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城の敷地内に入った私は適当な物陰を見つけ、スカートの中に忍ばせていたフード付きのローブに素早く頭を通す。このローブは番兵たちに見つかっていない。入場許可証を持っていれば持ち物検査が簡略化されるので、服の中までは確認されないのだ。
フードをかぶる際、金髪ウィッグを外すか外さないか一瞬考えたが、今日は風が少し冷たいのでウィッグはつけたままにすることにした。カツラで暖をとるってどうなのよ。でも首元あったかいんだもん。
別にウィッグはあってもなくても良い。どうせ顔を出すのは私の容姿を知っている人の前だけで、それ以外ではフードはかぶりっぱなしだから。
「魔導師」スタイルに早変わりした私は、文字通りつま先から頭まですっぽり布で覆われた状態。「魔導師」の私を知らない人間からすれば、怪しい奴と思われても仕方がないだろう。私だってこんな格好している人がいたら即行で避けます。
(さ、準備できたし、ターニャさんのとこに急ごう)
周囲に人気がないのを確認して、外壁と城壁の隙間から出る。何事もなかったかのように回廊から城内に入ると、侍従や守衛兵の目をいくつも感じた。
「魔導師ナーナ・フィモルだ!」という、驚きと物珍しさを含むどこか敬遠された視線を受け止めきれない私は、やっぱり城は居心地よくないなと、もやもやしてしまう。
私には、王女やターニャさんのような度量はない。よくターニャさんに「人前でももっと胸を張りな」と言われるが、もともと日本ではごく普通の一般人だったので、注目されることに慣れていないのだ。
「ご機嫌麗しゅう、魔導師様」と深々頭を下げてくる城の使用人。
硬った顔でやけに力の入った敬礼をしてくる守衛兵。
私の姿を見て固まってしまうか、光の速さで廊下の壁に背をつける侍従。
……ああ、嫌だ嫌だ。落ち着かない。
三者三様の挨拶を無視するのも気が引け、ペコっと軽く会釈してそそくさと立ち去る私。後ろからの視線も痛い。
さっさとターニャさんの執務室に行こうと思い直し、回廊から階段へ上がる。二階から上にあがる際、守衛兵から入城許可証の再チェックが入った。毎度のことながら面倒である。いや、「決まりごと」なので文句は言わないけど。
ここで、私の持つ二枚目の入城許可証を取り出し、瞠目している守衛兵たちに見せる。
金の国章の捺されたそれは、「特別入城許可証」。
そして、記されている所有者の名は、ペッカイナ王国国守魔導師ナーナ・フィモル。
階段の脇に立つ二人の守衛兵のうち一人がごくりと息をのみ、もう一人は声を震わせ「どうぞお通り下さい」と言った。もうね、そんなにガチガチになられるとこっちまで構えてしまいますよ。
特別入城許可証は持ち物検査をパスできるため、私はごわごわした手触りの厚紙をしまい、止めていた足を動かした。
「どうも。お勤めご苦労様です」
彼らの労を短くねぎらい、赤い絨毯の敷かれた階段をささっと上がっていく。ああ、また後ろから視線を感じる。痛い。痛いです。耳に聞こえるヒソヒソ声は、多分私の話題なんだろうな。
このどうにも気まずいチェックをあと一回受けなければならないと考えると、それだけで気疲れがどっと増す。
守衛兵さんたち、あんなに気を張らなくてもいいのにな。まあ、ペッカイナ王国における「魔導師」の地位は彼らよりも高いので、「目上の者」への礼節に基づくのはしょうがないのかもしれないが……もう少し神経を緩めてくれた方が私としては嬉しい。
