2話・昆虫展
*前回までのお話*
ラブタームーラ小学校で、始めて受ける魔法の授業。期待に胸を膨らませる美奈子だったが、その内容は退屈極まりのないものだった。
ラブタームーラの博物館では、今、昆虫展を開催していた。世界中の珍しい昆虫を集め、休日ともなれば、大賑わいだった。
「ねえ、美奈。わたし達も見に行ってみない?」薫が誘う。
「昆虫かぁ。あんま興味ないんだよね。それに混雑してるって言うじゃない」美奈子は人混みが苦手だった。
「そんなこと言わないでさあ。わたし、お兄ちゃんがいつも虫採りに連れてってくれるもんだから、けっこう好きなんだ。ねね、付き合うつもりで一緒に行こうよ」
あまり熱心なので、ついには美奈子も折れる。
次の日曜日、2人は連れだって博物館を訪れた。
「うわあ、思っていた以上にすごい人だね」美奈子は目を丸くした。
「だって、日本にいたんじゃ絶対に見られない昆虫ばっかりなんだよ。少なくとも、生きて動いているのなんてさ」と薫。
入り口でチケットを買うと、人の波に押されるようにしながら、中へと入っていった。
一歩入ると、プーンと甘い樹液の匂いでいっぱいだった。昆虫達のエサに違いない。
大小の水槽が所狭しと並べてあり、その中で色も形も様々な昆虫たちがもぞもぞと動き回っていた。
「見てっ、美奈。ほら、これがニジイロクワガタだよ。へえー、オセアニアに生息してるんだ」薫が目の色を変えて水槽の中を覗き込む。
「そんなに大きくないんだ」と美奈子。「でも、虹色の光沢をしていて、ほんとにきれいね」
薫はヘラクレスオオカブトムシのブースを見つけては駆け寄り、日本のそれとは比べものにならないその圧倒的な大きさに溜め息をつき、金銀のコガネムシに、感嘆の声を上げていた。
「虫って、ただ黒光りしているだけかと思ってたけど、こうして見て回ると、つくづく驚きの連続ね」美奈子は素直にそう告げる。
「でしょ? うちのお兄ちゃんも先週の休みに見に行ったんだけど、あれやこれや見てきたことを自慢するもんで、すっごくうらやましかったんだ」
初めのうち、一緒に並んで昆虫を眺めていたが、そのうちに思い思いの場所を見て歩くようになった。
薫は、大きくて立派な昆虫にばかり興味があり、いっぽうで美奈子は美しい蝶や木の葉そっくりなカマキリなどに心惹かれるのだった。
気がつけば、薫の姿をすっかり見失っていた。この人混みの中、探し出すだけでも大変なことである。
「まあ、いいや。どうせ、出口は一緒なんだし」美奈子はのんきに構え、1人好き勝手に見て回った。
しばらくすると、聞き覚えのある声がしてくる。
「おおー、すげえ。こいつ、アトラスオオカブトじゃん。3本角がかっこいいなあ!」
「スウェラシ島など、インドネシアに生息しているそうですよ」
「さすが外国産だな。どれもでかくて、強そうだ」
「熱帯産のものはそうらしいですね。環境がいいのでしょう」
あれは、島根浩と山田元之に違いない。浩は粗野で考えなしなところがあるのに対し、元之は勉強が出来、きびきびとまるで学者のような雰囲気がある。
どう考えてもちくはぐな組み合わせなのだが、なぜか仲はとてもいい。
(嫌なやつらと出くわしちゃったなぁ。こっちに来るな、こっちに来るな)美奈子は心の中でそう願ってつぶやいた。
けれど、嫌だと思うほどそれは逆効果に働くらしく、浩達は美奈子のいる方へと近づいてくる。
美奈子は2人の様子をうかがいながら、少しずつ距離を取ろうとした。しかし、芋洗いのような混雑の中、思うようには動けず、むしろこちらの方が相手に引き寄せられていく。
(このままじゃ、やばい。こんなところで顔を合わせたりなんかしたら、浩のやつ、きっと嫌みを言うに違いない)
美奈子はどうにか逃れる術はないかと、辺りを見回す。すると、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を見つけた。
「あれこれ言ってられない。いいわ、この中に隠れて、ちょっとだけやり過ごそう」幸い、ドアには鍵が掛かっておらず、美奈子は少しだけ開いた隙間から、滑り込むようにして中に入り込んだ。
これまでの喧噪が嘘のように静まり返る。
「やれやれ、これであいつらとも会わなくて済む」美奈子はほっと一息を付いた。
部屋の中を見渡すと、動物の剥製やら不思議な顔立ちをした木彫りの人形など、様々なものが置かれていた。
「ここって、学校の理科準備室みたいなものかしら」と美奈子は思った。
おそらくは、博物館の展示から洩れたものをしまっておく、一種の倉庫に違いなかった。
ごったに置かれたものの中、一番奥の隅っこにある1本の木に目が行く。近づいてみると、どうやらクリスマス・ツリーのようだった。
ただし、オーナメントの代わりに、無数の繭がぶら下がっている。ウズラの卵大のそれらは灰色をしていて、1つ1つ、異なった文字が描かれていた。
「なんて書いてあるんだろう。少なくとも漢字じゃなさそう。記号のようにも見えるけど……」その1つに美奈子は触れてみた。音もなく揺れる。
「喉が渇いちゃった。オレンジ・ジュースでも飲みたいなぁ」
その途端、触れた繭がパツンと弾け、代わって左手には缶ジュースが現れた。
「なにこれっ?」当然のことながら、美奈子はびっくりする。裂けた繭に顔をそっと近づけてみると、中は空っぽだった。
まさかこれは、願いを叶える魔法のオーナメントなのだろうか?
