10.ダイヤモンドカマキリ
*前回までのお話*
学校の自由研究のため、タンポポ団は三つ子山の裏手にあるそーだ池へ炭酸プランクトンを観察しに出かけた。
ざわざわと回りのプラタナスが葉擦れの音を立てる中、2本の背の高いニレがおしゃべりをしていた。
「この夏も暑いのう。少しは雨でも降ればいいんじゃが」
「雨なら、先月までたんと降ったろう。わしはもう十分じゃよ」
「まあ、公園番が毎日水を撒きに来てくれるんで、だいぶ楽だがなあ」
「それに、暑い暑いと言っておっても、じきに秋が来て、すぐ冬だ。わしらの葉がきれいさっぱり抜け落ちるのも、そう遠くはないて」
ここは2丁目にある中央公園。かつては森だったというが、この2本のニレを残して、あとはすっかり整地され、何十本ものプラタナスが代わりに植えられている。
ラブタームーラには公園がたくさんあるが、その中で最も大きいのがこの中央公園だった。
「おや、向こうから来るのは美奈子じゃないか」片方が言うと、
「うむ、そのようだ。小さな子を連れておるな。あれはどこの子じゃろうか。少なくとも、わしの見たことのない子供じゃが」
美奈子は緑の手を引きながらのんびりと歩いてきた。その緑は、手におもちゃのバケツとシャベルをぶら下げている。
すぐ近くにも公園があるのだが、砂場があるのは中央公園だけだった。
今日は砂遊びに来たのである。
「こんにちは、ニレのおじいさん」美奈子は二本の木に挨拶をした。
「やあ、こんにちは。いい帽子をかぶってるのう。それなら暑さもいくぶんはしのげるじゃろう」
「その子はどこの子じゃな? 見かけん顔じゃが」
「この子は緑。わけあって、こっちの世界へ来てしまったの」
「わけ? はて、わけとはいったいどうしたことじゃね?」
そこで美奈子はこれまでのいきさつを説明した。
「ここから西に博物館があるのは知ってる?」
「ああ、知ってるとも」
「そこにね、百虫樹って魔法の木があって、わたし、うっかりそこに封印されていた魔法昆虫を逃がしてしまったのよ。魔法昆虫のこと、聞いたことあって?」
「もちろんじゃよ。わしらがまだ若木だった頃、それは悪い魔法使いがおってな。そやつめ、魔法昆虫をこしらえてラブタームーラを我が物にしようと企んだのじゃ。燃えるホタルのおかげで、わしらの森はあちこち焼かれたもんじゃ。実のところ、わしらも危なかったんじゃぞ。間一髪のところで、偉い魔法使いが止めに入り、なんとか助かったんじゃ。あれはラブタームーラ史上、最悪の出来事じゃった」
「で、それとその子とどんな関係があるというんじゃね?」
「あのね、封印された繭を触りながら願いを言うと、それがかなってしまうの。あたし、たまたま『弟が欲しい』って言いながら封印を解いてしまったものだから、この子が別の世界から来てしまったってわけ」
「それはまた運の悪いことじゃ。博物館の館長は何をしておったんだか」
「用事があって、たまたま鍵をかけ忘れてたんだって。わたし、ある事情から、どうしてもその部屋に入らなくちゃならなかったのよ」
「なるほど、なるほど。そしてたまたま百虫樹とやらに触れてしまったのか」
「この子を元の世界へ戻すには、あたしが逃がした魔法昆虫を捕まえて繭に戻さなければならないの。今までに2匹捕まえたわ。でも、そのどちらでもなかった、ってそういうわけ」美奈子は話し終えた。
「早くその魔法昆虫が見つかるといいな、美奈子や」
「ええ、ほかのみんなも手伝ってくれているから、すぐだと思うわ」
「今日はえらく暑いから、ときどきはわしらの元へ来て休むといい。ここはいい木陰ができるからのう」
「ありがとう、ニレのお爺さん達」
美奈子と緑はさっそく砂場へと行った。
「バケツにね、こうやって砂を詰めるの」美奈子はシャベルでバケツに砂を入れ始めた。山盛りになると、シャベルでパンパンと叩いて平らにする。
「これを逆さにして空けると、ほら、あんたの好きなプリンの出来上がり!」
「わー、プリンだ、プリンだっ」緑は大はしゃぎだった。
「ねえ、緑。バケツに水を汲んできてくれない?」美奈子が頼む。緑が水を汲んでくると、「これを砂の上に撒くの。そうすると、砂が崩れにくくなるのよ」
美奈子は砂の山を作ると、そこにバケツの水をザーッとこぼす。
「おねえちゃん、次は何を作るの?」
「お城よ。2人でお城を作ろう」
濡れた砂をペタペタとこねながら、2人は城を作っていった。さすがに、絵本に描かれているような城とまではいかなかったが、だんだんとそれらしい形に整えられていく。
ようやく城が出来上がった頃には、美奈子も緑も汗びっしょりだった。
「完成! ここにはね、王様と王妃様、それに王子さまが住んでるの」
「ぼくも中には入れたらなぁ!」
さんさんと輝く太陽のおかげで、城はすぐに白く乾いていった。けれど、たっぷり水を含ませたおかげで、少しも崩れる様子はない。
「お城の周りにはお堀も作らなくっちゃ」
「お堀って?」
「敵が攻めてこないように、川を作るのよ。緑、また水を汲んできてちょうだい」