自分たちにない力を持つ「魔導師」が相手となるとそうなってしまうのか? 私もこの世界における魔導師の力やポジションを知った当初は、お師様に対して恐れ敬うというか、一線を引くというか、畏まっていたところがあったもん。
なんというか、異端に思えるのだ。魔力がなく魔法の使えない彼らからすると、「魔導師」というものは得体が知れない不気味なものなのだろう。自分たちとは違うモノへの──未知への恐怖、ってやつなのかもしれない。
(でも、ターニャさんにはそんなにビクビクしないくせに)
城で働く人間が私へ向ける視線や態度は、「当惑」や「恐怖」の色が濃い。対して、ターニャさんに向けられるのは、「尊敬」や「憧憬」、「信頼」など。
同じ国守魔導師なのにどうしてこうも違うのか、と嘆きたくなったが、大半は顔も素性も顕にしない自分のせいでもあるので仕方がない。
溜息を飲み込んで足を動かし続ける。一気に城の四階まで昇り、体力のない私は肩で息をしていた。すぐそこに最後のチェックポイントがあるので、何度か深呼吸を繰り返し呼吸を整える。
(ターニャさんの執務室まであと一階……エレベーターないとほんっと不便だなー)
ぽかぽかする体は微かに汗ばむほど熱を帯びており、ローブの首元をパタパタさせて冷たい空気を取り入れていると。
「よっ、ナーナ。早いお着きだな」
右から色気のあるハスキーヴォイスが飛んできて、私の耳たぶを打った。その声と話し方には聞き覚えがある。
声のした右側へ首を捻れば、真紅のローブを着た一人の女性が視界に入った。
「ターニャさん」
燃えるような癖のある赤髪。砂漠の広がる彼女の母国を思わせる砂色の瞳。彫りの深いエキゾチックでセクシーな顔立ち。ローブの上からでも分かる豊満な体と、すらりと伸びた背。
彼女こそ、ペッカイナ王国国守魔導師長、ターニャ・アランサバル。私の上司であり、今回私を城へ呼び出した張本人だ。三十を越えたというのに、その魅惑的な美貌に陰りはない。
「一時にあたいの執務室に来いって書いといたのに、あんたって子は真面目だねえ。まだ十二時半にもなってないよ」
「いえ、真面目だなんて。手紙に『火急の用』とありましたから、少し早めに来たんです」
廊下の端からこちらへ向かってきている彼女へそう返すと、「それが真面目だっていうんだよ」とクスクス笑われた。いやあ、今日もお色気ムンムンですな。同性なのにドキっとするよ。
「さあ、せっかく早く来てくれたんだ。早速あたいの部屋に行こうか?」
隣にきた彼女は私の肩に手を回し、パチリと妖艶なウインクをする。
(お、おっぱいが……おっぱいが当たってますよターニャさん)
服とローブ越しだというのに、ターニャさんの豊かな胸の柔らかさったらもう──羨ましいを通り越して恥ずかしい。
まあ、これまでにも彼女の胸との接触はちょこちょこあったので、以前のように慌てふためいたり、挙動不審になったり、さり気なく体を離したりはしない。ドキドキはするけど。
にしても、このたわわなお胸のなんと素晴らしいこと。半分とは言わないから、三分の一、いや四分の一くらい分けてくれないだろうか。
そんなどうにもならない事を考えているうちに守衛兵のチェックポイントを抜け、ターニャさんの執務室に到着した。
*
はてさて、「火急の用」とは如何なるものか。
仕事関係であれば宰相や環境管理官、国防管理官等も絡んでくるのだが、執務室にはターニャさんと私の二人だけ。
仕事ではないのかな? じゃあ、個人的な用事? それとも魔導協会から何か通達がきたとか?
