9話・ソーダ池の観察
*前回までのお話*
町外れの発明家が作った不思議なテレビ。それは眠っている人の夢を映し出すことのできるものだった。ところが夢が町中にあふれてしまい……。
学校で出た宿題は自由課題だった。各自、またはグループで自然や町のことを調べて、レポートを書かなくてはならない。
「何を調べたらいいんだか、ちっとも思いつかねえよ」浩がさっそく愚痴る。
「例のデパートのことは? ほら、あの昆虫工場」そう言ったのは美奈子だった。
「いや、それはだめですよ。口外しないと約束をしたじゃありませんか」元之が反論する。
「博士に頼んで、発明品とか見せてもらう?」和久が提案した。
「だめよ、あんなの。だって、ガラクタばかりじゃないの」
「なあ、元。何かいいアイデアはないか? どうせなら、誰もやらないようなことを研究しようぜ」
「そうですねえ……」元之は額に手を当てて、しばらく考え込む。「ソーダ池の微生物でも観察しましょうか。珍しいプランクトンがうじゃうじゃいますよ」
「ソーダ池って、三つ子山の裏の?」美奈子は聞いた。
「そうです。常に炭酸が吹き出している、あの奇妙な池ですよ」
ほかに思いつくこともないので、元之の案に従うことに決まった。
美奈子、浩、元之、和久の4人は、土曜日の午後に、見晴らしの塔に集まることにした。
ラブタームーラをほぼ直線に通るカエデ通り、そしてうねうねと曲がりくねった思い出の小路がちょうど交差するところに、見晴らしの塔が立っていた。待ち合わせにはちょうどいい場所である。
「それじゃ、土曜日、授業が終わったら見晴らしの塔に集合だ」浩がそう号令を掛ける。
その土曜日がやって来て、半日授業がようやく終わった。
美奈子はいったん家に戻り、緑を連れて見晴らしの塔へとやってきた。
「おねえちゃん、ソーダ池の水って、やっぱりソーダの味がするの?」と緑。
「ううん、ただの炭酸水よ。ピリッとするばかりで、味なんかしないわ」
「なぁんだ」緑はちょっとがっかりした様子だった。この間飲んだソーダ水の味が忘れられなかったとみえる。
続いて元之がやって来る。何やら、大きなリュックをしょっていた。
「あんた、何を持ってきたの?」
「ああ、これですか。顕微鏡やらビデオカメラなどですよ。何しろ、相手は微生物ですからね。肉眼では見ることができませんから」
和久もやって来た。
「デジカメを持ってきたよ。何か面白いものが撮れるといいけど」
見晴らしの塔の回りは、ちょっとした広場になっていた。周囲を木が囲み、人々の憩いの場としても人気がある。
「ベンチに座って、浩が来るのを待ちましょう」元之が言った。
その浩は、そのあとたっぷり10分、遅くやって来る。
「わりい、ちょっと家でごたごたがあってな」
「なんなの、そのごたごたって?」美奈子が尋ねる。
「それがよ、自由研究に行くんだって言ってんのに、かあさんときたら、どうせ遊びに行くんでしょって、うるせえんだ」
とりあえず、これで全員が揃った。
一同は、思い出の小路を南へと下っていく。ここは遊歩道で、一定間隔で像が置かれていた。ネコやイヌだったり、人間だったり鳥だったり、造った人も、とくに考えはなかったらしい。
ときどきバラのトンネルなどあって、人々の心を癒やしていた。
道の両端には、至る所に花壇が設けられ、季節ごとの花を咲かせていた。今の時期、ジンチョウゲの香りが、それこそむせかえるほどあふれている。
「ここに並んでいる像の1つは、夜になると動き出したりするんだって」美奈子が言うと、怖がりの和久は気味悪そうに辺りを見回す。
「そんなのウソに決まってら。像ってのは鉄か銅でできてるんだぜ。どうやって動くっていうんだよ」浩ははなから信じていないらしかった。
「いやいや、そうとばかりは言い切れませんよ」こう言ったのは元之である。「ここラブタームーラが魔法の町だということを忘れていませんか? わたしなら、像の1つや2つ動いたとしても疑いませんね」
思い出の小路は町の中だけでなく、森を通り、野原を通り、だらだらとどこまでも続いていた。
ふいに看板が現れ、別の道が横切る。看板にはこうあった。
「この先右は三つ子山」
「ここで曲がるのよね」タンポポ団の面々は、ぞろぞろと道を曲がっていった。
遊歩道とは違い、ただ一面の原っぱが広がる、そんな細い道だった。向こうの方には、その名の通り3つ連なった山が並ぶ。
「前に遠足できたことがあるよな、三つ子山」浩が口にする。
「大して高い山じゃなかったよね。せいぜい、100メートルくらいかなあ」和久も思い出しながら言う。
「あの山ですが、実は化石が採れるらしいですよ」と元之が説明を始める。
「あら、そう言えば山のあちこちに削ったような跡が見えるわね」
「なんでも、ここでしか見つかっていない化石がいくつも発見されたそうです」
「なんなら、化石掘りでもよかったんじゃねえか?」と浩。
「残念ながら、スコップも何も持ってきていませんからね」
「そうよ、今日はソーダ池の観察に来たんだから」美奈子にまで言われ、ふんと鼻を鳴らして肩をすくめる浩。
