プロローグ
自分の事を愛してくれる人間は世界で両親以外は誰もいないと思っていた。けれど、人間は成長していく過程で恋を覚え失恋を経験し愛の暖かさを経験していく。経験していく恋は暖かく時には辛いものになる事もある。が、それでも時間が経てば殆どの事が良い思い出として過去のものになっていく。特に大人になると青春時代に感じた恋心は甘酸っぱいもので思い出すだけでもハニカンだりしてしまう。しかし、全ての人間が抱いた恋を過去に変え次の恋へと進むことが出来ると言えばそうじゃあない。ずっと昔から淡い恋心を抱き感情をぶつけることが出来ない人だっている。伝えたくても伝えられない。ふわりと窓から白いカーテンがゆらゆらと揺れている。今日も元気にしているかい?なんて喋るはずもないのに陽気に言葉を投げかけられているように感じる。彼女は近くに置いてあった果物を一つ両手で掴み膝の上へと置く。思い出の味。小さな手で大切そうに擦りながら食べる訳でもなく観賞用として見ているわけでもない。ただ、大切そうに両手でリンゴを掴んでいる。辺りを見渡してもいつもは居るはずの母親の姿はない。彼女の着替えを取りに行ったのかまたは先生に呼び出されたのかどちらかだろう。彼女にとっての日常の変化と言えばそのぐらいであった。あとは、外から見える景色程度。周りの時間は進んでいるのに一人だけ世界において行かれているような気さえしていた。昔はそうじゃあなかった。沢山の友人とも買い物に出かけたり普通の生活が出来ていた。これじゃあだめだ。なんて、マイナスな思考を振り払うかのように何度も何度も首を左右に振り黒く綺麗な長い髪が無造作に揺れる。
「もう、夏なんだ。今年は花火見れるかな」
ぽつりと言葉を口にしてしまう。ハッと今の発言に自分自身でも驚き口元へ手をやるがいつもと違い母親は不在であった事を思い出し口元に塞いでいた手を離し小さくため息を漏らす。そんな事を母親の前で言う訳にはいかない。自分にそう言い聞かせるように二、三回ほど頷いているとドアからノック音が聞こえてくる。時計に視線を向けてみるが昼食にしては時間は早く診察にしては遅すぎる時間。なんだろうと思い返事をすると見慣れない男性がこんにちは。なんて挨拶をしつつ頭を下げてくる。帽子のつばで顔が見えなかったせいか不審な人でも見るような表情を作ってしまう。が、すぐに彼女の表情を見るなり焦りながら帽子を脱ぎ謝罪の言葉を向けてくる。
「驚かせてしまって、ごめんなさい!秋鹿尋というものなのですが・・・えっと、ここって稲荷和代さんのお部屋でしょうか?」
彼の名前を聞いた瞬間、トクンと大きな鼓動を打つ。が、問いに答えなければならないと首を振り壁へと指さしながら、
「稲荷さんは隣の部屋・・・です」
彼女の言葉を聞いた瞬間に彼は驚きと申し訳なさの入り混じった変な表情で頭を深々とさげ謝罪をしてくる。彼女も笑いながら大丈夫ですから。なんて口にすると尋も安心したのかもう一度深く頭を下げ部屋を出ていく。トクン、トクン。と、静かながらも力強く鼓動が波打ち始める。たった数秒の会話。自分の周りだけ時間は止まっていた。と、感じていた彼女の時間は尋の勘違い入室によって少しずつ動き始める。
※2015/12/31
・文章変更