フードを脱ぎ、出された紅茶を飲みながら、「火急の用」について考えを巡らせる。
ターニャさんの紅茶はいつ飲んでも美味しい。自分の好みでなく、私の舌に合うような茶葉を選んでくれる彼女のさり気ない優しさが好きだ。
部屋の主であるターニャさんは、茶菓子を取るべく部屋の隅にある棚をガサゴソ漁っている。同じ魔導師とはいえ、キャリアは彼女の方が数段上。そして私は彼女の部下。菓子を探し始めた彼女へ慌てて「おかまいなく」と言ったのだが、「あたいに遠慮なんかすんじゃないよ」と一蹴されてしまった。
どうにも落ち着かない気持ちで風変わりなインテリアを眺めていると、私の座るテーブルにコトンと皿が置かれた。
「やっと見つけた。これ、美味いんだよ」
そう言うと、ターニャさんは紙袋からいくつか焼き菓子を取り出し、皿に並べる。微かな甘い香りが鼻をくすぐり、空腹感が生じた。そういえば、私はまだ昼ごはんを食べていない。
厚みのある四角い焼き菓子。薄い生地が何層も重なっているようで、見るからにパリッとしていた。シンプルな見た目だったが、お腹のすいた私の食欲を掻き立てるには十分過ぎるものである。
「ありがとうございます。おいしそうですね。ペッカイナでは見たことがないお菓子だなあ」
「そりゃそうさ。これはイリネカの菓子だからね。あたいの手作り」
イリネカ国は遥か南にある砂漠の国で、ターニャさんの母国だ。私も一度訪れたことがあるけれど、活気溢れる良い国だった。ただ、あそこは暑い。そして砂塵のせいで目や喉が痛くなる。
「ほら、食べな」
ターニャさんに促され、私はもう一度お礼を言って焼き菓子を口に運んだ。
見た目通りサクサクしており、食感が楽しい。味は予想していたよりも甘さ控えめで、ミルクティーなんかと合いそうだなと思った。
「おいしいー! サックサクですね」
「だろう? 口の中の水分持ってかれるから、ちゃんと茶も飲むんだよ」
もそもそとお菓子を頬張る私に優しく艶やかな笑顔を向け、ターニャさんは私のカップに紅茶を注ぐ。うーん、さすが二児の母。こういうところ、「お母さん」だなあ。
私がパルミーという名の焼き菓子を一個食べ終える間、ターニャさんは口元を緩めて私を見ていた。……なんだか子供扱いされてる気がする。
童顔ってわけでも、背が低いってわけでもないのに、ターニャさんは私の事を時折子供のように扱う。確かに私は彼女より七つ年下だけど、私、今年で二十五歳なんだけどな。子供って歳じゃないでしょうよ。
何やら複雑な心情になり、二つ目のパルミーに手を伸ばそうとしていると、ターニャさんが口を開いた。
「今度うちに遊びにきな。パルミーが気に入ったんなら、作り方教えてやるよ。うちのチビ共もあんたに会いたがってることだし」
「いいんですか? 是非伺わせてもらいたいです。マルタちゃんとセルジュくん、元気ですか?」
「ああ。ナーナならいつでも大歓迎さ。チビは二人共元気だよ。マルタもセルジュもあたいに似てやんちゃでさあ、カインがよく説教してる」
「あはは。カインさんが眉間に皺を寄せてるのが目に見えます」
カインとは、ターニャさんの旦那様。生真面目で朴念仁の彼は、ペッカイナ王国近衛隊副隊長を務めている。優しい人だけど、ちょっと強面。
ターニャさんが故郷を離れてこの国で暮らしている理由は、何を隠そう、カインさんと恋に落ちたからだそうだ。
大胆不敵でセクシーなターニャさんと、謹厳居士で無口なカインさん。似ても似つかぬ二人だが、とても素敵でお似合いなご夫婦だと私は知ってる。
夫婦といえば、我が友にして国の王女、フェデリカ・ペッカイナもついこの前式を挙げた。お相手は彼女の幼馴染である、近衛兵のベルンハルト。大恋愛の末結ばれたためか、あの二人のやりとりは砂を吐きそうになるほど甘ったるい。正に、新婚ホヤホヤらぶらぶバカップルである。
(……バカップルだけど、ほんとに幸せそうだから悪く思えないんだよねえ。はー、うらやましい)