三つ子山に近づくと、さらに細かくうねった道が続いた。
「なんだって、こんなにウネウネしてるのかしら」
「この辺りは湿地帯ですからね。通りやすい道を選んで造ったのでしょう」それが元之の答えだった。
三つ子山を左側に見ながら、一同はぐるっと回り込むようにして歩いていく。
「山を越えていければすぐなのにね」和久は三つ子山を眺める。
「そうは言っても、それなりの高さがあるからなあ。こうして回り道をするのが一番ってなもんだ」
「おねえちゃん、ぼく、疲れちゃった」緑が美奈子を見上げて言う。
「あらあら、じゃあ、おぶってってあげる」
「だったら、おれがおぶるぞ。力じゃ自信があるからな」浩はしゃがみ込むと、緑を背負った。
「おにいちゃん、重くない?」小さいくせに気を利かせて言う。
「重いもんか。家じゃ、とうさんの手伝いでもっと重いものをいつも待たされてるからな」心強い返事が返ってきた。
ウネウネ道はしばらく続き、ついに目的地であるソーダ池が見えてきた。
「着いたわ、ソーダ池よ」
近づくにつれ、コポコポと泡の立つ音が大きくなっていく。
「ソーダ池とは、まったくよく言ったもんだなあ」浩が感心する。
「この池って、サカナも何も棲んでないんだってね」和久が不思議そうに言う。
「そりゃあ、炭酸だもん。普通の生き物なんか棲めるわけないわよ」
「ええ、普通の生き物はいません。ここにいるのは、炭酸性プランクトンだけです。我々は今日、それを観察しに来たのですよ」
池のほとりに着くと、元之はリュックを下ろし、機材を広げ始めた。
大型の顕微鏡、撮影用のビデオカメラ、全員が観察できるためのモニターなど。
「和久君、この試験管にソーダ池の水を取ってきてください」
和久はおっかなびっくり池に近づくと、かがんで水を汲んで持ってきた。
元之は顕微鏡を置くと、アタッチメントでビデオカメラにつなぐ。さらにそれをモニターに接続すると、
「さあ、準備は整いました。あとは和久君の取ってきてくれたソーダ池の水を、プレートガラスに載せるだけです」そう言い、スポイトで水を吸い取り、顕微鏡の下に垂らす。
モニターには、小さな泡がパチパチと現れたり消えたりする様子が映し出されていた。
「なんだよ、泡が弾けてるだけじゃねえか」浩はモニターをじっと見つめる。
「何もいないみたいだよね」和久もがっかりした様子だ。
けれど元之は落ち着いた様子である。
「まあ、そう慌てないでください。いいですか、皆さん。ここに住む生き物たちは、1秒の100分の1程度しか存在しないのですよ。パッと生まれたかと思うと、次の瞬間には一生を終えています。それだけ寿命が短いのですね」
「でも、そんなものを観察しても学校で発表できないじゃない」美奈子は不服そうだった。
「そこでこのビデオカメラです」元之は、撮影した映像を巻き戻すと、スロー再生してみせる。
するとどうだろう。泡だと思っていたものは、次の瞬間、様々な生き物の姿に姿を変えていった。
「おおっ!」浩が声を上げる。
「今のアナゴみたいだったわ!」
「エンゼルフィッシュもいたよねっ」和久もすっかり興奮してモニターに見入った。
「どうです、これが炭酸プランクトンです」
炭酸プランクトンは、形をなしたかと思うと、パッと弾けて消えていく。まるで、シャボン玉のようだ。
「なんか神秘的ね。ほんのつかの間の一生だなんて」
「それでも、彼らにとっては十分な時間なのです」元之が解説する。「生まれ、ほかの炭酸プランクトンを食べ、分裂したり、子供を産んだりします。わたし達からすれば、あまりに短い時間なので、あっと言う間に消えてしまうかのように見えるのですよ」
一同がモニターに食い入るようにして眺めていると、エイやサメ、マグロやヒラメなど、ひしめき合うようにして生まれては消えていった。
本物のサカナと違うのは、どれも透き通っていてガラス細工のように見える点だけだった。
「でも、1秒にも満たない一生なんて、なんだかかわいそう」美奈子が言うと、
「そんなことはありませんよ、美奈ちゃん。たとえば木ですが、何百年、時には何千年も生きていますよね。彼らから見れば、わたし達の一生こそ、ほんの瞬間に過ぎません。これら炭酸プランクトンもそれと同じで、わたし達は一瞬だと思っていますが、彼らにとって長い年月を送っているのです」
「ふうーん、そんなもんなんだ」浩は感心したようにうなずいた。
「ねえ、あの泡、すっごく大きね?」緑がモニターを指差す。
「どれどれ? ほー、確かに大きいですね」と元之。
泡はゆっくりと形を変えていく。
「この子はどんなサカナになるのかなあ」美奈子も興味津々見守る。
「まさか!」いきなり元之が叫んだ。
「どうしたの? 元君」和久がただならぬ雰囲気に身を引き締める。
泡はどんどん伸びていき、ついにはクジラの姿となった。
「なんとっ! これは幻と呼ばれる炭酸オオアワクジラですよ! まさか、この目で見られるとは思いもしませんでした。」
炭酸オオアワクジラは、ほかのプランクトンなどと違って、たっぷり10倍もの間その姿を保っていたが、それもやがて弾け、再び消えていった。
10話・ダイヤモンドカマキリ