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王女の私室に入ってすぐ、窓辺のテーブルで読書をしていた友人と目が合った。午後の日差しを受けて輝くゴールデンブロンドが光に透けて美しい。彼女の美貌もあり、窓辺一帯が一枚の絵画のようだ。
「フェデリカ、久しぶりー。今大丈夫?」
「まあ。いらっしゃい、ナーナ。どうぞこちらへ。久しいですわね。会えて嬉しいわ」
どこか神々しさを放つ王女に砕けた挨拶をすると、彼女は薔薇のように微笑んだ。はあ、相も変わらずどえらい美人さんだこと。さっすが「国の宝花」。一国の王女様と友達になるなんて、日本に居た頃は考えられなかったなあ。
私が入室してきたのを見とめ、フェデリカの側に控えている三人の侍女が深々とお辞儀をしてきた。んもう、そんなに畏まらなくていいのに。
「フィーネちゃんもリッテちゃんもアイリーンちゃんも久しぶりー」
うら若い三人の侍女へひらひらと手を振り、声をかける。フェデリカと仲良しなのもあり、王女専属侍女とは面識があった。「面識」といっても、私は顔を隠しているので一方的なものだが。
「お久しゅうございます、ナーナ様」
澄まし顔で静かに頭を下げるフィーネちゃん。
「ご、ご、ご無沙汰しておりましたナーナ様」
顔を真っ赤にしてどもるリッテちゃん。
「ナーナ様、お久しぶりです!」
明るく元気に、人懐こく笑うアイリーンちゃん。
現在室内にいるこの三人とは、王女専属侍女の中でも割りと話す機会が多かった。かつ、三人とも顔も性格も良い味出しており、私は彼女たちに好感を抱いている。妹とか、後輩を愛でる感じで。
それなのに、この子たちったらいつまで経っても「様」付けするんだもんなあ。何回も「さん」でいいって言ってるのに。お姉さん寂しいよ。……や、まあ、こんな職業してるからしょうがないんだろうけどね。「魔導師様」から「ナーナ様」になっただけよしとしよう。
「あらあら、皆もナーナに会えて嬉しそうですわね。だけどごめんなさい、下がってもらえるかしら。二人で話したいことがありますの」
(二人で話したいこと? なんだろ。何週間も会ってないから、積もる話でもあるのかな。もしかしてノロケ?)
私も引っ越しが決まったことを伝えたかったので、フェデリカと二人きりになれるのは願ってもないことだ。
柔らかに笑って詫びたあと、フェデリカは侍女たちへ退室するよう命じた。
三人の侍女は「かしこまりました」と一礼し、列になって出て行く。聞かれたくない話をするので仕方ないが、久しぶりに会えたのにすぐバイバイなのは残念だ。彼女たちを「またね」と見送り、私はフードを脱いでフェデリカの掛けているテーブルへ近付いた。
「なになに、二人で話したいことって」
「急かさないでくださいな。さ、お座りになって」
フェデリカは今しがたまで読んでいたと思われる本を卓上へ置き、着席を勧めてくる。背もたれの長い白い椅子へ腰を下ろし、私たちは向かい合わせになった。
柔らかだった彼女の雰囲気が、ほんの少し違う色を含む。薔薇のような笑みを消し、フェデリカは真顔になっていた。どうしたというのだろう。
「最近、どうですの?」
透き通ったブルーアイズが探るようにこちらを見ている。フェデリカは私に何か聞きたいことがあるようだ。
「どうって、何が」
「変わったことはおありになって?」
「えー? 別に何も。出会いもなければ刺激もない、のんびりまったりした日々を過ごしてるよ」
彼氏ができたわけでも、好きな人ができたわけでもなければ、生活環境が変わったわけでもない。事件に巻き込まれてもおらず。今度引っ越しをするくらいだ。
色々考えてみて、ふとあることを思い出す。私はニヤっと不敵に口角を上げ、口を開いた。
「あ、友達が結婚したくらいかなー」
わざと語尾を伸ばし、からかうように言うと、フェデリカは目を見張って頬を紅に染める。やーだーもうこれだから新婚さんは。幸せそうで何よりですね。引っ越しのことは冷やかしてからにしよう。
「な、何を言ってますの。わたくしが結婚したのは最近でなくてよっ」
「いいよねえ、長年好きだった幼馴染と、愛の聖祭に挙式なんて。国中の乙女の夢だよ」
フェデリカとベルンハルトが結ばれた四月十四日は、女神パスチェが人に愛を教えたとされる世界的な祝日で、各国で「愛の聖祭」が開催されている。その日、夫婦やカップルはお揃いの洋服を着て、パスチェに縁のある花を撒きながら道を練り歩くのだ。
え? 私は参加したことないですよ。レサ・ハルダに来てから彼氏いませんから。けっ。
「あーうらやましー。いいなあ結婚。今日は旦那様といちゃいちゃしなくていいのー?」
テーブルに両肘を乗せ、頬杖をつく。フェデリカに私の行儀の悪さを咎める余裕はないようで、「お黙りなさいな」「いちゃいちゃなどしていません!」と恥ずかしがっている。近しい人物にしか見せない彼女の表情だ。
「王女」という立場もあり、なかなか地が出せない王女殿下。聡明で凛としている彼女も、中身は一人の人間だった。実はツンデレ属性のいじられキャラで、よくターニャさんにからかわれていたりする。……私もたまにちょっかいかけてしまうが。
「今はわたくしの話をしているのではありませんわ! あなたのことよ!」
羞恥心がそのまま顔に出ているフェデリカが、今にも身を乗り出しそうな勢いで大きな声をあげる。ほんと、こうしてるとただの女友達なんだよね。美人には変わりないけど。
「だから、私は何もないんだってば。悲しいくらい平々凡々」
「ターニャから贈り物を貰ったのでしょう!?」
(あれっ、ターニャさんに家を貰ったの、フェデリカも知ってたんだ。フェデリカには言うつもりだったからいいんだけど、ターニャさんから聞いたのかな?)