確かめるには、もう1度試すよりほかはなかった。
「シュークリームが食べたい」そうつぶやいて、別の繭に触れてみる。
パツン! 繭が弾け、今度は右手にふかふかのシュークリームが出現した。
「やっぱりそうだ。これって、なんでも願いを聞いてくれるんだわ!」シュークリームを食べ、ジュースを飲み、次は何を願おうかと美奈子は頭を傾ける。
ふいにくしゃみが出そうになった。
「くしゃみよ、止まれ!」美奈子は次の繭に触れる。くしゃみは見事、ピタリと収まる。
「ああ、背中が……背中のちょうど手が届かないところがものすごく痒い。痒みがなくなれっ」また繭に触れ、痒みは消えた。
気をよくした美奈子は、もっと素敵なことをかなえようと決めた。
「大金持ちになれ、なんてありきたりだし、第一、うちはお金に困ってないしなぁ。習っているピアノが上手になる、というのはどうだろう。でも、ピアノそのものは、あまり好きじゃないんだよね」
ふと、昨日の魔法の授業で、マーマレード・ミント・フラワーを横取りした浩の顔が思い浮かんだ。あいつ、大っ嫌い。すぐぶつし、人のことをブスって言うしさ。
わたしにもし弟がいたなら、あんなんじゃなく、もっと素直でかわいい子がいいな。そうだ、それにしよう!
美奈子は少し震える指で5つ目の眉を揺らした。
「わたしに素敵な弟が出来ますように」
繭はポンッと割れ、傍らに美奈子の腰にやっと背の届く男の子が現れた。栗色の巻き毛で、くりくりっとした真っ黒な瞳が頼るように見上げている。
美奈子はしゃがみ込んで、男の子に声をかけた。
「あんた、あたしの弟?」
男のはわからない、と言うようにううんと首を振る。
「名前は?」
また、首を振った。
「でも、願いを言ったんだから、絶対にあたしの弟なんだわ。うちに連れて帰ったら、おとうさんもおかあさんも、きっとびっくりするだろうな」
そのとき、いきなりドアが開いて、頭の禿げ上がった恰幅のいい男が入ってきた。美奈子に気がつくと、しばし口をポカンと開けたまま、立ち尽くす。
「あんた、いったい誰じゃな?」やっとの事で口がきけるようになると、まずそう聞いてきた。
「あ、あたし、その、鈴木美奈子と言います」美奈子は慌てて答える。男の子は、美奈子の後ろ手に隠れてしまっていた。
「ふうむ。それで、その鈴木美奈子さんが、なぜこの部屋に?」
「えっと、嫌なやつと鉢合わせしそうになって、たまたま隠れたのがこの部屋なんです」
「そうかね。ここは館員以外は立ち入り禁止なんだ。よかったら、もう出て行ってくれんかね」男はドアを開け、あごで出て行くよう促す。
「あ、はい、そうします」美奈子は男の子の手を引いて、部屋を出て行こうとした。
その途端、
「ちょ、ちょっと待った!」今度は引き留められてしまう。「おまえさん、そこの木に触らなかったかね?」
「えーと……。はい、いくつか触りましたけど」おっかなびっくり、そう答える。
「なんてこった!」男は大声を出した。「そいつは百虫樹と言ってな、危険な魔法昆虫を封印してあるんだ。さあ、言いなさい。何匹逃がした?」
すっかり恐縮してしまった美奈子は、混乱した頭でひぃふぅみぃと思い返す。
「ぜ、全部で5個だったと思いますけど」
「5個!」禿げ頭を抱えて、男は叫んだ。「お前さんは、とんでもないことをしでかしてくれたな! そこにぶら下がっている繭には、世の中をしっちゃかめっちゃかにしてしまうような、恐ろしい昆虫が閉じ込められていたんだぞ。それを逃がしてしまうなんて。しかも、5匹も!」
何がなんだかわからない美奈子は、目を泳がせるついでに部屋の中を見回しす。しかし、羽虫1匹見つけられなかった。
「あのう、その昆虫ってどこにいるんですか?」
「さあな、わしのほうが知りたいわい!」と男。
「何かしちゃったみたいで、どうもすみません」取りあえず、美奈子は謝ってみる。「でも、どうか事情を聞かせてもらえませんか。あたし、すっかりこんがらがっちゃって」
深く溜め息をつくと、男はうんうんとうなずいた、
「そうだったな。お前さんは何も知らないんだった。この木はな、百虫樹と呼ばれ、大昔、このラブタームーラの町を荒らし回った100匹の魔法昆虫を、偉い魔法使いが封印したものなんだ。触れて願いを唱えれば、それらを解き放つことが出来る。お前さん、何か願っただろう? 割れた繭を見ればわかる。逃げた魔法昆虫は、今頃この町のどこかで元の姿を取り戻しているはずだ。あいにく、現在は力のある魔法使いなどおらん。捕まえられるのは、ほれ、そこにある魔法の虫取り網とカゴだけだ。それも、逃がした本人にしか捕らえられん」
そう言って、美奈子をじっと見据えた。
「それって、あたしが捕まえてこいってことですか?」
「さよう。それしか方法はないのだ」
「でも、どこを探せばいいんですか?」
「わからん。少なくとも、この町のどこかにおるはずだ。名乗り忘れとったが、わしはこの博物館の館長倉又博吉というものだ」館長は、軽くコホンと咳払いをした。
美奈子は内心、えらいことになったぞ、と思った。
*次回のお話*
3話・小さなゾウ