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彼と私の二重奏  作者: POMじゅーす
1.降って沸いた受難曲(パッション)
5/30


 私がターニャさんの執務室を出たのは、時計の針が二時を回った頃だった。おいしいパルミーと紅茶をたらふく頂いたおかげで、今日は昼抜きでもいけそうだ。余裕で夕飯までもつ。逆にお菓子食べ過ぎて太らないか心配なくらいです。

 署名をしたあと、サイン済の誓約書(「本人控え」分)と、家と土地の権利書、それに家の鍵を渡され、ターニャさんから軽く説明を受けた。

 家の場所だとか、部屋の間取りだとか、庭の広さだとか、近所の軒数だとか、近場のお店だとか──色々。話を聞いているうちに私は貰い受けた一軒家に興味を持ち、帰りに寄ってみることにした。

 階段を降りようとしたところで友人である王女に顔を見せに行こうか迷ったが、彼女は絶賛蜜月中。最近になってようやく国務や公務が落ち着き、旦那様との時間を作れるようになったとターニャさんから聞いていたので、今日のところはやめておくことにした。新婚さんの邪魔しちゃ悪いよね。

 赤い絨毯の敷かれた階段をずんずん下り、一階に到達。昇りと違って息が上がらないのがいい。体もしんどくないし。

 守衛兵や使用人の痛い視線を足早にくぐり抜け、「国守魔導師ナーナ・フィモル」から「一般人モリー・ナーエ」に姿を変えられる物陰を探す。

 が、ちょうど城内巡回の時間なのか、守衛兵があっちもこっちもうろうろうろうろ……なかなか良い所が見つからない。

 人気ひとけのないスペースを探すうちに、いつの間にか普段は行かないエリアに足を踏み入れてしまっていた。遠くから「やあっ!」「せいっ!」など、男の人の暑苦しい掛け声や、たくさんの金属音が聞こえる。

(あれ、もしかしてこの辺って訓練所の近く? 兵士を避けてるはずだったのに、なんてこったい)

 二年も城に出入りしといて、恥ずかしいことに私は城の内部構造を覚えきれていなかったりする。

 どこにどんな施設があるかは大体分かっているのだが、詳しい配置を知らなければ、張り巡った通路に繋がる先も知らない。

 それもこれも、人目を避けるあまりに城内を歩き回らないからだ。また、そうする必要が私にはなかった。

 私の職場は決まった場所にあり、城での用事は大抵そこで済んでしまう。他に私が城の中で行くとこといえば、王女の私室やターニャさんの執務室、書庫に会議室くらいなもんで。あ、たまーに仕事で環境管理課とか国防管理課にも顔を出すことがあるけど、一年のうち数回くらい。

 日本では縁のなかった西洋風の素敵なお城。城内探検したいという気持ちがないわけではないが、魔導師の格好でぶらつけば周囲の目が刺さり、一般人の格好でぶらつけば不審に思われ、どうにも良い具合にいかないのである。

(おっ、いい場所みっけ)

 訓練所の近くということですぐさま回れ右して退散しようとした私の視界に、こんもりとした草薮が入った。しめしめ、ありがたいことに建物の影になっているじゃないの。

 あたりを見渡すも、誰もいない。神経を研ぎ澄まして気配を探るが、近辺に人間はいなさそうだった。

 物陰探して何十分も足を動かしていた私は、ようやく見つけた変身ポイントに嬉々として身を潜める。音を立てないよう、そうっと。

 草薮は以外に浅く、抜けた先に一畳ほどの草地があった。左は建物、右と後ろは城の外壁、前は草薮。隠れるにはお誂えむき。着替えるのにも十分な空間だ。

(へえ、こんな場所があったんだ。覚えておこう。……忘れなかったらいいけど)

 上から下まで纏っていた深緑のローブを素早く脱いで、スカートの中にしまい込む。腰からお尻にかけてローブをぐるんぐるんに巻くから、ごわごわするったらありゃしない。

 ローブがずり落ちないようしっかり固定し、服装の乱れを直しにかかる。襟元に刺繍が施された白いブラウスに、膨らみのある紺の膝丈スカート。ペッカイナ王国で一般的な女子の服装だ。

