の断片である。先ほどまで夏の星座を見ようと夜空を見上げ蛙の合唱にすら感動していた尋だったが、表情は一転し雲行きが怪しくなってしまう。だからと言って考えすぎても答えが出てくるわけでは無い。が、なんとなく断片でも思いだせたのだから少しぐらい思いだせないかと過去をたどるだけ辿ってみるが一向に思い出すことができない。両腕を組み集中してみるが外からゲコゲコと蛙の鳴き声によって途切れてしまいため息を漏らしてしまう。ここまで自分に集中力がなかったのか?などと自問自答し始めてしまう。虚しく外から心地よい夜風が部屋に入り月光が尋を照らすだけであったが、先ほどと同じように蒼白い流れ星が夜空を切り裂く。と、
「尋くんって物知りだね!将来は星空博士だね!」
「え?」
月光に照らされた部屋の中を見渡してみる。が、当然のように誰も居るわけがない。一人、過去を思い出していただけ。何気なく携帯を開いてみるが通話中はもちろん虚しくデジタル表示された秒数が時を刻んでいるだけ。夜空へと視線を向けてみるが星、月が輝いているだけ。身を乗り出し玄関、目の前にある道路へも視線を向けてみるが誰も居る気配がない。しかし、確かに尋の耳には蛙の鳴き声でもなければ蝉の鳴き声でもない、人の声が聞こえていた。そして何よりもどこかで聞いたことのあるような懐かしく優しい声であったような・・・気がする。そう思っていたとしても発言者が尋の周りには誰もない。と、言うことは必然的に気のせいだということになってしまう。が、確かに誰かが尋の感情に触れた事は確かだった。過去の事を考えすぎて頭が変になってしまったのかもしれない。
「幻聴を聴くって・・・でも確かに聞こえたよね?でも、誰が僕に?」
考えれば考えるほど訳が分からなくなってきてしまう。
窓からは一面の星空が広がる。丘の上に建っているだけあって景色は最高かもしれない。今、この町で星空を一番近くで見ているのはきっと私だろう。ふと、自分で思ったことが可笑しかったのか彼女は口に手を添え頬笑み時計へと視線を向けると時間は十二時を過ぎようとしている。カチ、カチ。と、秒針がいつも忙しそうにけれど早く動くこともなく遅く動くこともなく正確に時を刻んでいる。時間はダイヤよりも貴重。そんな事を小学生の頃に言われた気がする。けれど、今の彼女にとっては時間なってあってないようなもの。自然と漏れるため息は静かに彼女の膝の上へとそっと落ちていく。大切で微笑ましい過去でも見るかのような優しく懐かしさを含んだ視線を夜空へと向ける。いつぐらいだろう?私が入院をする前には思いだす事さえしなかった時間。けれど、病室にこもっていると色々と考えることが多くなる。いや、多くなるというよりもそうせざるを得ない。最初は色々な友達がお見舞いだと来てくれた。が、遠方なためそれも徐々に少なくなってきてしまう。それは仕方がないこと。きっと自分だって友人が入院をして新幹線を乗り継ぎバスで来なければならない。なんて事になったら一度は行くかもしれないけれど次があるか?と、聞かれたらまず俯いてしまうかもしれない。そう考えるとよく遠方から友人は来てくれたな。と、心の中で感謝の言葉を向ける。横を向くと母親は夜間の為家へと帰っていた。母親の事も考えるといつも申し訳なくなってしまう。仕事を休み私の身の回りの世話をいつもしてくれている。大丈夫だよ。と、言っても母親はいつも笑顔で大丈夫。お母さんは好きでアンタの側に居るんだから。と、握り拳を作って見せる。無理して笑っているつもりはないのだろう。少しでも子供の前だけではしっかりとした母親を演じようとしてくれているのだろう。その優しさがありがたくて、辛かった。けれど、辛いなんて言ってしまえば母親は余計に無理をしすぎてしまうかもしれない。だから弱音を吐けるのはひっそりと静まった深夜の部屋だけ。もしかしたら誰かが聞き耳を立てていたら本音が筒抜けかもしれない。もしかしたらお母さんが忘れ物を取りに来た時に偶然、聞いてしまうかもしれない。
「ふふっ・・・それはないか。こんな時間だし」