その間、美奈子は城の周りを掘り始めた。溝はすっかり、城の周りを取り囲む。
緑が両手でよいしょ、よいしょと水を持ってくると、その溝に水を流し込む。
「ほら、お城の周りにお堀ができたでしょ?」もっとも、砂地なのですぐに染み込んでいってしまったが。
そのときだった。城から突然、輝く棒のようなものが突き出した。まるでガラスのように透き通っていて、虹色にきらめいている。
「あら、何かしら?」美奈子がそれをつまみ上げようとすると、城は突然崩れ、中から大きなカマキリが現れた。
全身が透明でキラキラと美しい光を放っている。
とっさに美奈子は、館長の言葉を思い出した。シャリオルスティカ・パリアクス――すべてを切り裂くカマキリのことを。
「緑っ、離れて!」2人は砂場から逃げ出した。
「おねえちゃん、どうしたのっ?」びっくりした緑は、走って逃げる途中、つまずいて転んでしまった。
「魔法昆虫よ! それも、とびっきり危険なやつ」そんなカマキリを、美奈子はもう少しで触るところだったのだ。
「いいこと? あのカマキリをじっと見ていてね。わたし、急いで網とカゴを持ってくるから。絶対に近寄っちゃダメよ」
美奈子はそう言うと、家に向かって駆け出していた。ここから家まで走って帰って5分ほど。それまで、何事もなければ言いがと願うのだった。
ダイヤモンドカマキリはゆらゆらと体を揺らしながら砂場を上がっていった。砂場の縁でカマをヒュンと振り下ろすと、たちまちすっぱり切れてしまった。
緑は用心深く後を追いつつ、決して目を離さないぞと心に決めるのだった。
草花の植えられた花壇も、岩も、カマキリはまるでバターでも切るかのように真っ二つにしてしまう。
とうとうプラタナスの林へとやって来た。それらも、なんの造作なく切り刻んでしまった。歩みこそゆっくりだったが、目の前にあるすべてを邪魔者と認識し、スッパスッパと切って進む。
やがて、2本のニレの木のそばまでやって来た。
「おい、こっちへ来るでない。やめてくれ。わしらまで切り株にされてしまう」
「誰か助けてくれんかー。わしら、この場を動くことができんのじゃ」
しかし、そんな言葉を聞き分けるカマキリなどではなかった。まっすぐニレの木に向かっていく。
あとちょっとでカマが触れると思ったその時、とんでもないことが起こった。
緑がつかつかとやって来て、むんずとダイヤモンドカマキリをつかんだのだ!
「ふう、やれやれ、助かったわい」ニレに手があったとしたら、きっと額の汗を拭っていたことだろう。
ほどなくして、美奈子が息せき切って掛けてきた。手には魔法の網とカゴを持っている。
彼女の見た公園は、それは悲惨なものだった。カマキリの通った道筋に沿って、何もかもが切断されている。
プラタナスの木など、5、6本は倒れ、虚しく地面の土を葉でこするばかり。
「なんてこと!」
けれど、驚きはそれだけではすまなかった。ふと、その先を見ると、緑がぼんやり立っている。そして、その手の中には、あの恐ろしいダイヤモンドカマキリが!
美奈子は声にならない叫びを上げて駆け寄ると、大慌てで虫かごを開け、カマキリをなかに閉じ込めた。
「あんたっ、なんて怖いことをするのよ。死んだらどうするつもり!」いつになく恐ろし剣幕で怒鳴る美奈子を見て、緑は思わず涙をこぼし始めた。
「だって、あのニレのおじいさん達が危なかったんだもん」
「そうじゃぞ、美奈子。そんなに怒るもんじゃない」
「この坊やのおかげでわしらは助かったのじゃ」
それでも美奈子の心臓はドキドキをやめず、そのうち全身の血が足りなくなって、その場に倒れてしまいそうだった。
「カマキリのカマが、あんたの手に届かなくって本当によかったわ。一瞬、自分が切り刻まれた気がしちゃったわよ」
ともあれ、危険な魔法昆虫は捕獲に成功した。同時に、緑はいざとなると、何をしでかすかわからないことも、よくわかったのだった。
その足で博物館へ行くと、館長が目を丸くして驚いていた。
「こいつを? おまえさんが? 捕まえたというのかね?」
「正確には、緑がわしづかみしたんです!」興奮冷めやらぬといった口調で美奈子は言った。
「なんて無茶な! それとも勇気と言うべきか!」
「ただの無茶よ。ほんと、この子はばかなんだから!」
「ラブタームーラ3丁目にも、かつては山があったそうだ」と館長。「だが、こいつ1匹のせいで1本残らず木を切られ、丸坊主にされたという。まあ、そのおかげで山は取り崩され、いまの平地が広がっているわけだが」
「ほかの魔法昆虫についてはわかったんですか?」少し落ち着きを取り戻した美奈子が聞く。
「いいや。どうやら鳴く虫らしいことはわかったのだが、まだそれ以上は」
「とにかく、このカマキリを繭に封印しちゃってください。見ているだけでもゾッとするわ。こんなに美しいのに、なんて邪悪なのかしら」
館長は肩をすくめながら、ダイヤモンドカマキリを繭に戻す。
今回も緑は消えなかった。この魔法昆虫ではなかったのだ。美奈子は改めて、ほっと息をつくのだった。
*次回のお話*
11.タイフウ