17話.雪の降った朝
*前回までのお話*
4匹目の魔法昆虫はセミのように鳴く虫だった。しかし、どこを探しても見つからない。それもそのはず。実は音だけの存在だったのだ。
午後から降り始めた雪は、夜になってもやむ気配がなく、それどころから、いっそう激しくなっていった。
大人達は明日の出勤のことを思い、憂鬱そうな顔になり、反対に、子供達は大喜びだった。
「こりゃあ積もるぞっ」浩が歓声を上げる。
「明日は雪合戦ね」いつになく美奈子もはしゃいでいた。
「一応、手袋はしてくるように。しもやけはあとが大変ですからね」合理的な元之は、そう言って注意を促すのだった。
「この白い粉みたいなのが雪?」緑は空を見上げながら言う。長い睫毛には、みるみる雪片が積もっていく。
「緑の国じゃ雪は降らないの?」美奈子は聞いた。
「うん、ぼくんとこは1年中春だもん」
「そうか、そりゃあ珍しいよな。いいか、雪ってのは空の水蒸気が凍って降ってくるんだ。そんでもって、町中に綿のように積もるんだぜ」浩がそう説明をする。
翌朝、景色は白一色に染まっていた。美奈子はドアを開けようとしたが、雪が邪魔でなかなか開かない。
「どれ、おとうさんが開けてやろう」そういうと、力一杯ドアを押し、こじ開けた。
さっそく飛び出してみると、美奈子の腰の辺りまで雪が積もっている。
町の広場に来てみると、すでに浩、元之、和久が来ていて、すでに雪を投げ合っていた。
美奈子はたった1人、標的になっている浩の方へつくことにして、さっそく雪玉を握り始める。
「いい、緑。雪玉はこうやって丸めるの。そしたら、相手に向かって投げつけるのよ」
「手袋って温かいね」昨日買ってもらったばかりの青い手袋をじっと見つめながら、緑はつぶやいた。
「雪を触っているうちに冷たくなるからね。もし、ビショビショになったら、脱いで絞るのよ。そうしないとあかぎれになっちゃうから」
緑は言われた通り雪玉を作り、元之、和久チームに向かって投げつける。けれど、力がないのでサッパリ届かない。
「腕をね、ブンブン振り回すの。そうすれば、もっと遠くまで届くから」
緑は腕を振り回すと、思いっきり雪玉を投げる。今度は相手まで届いた。
しかも、偶然だろうが、浩の顔面に直撃してしまう。
「当たった、当たったよ、お姉ちゃん!」緑のうれしそうなこと。
「やりやがったな。今度はおれ様の番だ」そう言うと、浩は雪玉を緑に向かって投げつける。
それが美奈子にぶつかったものだから、
「あたしを狙ったね。よーし、浩にはギュウギュウに固めた雪玉をお見舞いしてやるっ」
こうして、夕方近くまで全員で雪合戦をして楽しんだのだった。
次の朝、美奈子の玄関の外には小さな雪だるまができていた。
「ああ、そろそろ雪の日も終わりかぁ」美奈子はふうっと溜め息をつく。
雪だるまは美奈子の家の前だけでなく、どこの家の前にもできていた。手のひらに載るくらいの、小さなものだ。
周囲の雪をかき集めるようにして作られたものである。子供達は、それを「雪だるまおじさん」が毎朝作っていくのだ、と言う。
それにしたって、大した量である。ざっと見ただけで100はあろうか。
仮に、雪だるまおじさんなるものがいて、早朝に雪だるまを作っていくのだとしたら、それはさぞや大変な作業になることだろう。
翌日になると、それらの雪だるまは一回り大きくなっていた。その分、回りの雪がなくなっている。
「もって3日くらいかな」美奈子は肩をすくめた。
「この雪だるま、誰が作ってるの?」傍らから顔を出した緑が聞く。
「さあ、あたしもわからない。朝早く、いつの間にかできているの」
もしかしたら、本当に雪だるまおじさんなる者がいて、こっそりと握っていくのかもしれない。
けれど、ラブタームーラの誰もそれを見たことがないのだった。
さらに次の日になると、雪だるまはさらに大きくなっていた。緑くらいの子供なら、容易に作れるほどである。周囲には雪がなくなり、茶色い地面が見えていた。
不思議なことに、雪や土をえぐったり、転がした後がこれっぽっちも見当たらないのだ。
まるで、雪が自然に集まって形を成していったかのようである。
「これじゃ、もう雪合戦は無理ね」美奈子は言った。町の広場も道路のアスファルトからも、ほとんど雪がなくなってしまっていた。
子供達はがっかりし、大人達はほっと一安心するのだった。
3日目の朝、雪だるまはとうとう、大人ほどの大きさにまで成長していた。陰になっている部分を探しても、雪のかけらさえ見当たらない。