 最後に肩掛け鞄から手鏡を取り出し、金髪ウィッグの位置調整。自毛の黒髪はちゃんと金色に埋もれている。うむうむ、いい感じだ。ウィッグに軽く手櫛を通して、はい完成。

 じゃじゃーん。ペッカイナ王国一般国民のモリー・ナーエでーす。ちなみにこの名前は私の本名である「桧森七恵」を欧米っぽく噛み砕いたもの。我ながら良い偽名を考えたと思う。

(これでやっと城から出れる……。早くターニャさんにもらった家を見に行きたいな)

 無事に人知れず「魔導師」から「一般人」に変身でき、緊張感がほぐれ大きな溜息が出てしまった。慌てて口を閉じ辺りの様子を伺うと、一つの足音が耳に入った。距離はまだ遠い。しかし、徐々にこちらへ近付いてきている。

(嘘。き、気づかれてないよね?)

 そーっと手鏡を鞄に戻し、息を殺す。自然に全身が硬くなり、どくどくと鼓動が早くなった。

 誰だろう。見回りの守衛兵? 使用人? 侍従? 変身は終わってるけど、見つかったら面倒だ。こんな、いかにも「隠れてますよー」って所に居たら、そりゃ怪しまれるでしょうよ。今の私は一般人だし、職質されても強く出れない。

 過ぎ去ってくれ。

 祈るように強く願うも、コツコツという硬質の足音は大きくなるばかり。

「直に回廊の曲がり角に差し掛かるはずだから大丈夫」、そう自分に言い聞かせても、早鐘のような心臓は鎮まらない。

 そうして、十秒、二十秒と時間が経って──。

(!)

 ひときわ高く心臓が鳴る。

 音が変わったのだ。コツコツという石の回廊を打つ音から、ジャリジャリ、サクサクという地面を踏む音に。そしてその音は、大きくなり続けている。

 それが何を意味するのか、私に分からないはずがなかった。

 ──サク、サク、サク、サク……。

 規則正しい誰かの足音。

 どんどんどんどん、近づいてきている。私の祈りも虚しく、それは一定のリズムを保っていて。

 サク、サク、サク、サク──。

 ああ、もうすぐそこだ。逃げようにも、左右と後ろは壁。退路はない。風の魔法で宙に浮き、城の外壁を越えることは可能だが、外に人がいたら? モリー・ナーエが「魔導師」だとバレてしまう。

 どうしよう、どうしよう。もしここに居るのが見つかったら、何か怪しまれないような言い訳をしないと。

(猫の声が聞こえたから? ハンカチが風に吹かれて飛んでいったから? なんとなく気になったから? あとは、えーと、えーっと──)

 ドキドキと跳ねる心音。

 サクサクと近づく足音。

 もうね、気分はホラーですよホラー。どこのホラー映画な展開ですかこれ。

 ──ガサ……ガサガサ。

(おわああああああああああこっち来てるー!)

 考えていた言い訳たちが一気にブッ飛ぶ。

 サクサクという足音に混じり、ガサガサという草を掻き分ける音が生じたのだ。しかも、私の眼前で。

 生い茂る草の間に、白と黒の色彩が見え隠れ。それは人の形をしている。

 こんなとき、魔法で透明人間になれたらどんなにいいことか。悲しいことに、レサ・ハルダでの「魔法」は自然を操る力なので、体をスケスケにしたり、壁を通り抜けたりなんかはできない。

 緊張のあまり硬直した四肢はガチンガチン。手には冷や汗、引き攣る顔。ターニャさんが今の私を見たら「情けないねえ」と苦笑するだろう。

 ガサガサ……ガサッ。

 葉が擦れる音も、地を叩く音も止まった。

 草薮からひょこっと上半身をのぞかせたのは、目の下に隈のある、八の字眉の不健康そうな男の人だった。


 *


 草葉の合間から姿を現した男。

 ぎょっとするほど不健康そうな容貌に束の間気を取られたが、私はすぐに彼の服装を目を留めた。

 ペッカイナ王国の兵に与えられる黒の隊服。詰襟部分には選ばれたものだけに許された金糸の国章があしらわれている。あれは──「近衛兵」の証。

 体半分を草薮から出したまま動きを静止している彼は、どうやら近衛兵らしい。

 この国での近衛兵とは、厳しい審査と容赦ない試験に通った生え抜きのエリートで、城の中枢の警備をしたり、王族や高官の護衛をしたりしている。王国の兵士の中で一番上のくらいだ。