盛大な結婚式と幸せそうなフェデリカたちの姿を思い出していると、不意にターニャさんが私の座るソファーに腰を下ろした。
「ねえ、ナーナ。明日が何の日か覚えているかい?」
唐突な質問に、私は素直に疑問符を浮かべる。
「明日?」
(明日って、五月三日だよね。んー、なんかあったっけ)
五月三日。日本であれば憲法記念日で、ゴールデンウィークの始めの方の祝日だが──ここペッカイナでは特に何もなかったように思う。私の誕生日でもないし、ターニャさんや親しい人の誕生日でもないし。
「すみません。明日、って、何かありましたっけ?」
「ったく、あんたって子は、去年とまるっきり同じ反応して。明日はあんたがペッカイナで国籍取って、国守魔導師に就任した日じゃないか」
言って、ターニャさんは頬杖をつき呆れたように笑う。
私はというと、「あ」と間抜けな声をあげ、記憶の引き出しをバタバタかき回していた。
(そういえば、そうだった)
二年前の四月中頃、この国に来るなりフェデリカ誘拐事件に巻き込まれて。なんやかんやでペッカイナが気に入り、国籍取ったり国守魔導師になったりしたのが……二年前の五月三日だ。
ああ、そうそう。去年もターニャさんに同じことを聞かれて、今と同じように忘れていたわ。
「そうですね。はあー、明日でもう二年になるんだ」
感慨深げに声を漏らすと、ターニャさんが甘い微笑みを向けてきた。うーん、妖艶。
「そ。あんたがこの国の一員になって、明日でまる二年」
「時が経つのって早いですね」
ジジババ臭いかもしれないが、二十過ぎてからというもの、月日の流れを早く感じる。日本に居た頃は生活費のために身を粉にして働き、レサ・ハルダ(異世界)に来てからは目まぐるしい変化に追われ、もうね、心安らかにゆっくりできる時間がなかったんですよ。
だからこそ、残りの人生は平和な国で平穏に生きたい。いや、生きる。
自分でもジジババ臭いと思ったが、案の定、ターニャさんにも「年寄り臭いんだよ」と頬をブニっとされてしまった。
「それでさ、明日はナーナ国民化記念日なんだけど、今年はちょっとした贈り物をしようと思うんだ」
妙な記念日ができているのはともかく、ターニャさんがプレゼントを考えてくれていることにビックリすると同時に、気兼ねが生じる。
「えっ、贈り物? いいですよそんな、私なんかに。大した記念日でもありませんし」
ペッカイナ王国国守魔導師になってからというもの、先輩かつ上司であるターニャさんにはお世話になりっぱなしだ。それなのに、さも重要でない妙な記念日に贈り物を貰うなど、彼女に甘えすぎではないのか。
そう思って拝辞したのに、ターニャさんは砂色の猫目を尖らせた。
「だから、あたいに遠慮するなって何度言わせるんだい。あんたの国では遠慮や謙遜が美徳なのかもしれないが、無為に人の好意を断るのは失礼だよ。あたいは嫌いだね」
「す、すみません……。でも、ターニャさんにはいつも良くしてもらってばかりなので、これ以上何かしてもらうのは」
「なんだい。断るっていうのかい?」
恐るべし、姉御。
キリリと鋭い砂色の視線に負け、私は言葉を詰まらせてしまう。
「え、えーっと」
「どうなんだい?」
ずいっ。不機嫌さの滲んだエキゾチックな顔が間近に来る。美人は怒ると怖いっていうのは事実だったんだな。
(ああああああああ)
勢いに押された私は、顔を引きつらせて「ありがたく受け取ります」とか細い声を出した。
すると一転、ターニャさんはニコーっと妖艶な笑みを満面にし、「よーし」と満足そうに席を立つ。
「じゃ、これに署名しな」
事務机から二枚の羊皮紙を取ったかと思えば、彼女はそれらを私へ手渡した。パッと見、短い文章が数行目に入る。
(誓約書?)
一番始めの見出しに書かれている単語をいぶかしみつつ、文字を読み進めていく。ターニャさんから渡された羊皮紙には、こう書かれていた。






