その依頼内容は
五日。
それは僕が探偵助手という少し変わったバイトに慣れるには十分な日数であり、すっかり事務所に置いてある家電製品の扱い方にも長けてきてしまった。
僕が事務所に来てまずすることといえばコーヒーを淹れることだし、洗濯物が溜まっていたら洗うのも僕だし、テレビのリモコンがないと喚くアイリにてめぇがさっき僕に投げたんだろうがと怒鳴りつけるのも僕の仕事である。
…………さすがに我慢強い僕にも、限界というのは来るので意を決してアイリに尋ねてみた。
「探偵ってさ。こんなに依頼ってこないもんなの?」
するとその探偵は、こちらに見向きもせず答えた。
「んー、確かに最近全然こないわね。かれこれ三か月くらい?」
「そんなに!?」生活費とかどうしてたんだよ。
「まぁ、普通に生きていくぶんには稼いでるから大丈夫よ。本音を言うともう少し依頼が来てほしいとは思ってるけどね」
「……仕事ないときは何してんの」
「テレビみたりネットしたり昼寝したり」
「ニートじゃねぇか!」
いくら依頼が来てないとはいえ、もう少し何かやることあるだろ!
そこでふと、ある疑問が浮かんだ。なんだか今更な感じがするけど、聞いてバカにされないだろうか。
「アイリって、学校には行ってないんだよね?」
「いまさら?」鼻で笑われてしまった。「必要最低限の勉強はしてるから別にいいの。もしかしたらあなたより頭いいかもしれないわよ?」
んなことあるわけねぇだろ。…………ないよね? 自信を持って言いきれないのが僕の情けないところ。
てか、さすがに学校くらいは行っといたほうがいいんじゃないのか?
アイリが何歳なのかは知らないし、本人も憶えていないのだろうけど、それでもずっと事務所で依頼だけをこなしていくというのはなんだかあまりよくない気がする。
「そんなことよりコーヒーがなくなったわ。おかわり」
「はいはい」
空になったカップを受け取る。
アイリのことは、アイリの問題だ。今は僕にできることをしよう。それがコーヒーを淹れることだと考えると、少し悲しくなってくるけれど。
「……スバル。コーヒーをもう一杯用意して」
急にそんなことを言われたので、少し驚いた。まさか二杯同時に飲むわけがないだろうし、なんのためだろう。
「……僕別に今飲みたいとか思ってないよ?」
「ばか、だれがあなたのぶんなんて言ったのよ」
ですよね。……じゃあ、なんで?
「よかったわね。あなたお待ちかねの、お客様よ」
ゆっくりと、ドアの開く音がした。
そのとき僕が考えたことは、いらっしゃいませとか言ったほうがいいのかなという、大変くだらないことだった。
僕が助手になってから初めてきた依頼人は、近くの大学に通っているという女性だった。
その人はアイリに促されるままソファに座ると、やがておずおずと口を開き始めた。
「話には聞いてたんですけど……ほんとうに女の子がやってたんですね」
「何かご不満かしら?」
「い、いえ……。でも、その……大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。この九条愛梨、依頼を達成できなかったことは一度もないわ。……ほら、助手。なにボサッとしてんの。挨拶くらいしなさいよ」
「あぁ、うん。探偵助手やってます、星宮昴です。って言っても、つい最近ここで働き始めたばっかなんですけど」
「ほ、堀山七海です。よろしくお願いします」
「それで、今日はどういった用件で?」
二人はテーブルを挟んで向かい合い話している。僕は七海さんの前にコーヒーを置き、アイリの後ろへと下がった。
七海さんはペコリと軽く会釈をすると、ゆっくりと語り始めた。
「私今、ストーカーの被害にあってるんです。大学からの帰り道、後ろから足音がしたり……」
その依頼内容は、思ったよりまともそうで僕は安心する。
なんせあのシンヤさんが紹介してきたバイト(しかも探偵助手というふざけたもの)なんだから、アマゾン川でピラニアを釣ってきてくださいみたいな依頼がくるんじゃないか、くらいの覚悟はしていた。
それがストーカー被害だというのだから、なんだか肩すかしをくらったような気分である。
「それで?ただのストーカー、というわけではないのでしょう?」
「…………はい。足音に交じって、獣の鳴き声みたいなものも聞こえてきて……」
「獣の鳴き声、ね……」
…………あれ?
まともだと思ってたものが、だんだん怪しくなってきた。
アイリは顎に手をあて、何か考えている様子である。
そうか。ここはやっぱりこういう普通じゃない依頼がくるところなのか。ちょっとでも期待した僕が馬鹿だった…………
「野良犬に好かれただけなんじゃないですか?」僕は事務所内になんとなく漂う暗いムードを払拭すべく、そんなことを言ってみる。
「そんなんじゃないです!!」
「スバルはちょっと黙ってて! こっちはマジメに話聞いてんのよ!!」
怒られてしまった。当たり前か。
アイリはふぅと息をつくと、七海さんを見据えた。
「わかった。じゃあ明日から早速、大学から家までの帰り道、あなたを護衛する。そして犯人を必ず捕まえるわ。これでどうかしら?」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
こうして、アイリによると約三か月ぶりの探偵業務が始まったのだった。