(あれ、なんでこんなとこに近衛兵がいるんだろ。いっつも城の最上階か一つ下の階でしか見ないのに)

 城の一階は守衛兵の管轄だったように思うが、この辺りは訓練所や兵舎の近くなので近衛兵がいても不思議はないのかもしれない。あまり城内を歩かないので、よく分からないけれど。

(見つかったものは仕方がない。なんとか怪しまれずに切り抜けないと)

 未だ音を立てている心臓を落ち着かせ、私はこの場をしのぐために気を引き締めた。

「あっ……どうも。こんにちは、兵士様」

 隊服から彼が「近衛兵」であると判断した私は、ヒヤヒヤしている胸の内を伏せ、できるだけ自然に挨拶を行う。決して無理のないハリボテの愛想笑いと、爽やかで明るい声音。どちらも日本での社会人生活で身につけたものだ。……どや?

 ニコリと微笑みかけると、近衛兵は灰青色の双眸を一つ瞬かせる。生気のないぼんやりとした眼差しだったが、灰色がかった淡青の虹彩は綺麗な色合いをしていた。

 彼は私がここに居たことに気付いていたのか、いないのか。少なくとも、驚いた様子はなさそうだった。

「……ここで、何してるの」

 少しの沈黙の後、近衛兵は血色の悪い薄紫の口を開く。

 ぼそぼそとした、低くて聞き取りにくい声だった。

「この奥から猫の鳴き声が聞こえて……気になって茂みの奥まで来てみたんですけど、どこかに行ってしまったみたいです」

 先ほど考えていた言い訳たちの中から適当に一つ選び、軽い口調で嘘を飛ばす。ちょっとばかし肩をすくめてみせ、口角をキュッと上げる明るめの演技付きで。失礼のない程度におどけ、相手の警戒心をとこうとしたつもりだった。

 しかし、彼は無言で草薮からこちら側に出てきて、「入城許可証」となんら表情を変えずにボソッと言った。目尻も口元も上がり下がりはなく、八の字に歪んだ眉もそのまんま。

 彼の眉は文字通り八の字になっており、眉間に深い皺が刻まれていたが、怒っているような気配も、困っているような気配もなく。表情を見て彼の心を読もうとすればするほど、不思議な感覚に陥った。

(……なんなんだろ)

「はい。今出しますね。……どうぞ」

 肩掛け鞄に片手を突っ込み、二枚の厚紙に手をかける。次いで目線を鞄の中に落とし、捺された国章の色が青である方をすっと取り出した。

「……」

 近衛兵は私の下級入城許可証を受け取ることなく、灰青色の瞳だけを動かした。

 彼が入場許可証を目でチェックしている最中、自分に視線が向けられていないのをいいことに、私は目の前の近衛兵をしげしげ見つめる。観察とまではいかない。あくまでさり気なく、ね。

 何食わぬ顔で視線を上下させ、彼の全貌を捉える。

 下瞼にくっきり浮かぶ濃い隈、青白い肌、血色の悪い薄い唇に、八の字に歪んだ眉。

 私より頭半分ほど高い背には肉があまりついていないようで、隊服の上からでも細身であると見て取れた。プラチナブロンドであろう髪は艶がなく、近くで見ずとも傷んでいることが分かる。

 歳は私とそこまで離れていなさそう。同年代のように見えるが、もしかすると少し上かもしれない。

(病弱というか不健康というか、なんだか病んでそうな人だなあ。兵士らしい覇気もないし、話し方もボソボソしてるし)

 そう思ったところで、不健康そうな近衛兵が視線を上げた。

 私はこれまた何食わぬ顔でニコリと愛想の良い態度を取る。いやあ、歳をとるうちに処世術が身についてしまうんですよねー。悪気がなくても勝手にうまいこと立ち回ろうとしてる自分がいるんですもの。怖い怖い。

 ……。

 ……。

(……?)

