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お食事処を出た私達。彼も私も食べたのは同じメニューだった。というのも、恰幅の良いおばちゃん店員がオーダーを取りに来た際、私が「牛肉のシチュー」と頼むと向かいの彼は「同じの」と言ったのだ。牛肉のシチューが好きなのかと聞けば、「別に」とのこと。少し反応に困った。
ああ、「困った」といえばお会計だ。私は割り勘を申し出たのだけど、彼が私の分も払うと頑ななもんで……しばらく押し問答になったものの、結局彼が全額出してくれた。曰く、「いつものお礼」だそうだ。申し訳ない。
で、雨祭りらしい土砂降りの中に戻ると、耳元に「次、どこに行く?」と声を吹きかけてきた彼。もうね、満腹感で気が抜けてた時だったからそりゃもうビックリしましたよ。思わずウィッグの上から耳を押さえてしまった。できればヅラには近付かないでくれ。
じーっと私を凝視する彼に「あまり耳の近くで話されると驚いてしまいます」とやんわり抗議してみると、彼はボソボソ何か言った。口の動きは「ごめん」だったけど……声が小さいから聞き取れないんだよねえ。はあ、こんなザーザー雨の音がある中でのコミュニケーションは難しいわ。
気を取り直して私と彼が次に向かった先は、ダンスイベントの行われているアディリータ広場だ。ここはエンデン一大きな広場で、数百年も昔、稀代の踊り子アディリータが祈雨の舞を踊っていた場所だったと現在まで語り継がれている。
「うわー、すごい。華やかですねえ」
激しい雨の音に負けないくらいに打楽器が打ち鳴らされており、雨避けの天幕ではトランペットに似た金管楽器がプーパーと陽気な音色を響かせている。
広場の中央にあるアディリータの銅像には目の覚めるようなマリンブルーのフェチカが着せられ、頭や首には花飾りがつけられていた。その周りをたくさんの人が円を描いて自由に踊っている。見ているだけで楽しくなる様な明るい笑顔を振りまきながら。
男も女も関係なく、大粒の雨にまみれて踊り続ける。どれだけ濡れたって関係ない。だって今日は雨祭りなんだもの。
「うわあ……」
感嘆の溜息が漏れた。みんなみんな本当に楽しそうで、雨の滴を受けてキラキラしてて、耳に流れる音楽も生き生きしてて──。
隣にいる彼の存在を一瞬忘れてしまうほど、私は目の前の光景に、音に、雰囲気に心奪われていた。去年も同じような感覚だった気がする。うん、去年もすごかったもんなあ。
ほうっ。と、青や水色、明暗様々なフェチカが揺れ舞うさまに見とれていると、冷たい何かが私の腕をツンと押した。
見ると、男物のフェチカの袖から白く細い指先が私の肌へと伸びており、その指の持ち主は彼だった。
(ありゃ、もしかして話しかけてくれたのに私が気づかなかった系?)
「どうされました?」
おすまし顔を作って尋ねてみると、彼はほんのちょっと私に顔を寄せて口を開く。耳元ではなかったので一安心。うんうん、ちゃんと私の言うこときいてくれたのね。
「踊らないの?」
「あ、はい。いいんですいいんです。見てるだけで楽しいので」
踊りの輪に入るのも一興だろうけれど、あまり運動神経の良くない私。きっと上手く踊れないから、見ているだけでいいのだ。ウィッグのこともあるしね。うん。
「兵士様は踊らないんですか」
ニコッと笑い、逆に聞いてみる。返ってきた答えは予想通り「ノー」。だよねえ。ダンス好きそうじゃないもんね。なんか悪いなあ、付き合わせちゃって。
「……あの、兵士様。私は見ているだけで楽しいんですけど、兵士様はどうですか? あまり踊りに興味がないなら、違うところに行きましょうか」
