20話・湖畔で
*前回までのお話*
とうとう、最後の魔法昆虫が見つかった。しかし、それは唯一、害を及ばさない生き物だった。
一同は一旦家に戻り、夜が訪れるのを待った。
ふだんは夜の外出など許されないタンポポ団の面々だったが、博物館の館長が一緒だと聞き、それなら安心だとばかり、簡単に許可がもらえた。
雲のほとんどない、明るい満月の夜だった。そろって博物館へと赴き、そこで光アゲハの入ったカゴを持った館長と合流する。
光アゲハのカゴは、まるでランタンのようにキラキラと明るく輝いていた。これなら、夜の森も安心だ。もちろん、帰りのための懐中電灯も用意してはあったが。
6人の回りは、まるでそこだけ昼間のようにまるく明るかった。木の枝や梢、草の生えた地面を照らし出し、幽玄な空間を作り上げていた。
「まるで、光のボールの中にでもいるみてえだ」浩は感嘆の溜め息をついた。
「そうね、本当にきれい。あの悪い魔法使いが、もし、いいことに魔法を使ったんだったら、どんなにか素晴らしいことだったろう」うっとりとした口調で美奈子もつぶやく。
「これが失敗作だというのですからね、彼の魔法はまったくたいしたものですよ」それが元之の感想だった。
「ぼくの国じゃ、ホタルが何千匹も集まることがあるんだけど、ちょうどこんな具合になるよ。でも、光アゲハはもっと明るいなあ」緑は元いた世界を思い出しながらそう言うのだった。
ふいに森が途切れ、広大な星降り湖が目の前に現れた。
月の光が周囲の木々を照らし出し、どこか現実を離れて、絵でも見ているような光景が広がる。
砂浜に寄せては返す波の音だけが、静かに聞こえる。
「ついたぞ、本当に逃がしてしまっていいのかね?」館長が念を押す。
美奈子は緑の前にしゃがみ込むと、
「本当にいいのね? 元の国へ帰れなくなっちゃうのよ」
「うん、逃がしてあげて。ぼく、ラブタームーラにいつまでも残るから」そう健気に答える緑。
館長は黙ってうなずくと、そっとカゴのフタを開けた。
光アゲハは初め、戸惑ったようにカゴの中から這い出してきて、ふわりと宙を舞った。
それから、全員の回りを2度3度とぐるぐる飛び回る。まるで、お礼を言っているかのようだった。
やがて思い切ったかのように、星降り湖の方へと飛んでいった。
澄み渡った星降り湖はまるで鏡のようで、そこに映る光アゲハと合わせて、2匹のチョウが舞っているかのように見えた。
水面に近づいてみたり、いきなり飛び上がってみたりと、空を自由に飛べることが楽しくて仕方がないようだ。
やがて、きりもみをしながら空高く飛んでいき、そのまま月に向かって飛び去ってしまった。
「行っちゃったね……」美奈子がそっと洩らす。
「もう、帰ってこないのかなあ」和久がそう口にする。
「たぶん……な」と浩。
実際、その後光アゲハを見たという者は誰もなかった。もしかしたら、ラブタームーラを後にしたのかもしれない。
一同は、ほとりにあるベンチに掛けると、今見た光景を心の中で反芻するのだった。
「きれいだったわね。まるで、夢でも見ていたみたい」
「ああ、おれが見た中でも、最高だったぜ」
「あのような神秘的な昆虫も存在するものなのですね」
それぞれが思い思いを言葉にする。
「森の中にぽつんと見える明かり、あれって『魔女の家』かな」和久が指差す。
「そうでしょうね。この辺りに住んでいるのは彼女だけなのですから」
「もっとも、本当は魔女なんかじゃなかったけどな」浩がちゃかしてみせた。
「あの人も見たかしら、光アゲハ」
「あるいは」と元之。
そのあと、しばらく沈黙が続く。優しいそよ風が、さあっと吹いてくる。
誰もが黙りこくっているのにたまりかねて、美奈子がいきなり言い出した。
「浩、あんたって小学校に入ったばかりの頃から、ずっと意地悪だったわね」
「え?」きょとんと振り返る浩。
「上履きを隠したり、シャーペンをわざと落としたりさあ」
「ああ、そんなこともあったな」浩はちょっとうつむいて答える。
「どうして、そんなことばかりしたの?」美奈子は軽く問い詰めた。
「聞きたいか?」
「ちゃんと、わけがあるんだ」
「ああ、あるとも」
「じゃあ、聞かせてもらおうじゃないの」
浩は美奈子から顔をそらし、ぽつりと言った。
「幼稚園最後のお遊戯会のこと、覚えてるか?」
「うん、覚えてる。最後に『マイム・マイム』を踊ったね」
「あの時、手をつないでくれなかった」やっと聞き取れるくらいの声で浩は答えた。
「は?」美奈子は、我ながら間の抜けた顔をする。「たったそれだけ?」
浩は振り返ると、前よりもずっと大きな声で言った。
「おれは、お前に手をつないでもらいたかったんだ」
美奈子は思わず笑い出してしまった。「だって、気付かなかったんだもん。あんなにたくさんいたんだしさ。それならそうと、初めから言ってくれればよかったのに」
「言えるかよ、ばか。おれは、お前のことが……お前が好きだったんだ」
「だった? じゃあ、今はどうなのよ」
「だからよお、いちいち言わせるなって」
美奈子は浩の脇ににじり寄ってくると、浩の手をそっと握った。
「じゃあ、もう1度踊ろうか『マイム・マイム』。今度こそ手をつないでさあ」
「今、ここでか?」浩はびっくりした。しかし、彼の手もまた美奈子を握り返しているのだった。
「いいじゃないの。どうせ、ここには知ってる人しかいないんだもん」
2人は立ち上がり、湖畔で両手を取り合った。
そしてどちらからともなく踊りだし、歌った。
「マイム、マイム、レッセッセ」
それを見て、緑も立ち上がり、2人の間に入ってきた。
「ぼくも踊る」
「なら、みんなで踊りましょう。さあ、元君、和久、それに館長も」と美奈子が誘う。
「わしもか?」館長はちょっとびっくりしたようだった。「なんせ、何十年も踊りなど踊ったことはないからなあ」
「大丈夫。すっごく簡単な踊りだから。あたし達と同じようにやればいいんですよ」
1度は互いに手をつなぎ、丸くなって踊り始めた。
「マイム、マイム、マイム、マイム、まいむ、レッセッセ。マイム、マイム、マイム、マイム、マイム、レッセッセ」
星降り湖の湖畔で、月の光だけを照明に、全員はいつまでも踊り続けるのだった。そして、その楽しげな声も。