 入城許可証から目を離した近衛兵は、何を言うでもなく今度は私に虚ろな眼差しを向けている。じーっと。

 彼は私の方を見ていて、私も彼の方を見ていて、私たちの視線は交わっている……はずなのに、奇妙なことに目が合っている感じがしない。この人、いったいどこを注視しているんだろう。焦点から言うと、私の顔のはずだよね?

 不思議だ。全くもって不思議だ。生気の欠けた瞳孔がそうさせているのか。

 しっくりしないまましばらく顔を合わせるが、彼からのアクションは特になく。

 もう数秒、いや、十秒は経ったというのに、彼はまだ灰青の瞳をこちらに注ぎ続けていた。

(な、何? 何事?)

 今しがた彼に目線を走らせていたのがバレていたのだろうか。それとも、不審者ではないか疑われているのだろうか。または、入城許可証に記された「モリー・ナーエ」という名を見て私がターニャさんの召使だと認識し、珍しがっているのだろうか。

 或いは。

(まさか、ヅラがずれて黒髪が見えてるとか!?)

 ドクン。心臓がぴょんと跳ね、思わず頭へ伸びそうになった手を寸でのところで止める。

 引っ込みそうになった愛想笑いをなんとかこびりつけたままにし、私はそっと声を出した。

「……あの、どうかなさいましたか?」

 今までの演技を台無しにしないため、努めて人当たり良く言った──つもりだったのに。

 言うなり、不健康そうな近衛兵は露骨に視線を逸らして、無言で回れ右をした。その顔に浮かぶ表情は、彼を初めて見た時と微塵も変わっていない。

 あれ、何か気に障った? と悩む間もなく、彼はそのまま草薮に入ってゆく。

「えっ? あの、ちょっと」

 近衛兵の予想外の行動に呆気にとられ、思わず素が出てしまったが、彼は戻る事もなくガサガサ茂みを抜けていった。

(ど、どういうこと? 何が起きたわけ? 私、まずい態度とっちゃった? ヅラが見えてたとか? てか、これから職質なしで普通に帰っちゃってもいいのかな? 追いかけた方がいいの? 訳が分からない)

 脳内をぐるんぐるんと疑問が巡る。

 クエスチョンマークいっぱいの私を残し、足音だけが規則的に遠ざかっていった。

(ど、どうしたらいいんだっ)


 *


 不思議で不健康そうな近衛兵との腑に落ちないやり取りの後、彼に戻ってくる気配がなく、かつ彼が誰か他の兵を連れてくる様子もなかったため、私は速やかに退城した。

 ちなみに、草薮を出る前に再度手鏡を見てみたが、ウィッグから黒髪は零れていなかった。彼に驚きの反応もなかったので、おそらく髪の色を偽っていることはバレていないだろう。

 城門まで行く間も、城門で退城手続きをする際も、城の兵士に止められることはなく。あの近衛兵は私を無害だと判断したのか、他の兵には何も告げなかったらしい。……いや、ただコソコソ着替えてただけで、別に悪い事はなーんにもしてないんだけどね。

 まあ、おかげで私は滞りなく白亜の城から出られたのであった。

(……にしても、あの人、ひ弱そうで病んでそうで変な人だったなあ)

 傾き始めた陽を背中に、あの近衛兵のことを思い出しながら煉瓦道をカツコツ歩く。

 下瞼に刻まれた濃い隈、白く青い肌、薄紫の唇に、八の字に歪んだ眉。ガリガリとはいかないが、肉付きの悪い痩身に、艶のないプラチナブロンド。

(あんな人、近衛隊に居たっけ?)

 記憶を手繰ってみるが、今日以外で彼に会った覚えはない。私が忘れているだけなのか、最近入隊した人なのか、ただ単に会う機会がなかったのか──とにかく、城の上層であの近衛兵を見かけた事は今までにないと思う。

 ひ弱そうで不健康そうで病んでそうな近衛兵なんて、珍しい。おまけにあの不思議な行動……なんなのだろう。

 彼に深入りしたいとは思わないが、なんとなく興味が沸いた。ああ、私も二十五。詮索好きなおばちゃんの境地へ片足突っ込んでるのかもしれない。

(今度ニコ隊長かカインさんに聞いてみようかな)

 ちょっとした関心事を心の隅に留め、私はターニャさんから譲り受けた例の庭、畑付き一軒家に足を進めた。


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