私だけが楽しむのは心苦しい。やっぱり彼の気に入るようなイベントや場所に一回は行っておきたいのだけれど……。そう考え、夜の海のような紺碧のフェチカを纏った彼へ話を持ちかけるが、彼は首を横に振る。
「でも」と引かない私を見据え、彼は一言、「君が楽しかったらいい」と言った。相も変わらぬ抑揚のない声。しかし、嫌味には聞こえない。
「ええ、あの、でも──」
私が浮かない顔をしていたのを見越してか、彼が「いい」と告げてくる。今度は少しはっきりとした声だった。
頑固そうな口調に反論できなくなってしまった私は、歯切れ悪く礼を言うことしかできず。隣の彼を気にしつつ、快活とした華やかな踊りを鑑賞した。
雨の音と楽器の音楽、諸人の熱を帯びた笑声、生き生きとしたステップ──賑わいに包まれた場を遠くから眺めるのは好きだ。何も考えずに見るもよし、舞い踊る人々の観察をするもよし、楽しみ方はたくさんある。
広場の片隅にある木下で佇む彼と私。夫婦でも恋人ではなく、友人というほど親しくもない。家主と居候、望まぬ同棲相手と、なんとも微妙な関係の私達だが、気付けば肩が微かに触れ合っていた。互いに言葉はない。だけど、どこか私達の間には一体感があって。
(……こういうデートも、悪くないのかもしれないなあ)
体温を感じるか感じられないかの距離を意識しながら、私はそっと隣の彼を盗み見た。
目の下の濃い隈、灰青色の虚ろっぽい二つの瞳、薄い唇、くすんだ銀の髪に隠れ気味な八の字眉。何を考えているのか解りづらくて、頑固で、どちらかというと陰気な人で──お世辞にも「素敵」とは言い難い彼。
(でも、嫌いじゃないんだよねえ)
一緒に二週間過ごしたせいか、ちょっとした愛着が湧いてきているのかもしれない。「彼」という人間に興味もあるし、そろそろ友達になれたらいいな。
水の滴る横顔を見ていると、不意に彼がこちらを向いた。ニコッと笑いかけてみれば、ボソボソ声が「何?」と言う。
「へへ、なんでもないです」
彼から声をかけてくれる。それがなぜか嬉しくて、締りのない笑顔を出してしまった。不思議そうに目を瞬かせた彼をよそに、私は機嫌良く踊りの鑑賞を再開した。
*
アディリータ広場で飽きもせずに群衆の踊りを楽んでしばらく。私は彼に満足したと伝え、別のイベントに移動しないかと提言した。いつまでも私の踊り鑑賞に付き合わせるのは悪い。立ちっぱなしの足も痛くなってきたことだしね。
一応、行きたい所はないのか確認してみたが、彼はやっぱり「ない」と首を振る。もしや彼は長年ペッカイナに住んでいて、雨祭りのイベントを網羅してしまっているのだろうか。毎年参加し過ぎてイベントに飽々してるとか? そもそも彼、生粋のペッカイナっ子で間違いないのかしら? 髪の色と顔付きはここいら辺りのものだけど、お隣のレミス大陸から渡ってきたっていう可能性もあるよね。
うーん……。私、この人のことホント何にも知らないんだもんな。城の人間から情報収集しようと思ってたけど、最近は雨祭りの準備で忙しくてそんな時間作れなかったわ。
雨祭りが終われば一時は暇ができるから、次城に行った時にでも侍女ちゃんに探り入れてみよーっと。……ターニャさんには内緒で。だって、「自分で本人に聞け」ってデコピンされそうだし。
まあ、一番手っ取り早いのは彼に聞くことなんだろうけど、直接リサーチして警戒されたり、不快感を与えたりすることは避けたいんだよね。せっかく仲良く(?)なれてきたとこなのに。んー、反応を見ながら少しずつ話しを振っていけば大丈夫だろうか。
(家に帰る途中にでも何か聞いてみようかな。ええと、年齢とか、誕生日とか、家族構成とか、趣味とか?)