姉御な上司は私へ贈り物をした事をどのくらいの人に教えているのだろうか。できればここだけの話にしておいて欲しかったなあ。大勢に「大した記念日でもないのに大層なプレゼントを受け取った厚かましい奴」と思われるのは苦々しい。や、思ってないかもしれないけど、私、「気にしい」だからどうしても気になるんだよね。
(あー、この話をするから人払いしたんだ。あの子達は私の素性を知らないから)
私は頬杖を解き、目を丸くして「知ってたの?」と聞き返す。返ってきたのは「当然ですわ」という力の入った言葉だった。知っているなら話は早い。はからずもあの家の話題になったことだし、引っ越しについて伝えておこう。
「慎み深く型にはまった性格のあなたが受け取るとは思いませんでしたけれど、たまには思い切るのも良いことですわ。ただ、無理はなさらないようにね」
「いや、断ろうとしてたんだけど、ターニャさんに負けちゃって。あんな素敵な贈り物を頂いて申し訳ないよ、ほんと。引っ越しも決めちゃったし」
ふう。と、溜息を吐いてうつむく。向かいから聞こえたのは、ギョッとしたような声だった。
「す、素敵、ですって? ……そ、そう。あなた、ああいうのが好みでしたのね」
(え、何その反応。そこに食いつくの?)
引かれたような、驚かれたような思いがけない友人のリアクションに、こっちも驚いてしまう。てっきり、引っ越しの方に食いついてくると思っていたのに。
(あの家のこと言ってるんだよね? 荒れ放題の家を素敵って言ったから、私の趣味が疑われてたり? ていうかフェデリカ、引っ越しのこと知ってたのかな? ええー、それはないわー。だって今日決まったばっかりなのに)
「何、その反応」
「ごめんなさい。ナーナの好みを誹ったつもりはありませんの。気を悪くしないで。好みは人それぞれですわ」
やっぱりそうか。フェデリカめ、失礼なことを。あの家、掃除したら絶対綺麗になるんだからね。庭だって今は草ぼうぼうだけど、そのうち立派な畑や放牧地を作ってみせる。
「私にはああいうのがいいの。一から理想に近づけていってやるもんね」
言葉にちょっと刺を含ませて、ふてくされたように言うと、フェデリカがブルーアイズをパチパチ瞬かせた。
「まあ、ナーナ。あなた、そう考えていたの? 自分で理想に仕立て上げていくなんて、やけに積極的ね。意外だわ」
「私だってやるときはやるんですー。それよりフェデリカ、もしかして引っ越すこと知ってた?」
「いいえ、たった今ナーナから聞いたばかりですわ。ですけど、贈り物を受け取った以上はそうなるだろうと考えていました」
何? 読まれていただと? やるなフェデリカ。
「そうだったんだ。なんか微妙な気分」
「良くも悪くも、あなたは押しに弱いですからね」
(あー……私がターニャさんに負けたのはお見通しなのね)
「押しというか、ターニャさんが特殊なんだよ。姉御攻撃とかお色気攻撃とか」
「……彼女らしいですわね」
ターニャさんが持ち前の姉御肌やお色気を発揮し私に迫る光景が浮かんだのか、フェデリカは気の毒そうな顔をした。
「上手く躱せない私も悪いんだけどね。それにターニャさんの場合、良かれと思ってしてくれてるからさあー。強く断りにくいんだよね。上司だし」
この国でこんな風に腹の中を話せるのは、フェデリカくらいかもしれない。私の交友は深く狭くなので、彼女のような存在は貴重だ。
「ナーナは気を遣い過ぎなのです。それでは心労が溜まるばかりですわよ」
ジト目で声を尖らせる王女。一見お小言を言っているように見えるが、それは違う。彼女が何を言わんとしているか分かる私は、自然と口元を緩ませた。
「分かってる分かってる。昔っからだから今更どうしようもないよ。ちゃんとストレス発散してるから大丈夫」
「心配してくれてありがとう」とにっこり笑って言うと、フェデリカは白磁に戻っていた頬を再び色付けた。
「わ、わたくしは心配なんてしていません」
我が友人の王女殿下は、ツンデレちゃんなのだ。
*