「そろそろだな」浩は雪だるまを眺めながら言った。
「ええ、いい頃合いです」と元之。
日はサンサンと照っている。何もなかった雪だるまの顔に、ポコッと目鼻ができた。
「いよいよだね」和久も、心なしかワクワクしているようだ。
「お姉ちゃん、これから何が始まるの?」緑は見上げて尋ねた。
「まあ、見てなさいって」
雪だるまから足が生え、ムクッと立ち上がった。そして、同じ方向に向かって、一斉に歩き出す。
そこは思い出の小路だった。
「雪だるま達は自分達の国へと帰っていくのよ」美奈子がそう教える。
「そこって、ずっと冬の国?」と緑。
「ううん、そうじゃなくて、このラブタームーラのある場所へ行くの」
「今回は、タンポポ団として、おれ達も後をついて行ってみようか」浩が言い出す。
「それもいいですね」
そんなわけで、雪だるまの集団に混ざって、タンポポ団もぞろぞろと後を追うことにした。
思い出の小道に入ると、雪だるまは一列になって進み始める。これだけの晴天にもかかわらず、少しも溶けず、水跡1つ残すことはなかった。
「不思議だよな。雪ってのはふつう、日に当たったら溶けちまうもんなんだがよ」と浩。
「だって、ここはラブタームーラだもん。それくらいのことがあっても当然よ」
「思うに、溶ける次から雪になり、それがまた雪だるまになるのでしょう」こう分析したのは元之だった。
おそらく、その通りなのだろう。
「ぼく、あの1つにレモン・シロップを掛けてかぶりつきたい衝動に駆られることがあるんだ」和久がこっそり言った。
真っ白な柔らかそうな雪だるま。確かにシロップを掛けたらおいしそうに見えた。
うねうねと曲がりくねった思い出の小路を、雪だるまと美奈子達はポクポクと歩いていった。
彼らの足取りは、決して早くはなかった。子供の足でも、十分について行けるほどである。
途中、森に入ったりもしたが、彼らの足に枯れ葉がこびりつくことはなかった。もしかしたら、ほんのかすかに足が宙を浮いているのかもしれない。
また、そばによってもまるで冷たさを感じなかった。雪だるまと言うより、発泡スチロールのようである。
「雪だるま達、どこまで行くの?」緑は聞いた。
「行き着くところまでよ。そこが彼らの生まれ故郷なの」
見晴らしの塔の脇を通り、美奈子達の小学校のそばを行き過ぎ、再びカエデ大通りを横切って、思い出の小路をひたすら歩き続ける。
「あ、ぼく、この道知ってる。博物館へ行く方角だっ」緑は言ったが、美奈子はおどけた様子で首を振るのだった。
「いくら博物館が大きいからって、全部は入りきれないでしょ? でも、そうね。確かにこの向こうには博物館があるわね」
それにしても壮大な眺めだった。何しろ、ラブタームーラ中の雪が雪だるまになって、こうして行進しているのだから。
「これが普通の雪だるまだったら、ぽくら、きっと凍えちゃうだろうね」和久が洩らす。
確かにその通りだった。前も後ろも雪なのだ。普通なら寒くてどうにもならないだろう。
星降り湖のそばまでやって来ると、雪だるま達はピタッと足を止めた。そこはちょっとした土手になっていて、滑り落ちれば星降り湖にはまってしまう。
雪だるま達はその土手に向かって進み始めた。
1つ、また1つと土手を転げ落ちていく。そして星降り湖に呑み込まれていくのだった。
「ここが雪だるまの故郷なの」美奈子は緑にそう説明する。「ラブタームーラの雪はここで生まれて、町中に降り注ぐの。来年もきっと雪が降るでしょうね。そしたら、この湖から生まれたってことを覚えていてね」
そう話しつつ、そう言えば来年はもう、緑はいないかも知れないのだ、と美奈子は気がついた。
最後の魔法昆虫が見つかれば、緑はラブタームーラからいなくなってしまうのだ。おそらく、来年の雪を見ることはあるまい。そう思うと、ひどく切なくなってしまった。
雪だるま達がすべて星降り湖に還っていくのに、およそ1時間ばかりかかった。そのあいだ、タンポポ団のみんなは脇からずっと眺めていた。
一番最後に星降り湖に飛び込んだのは、緑とほぼ同じくらいの雪だるまだった。きっと、中途半端に余った雪でできたものだったのだろう。
それを見て緑は、
「あれ、まるでぼくみたいだよね」そう言うのだった。
緑も、あんなふうに消えていなくなってしまうのだろうか。美奈子だけでなく、ほかの全員も心のなかでそう思わずにはいられなかった。
*次回のお話*
18話・ブルドッグ