うっすらと薄い唇で頬笑みオーバーテーブルに置いてあった果物を一つ手に取る。これは彼女の癖でもあった。いつからそんな癖ができたのか自分でもよく分かっていないのだけれど物思いにふける時にはこうして果物を両手で転がしながら外の景色を眺めることが多い。しばらくの間、夏の空に散らばる星の数を数えていた。その中でも一際輝いている星たちを眺めることが彼女は大好きであった。星空を眺めていると小学校の頃の思い出が色々と思いだしてくる。彼女の父親は転勤が多い職種に付いており彼女は小学校卒業以来約四年ぶりにこちらへと戻ってきていた。四年という歳月は小学校までの友人も覚えているはずもなく、ましてや彼女が入院している事なんて知るはずもない。しかし、彼女にとっては幼少の頃過ごした懐かしい場所であり心休まる土地であった。彼女の人生ではこちらで過ごした時間の方が多いのだから当然と言えば当然なのかもしれない。医師からは外出届を出せば許可は出る。と、言われているのだけれどなんとなく外出する事は無かった。理由はきっとなんとなく。ただ、外出する理由がないから。どこか諦めも入っているのかもしれない。ころころと果物を手のひらで踊らせながら夜空を見ていると、
「あっ。流れ星が流れそう」
なんとなくあと数秒で流れ星が流れる事が分かる。それは勘違いかもしれないし本当かもしれない。けれど咄嗟に彼女は発声するであろう流れ星を目にすることなく咄嗟に両目を閉じ何か言葉を口にする。彼女が予言したように彼女が何か言葉を口にし始めた瞬間に月光のような蒼い光が気持ちよさそうに駆ける。言葉を口にし終わり瞳を開ける。と、微かに流れ星の尾が視界へと入ってくる。
「寝れなくなってしまった」
紫穂は独り言を先ほどまで電話をしていた相手へと伝わるはずがないと分かっていて口にする。が、口調とは裏腹に紫穂の口元はほんのりと緩んでいた。背伸びをしつつカーテンの隙間から洩れる月光に気が付きカーテンを片側だけ開いてみる。と、見蕩れてしまうほど蒼白く芸術的と言っていいほど今日の月の光はいつもよりも蒼色が増しているように見える。
「そう言えば尋が言ってたのって小学校の頃だったっけ」
そう言うと紫穂は机の電気をつけ鍵のついた引きだしへと手をやる。そこには紫穂にとっての宝物が沢山隠されている。古くなった日記、保育所の時に先生から貰った手紙、小学校の頃に始めて母親に頼んで買ってもらったメモ帳。など、他の人が見ればいらないものとして括られてしまうであろう物がたんまりとしまいこまれている。しかし、今回ばかりはその思い出の品には目もくれず一番下にしかれていた一冊のノートを取り出そうとした。が、置いてあると思っていた物が無くなってしまっていた。無くなっていたというよりもきっと紫穂が大切なものだから。と、どこか別の場所に置いてしまったのだろう。本人もそんな面倒くさい作業をした事さえも忘れてしまっておりどの場所に隠したかなんて忘れてしまっている。
「あれ?どこやったっけな?・・・でも、尋が居る時に言わなくてよかった・・・危ない、危ない」
苦笑いを浮かべつつ、明日探せば良いや。なんてお気楽に引きだしを絞め鍵を閉め再度、窓際へ歩き夜涼みでも楽しもうと扉を開く。と、夜風が紫穂の髪を撫で部屋へと入り込んでくる。あの口調じゃあまだ尋は寝ていないんだろうな。なんて思いつい、笑いながら星空を眺める。月夜だと大体、月の光によって星は見えにくくなるのだけれど蒼白い光のお陰か星も月の光りに負けないように輝いている。鼻歌を歌い体を揺らしながら明日の夜ご飯の献立でも考えようとポケットに入れていたスマホを取りだすと一時を迎えようとしていた。夏休みだからと言って流石に起きすぎだな。なんて思いスマホの画面を閉じ何気なく夜空へと視線を向けた瞬間、
「うわっ!なにこれ!」
紫穂の目の前を蒼白い流れ星が目の前を通り過ぎていく。咄嗟のことで思考が停止してしまいそのまま数秒間固まってしまう。が、すぐに思考回路は回復し、凄い綺麗な流れ星だったな。明日、尋に自慢してやろう。なんて満足げに微笑みながら扉を閉める。