お互いの近況を報告し合い、真面目な話から他愛のない雑談、ノロケ話(もちろんフェデリカの)まで幅広く盛り上がったもんだから、あの後一時間ほど王女の部屋に居てしまった。もう辺りはオレンジ色になっている。
久しぶりに友人に会えて、おしゃべりができて良かった。ベルンハルトとは上手くやっていってる──むしろ超絶ラブラブなようで(フェデリカは顔を赤くして否定していたが)、新婚生活に問題はなさそうである。はい、ごちそうさま。
国内外の情勢や城内の出来事も聞いたのだが、一番驚いたのは王女専属侍女の一人、利発で物静かなフィーネちゃんが半年後に結婚するということだ。それも恋愛結婚。彼氏がいるのは知ってたけど、まだ十八なのに結婚って。
や、ペッカイナ島やお隣のレミス大陸では十八から二十の間に結婚する人が多いので早婚ではないのだけれど、平均結婚年齢が二十代後半の日本で生きてきた私からすると結構早く思える。だって十八だよ? まだ高校生くらいじゃない。若い若い! 「成人」とされる年も低いしさあ。日本じゃ二十歳なのに、ここいらでは十五歳で成人だよ。元服か!
……っと、まあ、「今度フィーネちゃんに合ったら根掘り葉掘り聞いてやる」というおばちゃんじみた決意を胸に秘め、嫁入りを羨ましがった私。さっきも言ったとおり、この辺じゃ二十代前半となれば配偶者を持ってるのが当たり前だから、二十四の私はそろそろ行かず後家になっちゃうんですよ! 実際色んな人に「早く結婚した方がいい」とか「結婚はまだか」とか言われてますからね。ふん!
フェデリカに続きフィーネちゃんと、周りの人間が結婚決まっていくの見てたら、早く好きな人、いや、恋人を作らないとと焦るわけなんです。ああでも、結婚なんかしちゃったら日本に戻りにくいよなあ。さすがに愛する旦那さんを置いてまで日本に帰るのは、ちょっとできそうにない。
千年に一度の次元の歪に吸い込まれてこの世界に来た私が元の世界に帰るのは、広漠とした砂漠で小石を探すほど困難な事だとお師様に言われているので、もうあそこには戻れないんだと思ってる。
けれど、レサ・ハルダには神秘が満ちていて、いつ何が起こるか分からない。
万が一で突然、私の居た世界に、時代に、場所に帰れるようになった時、私は喜び勇んで帰還を選択できるだろうか。……きっと無理だ。かなり悩む。
もう五年もレサ・ハルダで暮らし、私には捨て去れないものが幾つかできてしまっていた。
国や人との繋がり、魔導師としての重要な仕事、守るべきもの──……それらは絆や責任、義務となって私を縛り、簡単には断ち切れなくなっている。そこに「夫」や「子供」が加われば、鎖はより強固になるだろう。
……ま、別にそうなったってかまわないかなーって思えるくらいになってるから、未婚の自分に切迫を感じてるんだけどね。いっそペッカイナに骨を埋めるのもいいかもしれない。埋骨は景色の良いソウノン丘にしてもらおう。
だいぶ話が脱線したが、ゴールインを羨み「私も早く結婚したい」とテーブルに突っ伏す私に、フェデリカが小さく何か言った。よく聞き取れなかったけど、「そのうちできるよ」みたいなことだった気がする。
顔を上げると、フェデリカが音も立てずに椅子から立ち上がっていた。どこか神妙な面持ちで書棚に向かい、引き出しから巻紙のようなものを持って私の方に戻ってくる。それを「わたくしからの記念日の贈り物です。よく考えて神殿にお出しなさいな」と手渡され、訝しみながら紙を広げてみると。
なんとまあ、「婚約届」と「婚姻届」の二枚がありましたとさ。嫌味かいっ!
とりあえず礼を言い(心? あんまり込もってないです)、「まだまだ先になると思うよ」とむくれる私に、フェデリカは「そうならばいいのですけど」と、何やら物憂げな視線を投げかけてくる。
どうしたのか尋ねようとしたところでフェデリカの旦那、次代の王ベルンハルトが来たもんで、時間も時間だったから、私は「お邪魔しました」と胸がつかえたまま友人の部屋を出たのであった。
手に二つの届出を持って。