基本的なプロフィール項目を頭の中で挙げつつ、群れ集う人の合間を縫うように進む。しっかし、ものすごい混みっぷりだなあ。さすが大通り。
進むに連れて人がどんどん増えてゆき、彼とはぐれていないか不安になって隣に目を向ける。──ちょうどその時、反対方向からのっしのっしと歩いてきた太めのおじさんが私と彼の間に割り入り、避け損ねた私は肉厚な体にボヨーンと弾かれた。
足元がふらつき、二、三歩ばかり後退するとすっかり人波に呑まれてしまっていた。慌ててあの人の姿を探すと、ああ良かった、結構離れたけど見える範囲には居る。
「へ、兵士様ー!」
私の方に顔を向けている彼に手を振って叫んでみる。彼はちゃーんと私に気付いており、はぐれて焦っている情けない私の元にあっという間にやってきてくれた。その身のこなしには無駄がなく、素早かった。細身で不健康そうな外見をしていても、そこは近衛兵。さすが。
「すみません、ありがとうございます。大通りの混み具合はひと味違いますね」
絶えず動き続ける人波に再び呑み込まれないよう、彼の側に寄り添う。恥ずかしいとか、彼の気分を害さないかとか、そんなことを考えている場合じゃない。これはね、少しでも離れてたらアウトですよ。大雨の大通りを馬鹿にしたらアカンです。
王都エンデンの主要な街路である大通りは広い。祭りのために、人々の通行量もご覧のとおりだ。雨のせいで視界もかなり悪い。一度完全にはぐれてしまえば再会は難しいだろう。地球ほど文明の進んでいないレサ・ハルダには携帯電話やポケベルなどなく、「ごめーん、はぐれちゃったー。今どこ?」なんて、タイムリーに連絡を取ることもできない。
肩掛けカバンの肩紐をしっかり握って彼に着いて行く。何やら知らないうちに彼が私の半歩前を先行していた。何度も後ろを振り返りながら。きっと、私が着いて来ているのか確かめてくれてるのだ。
しかも彼は、比較的隙間のある無理なく通れるルートを先導してくれている。先ほどよりも断然歩きやすい。ぐんぐん前に進んでいく。
(……優しいなあ)
ぎゅうぎゅう詰めになりそうな時はその身を挺して隙間を作ってくれ、歩くペースも私に合わせてくれ、後ろにいる私を気にかけてくれる。この人、こんなに紳士だったのか。いやあ、ちょっと印象変わるわー。
妙な感心をしつつ彼にピッタリ後続し、迷子にならず目的地に到着したのはよかったのだが──肝心の美男美女コンテストは終わったところだった。チーン。私が彼に平謝りしたのは言うまでもない。きちんとイベントスケジュールを把握してなかった私の非である。かなり混んでたので移動に時間がかかってしまった事もあるが。
すっかり人の散ったコンテスト会場。辺りは薄暗く、時刻はもう夕方になっていた。人混みを歩き、雨に打たれ、思いの外体力を消耗していた私はこの時だいぶ疲れており。
夕飯の支度を理由にそろそろ帰らないかと伝えると、彼は小さく頷いた。「振り回してしまって申し訳ない」と何回も謝れば、「別に」というボソボソ声が返ってくる。や、本当にすみませんでした。次はもっと計画的にします。ん? ……次、あるのか?
帰路についた私達。帰りは露店の並ぶ通りを歩き、他国の調味料やペッカイナでは珍しいお菓子などを購入した。彼は買い物をする私を見ているだけ。祭りの露店でしか手に入らない物もあるのに、もったいない。
とある露店で米に似た穀物を見つけ、私は密かに大興奮した。ラーチという乳白色のそれは、炊けばふっくら膨らんで柔らかくなり、甘みが出て美味しくなるのだと露天商のお兄さんが教えてくれた。なにそれ米? お米なの? すぐにでも買いたかったが、小分けされた袋はどれも重そうで、家まで持って帰るのが困難であろうことは目に見えていた。
自分の腕力と体力、家までの道のりを天秤にかけ、あえなく私は故郷の味覚を断念した。……まあ、本気でラーチが食べたくなったら、魔法でもなんでも使って他国に買い付けに行けばいいのだ。何も今日でないといけないことはない。また今度。そう思うことにした。……残念だけど。
握りしめていた財布をすごすごと仕舞い、隣の彼に「すみません、やっぱりいいです」と声をかける。するとどうだろう。彼は自分のポケットから徐ろに財布を取り出し、私がキョトンとしている間にラーチを一袋買ってみせた。
え? あんたも米が食べたかったの? と、ポカンとしていた私をじーっと見つめる彼。いやいや、見つめられても困るというかどうしろというのか。ひとまず、「それ、お好きなんですか」と聞いてみることにしたのだが、露天商のお兄さんが横からチャチャを飛ばしてきた。
「いやー、彼氏サン優しいネー! あなたイイ人捕まえたヨー!」
それを聞いてハッとした。そうか、彼は私に気を遣ってくれたのだと。
おそらく彼は、買うか買うまいか悩み、最終的に諦めた私を見越して自らラーチを買ってくれたのだ。ヤメテー! というか彼氏違うー!
慌てて「私に気を遣ってくれたんですか?」と尋ねると、彼は一つ頷いて「欲しそうだったから」と答えた。ごめんなさいごめんなさいそういうつもりじゃなかったんですってばー!
ひたすら頭を下げ、「買っていただくつもりはなかったんです」「後でお金払います」と矢継ぎ早に謝るも、彼は首を横に振って「いい」と言う。露天商のお兄さんも「女は男に甘えるがヨロシよー。可愛く笑ってお礼言うべきネ!」と私をせっついてきて、私は非常に申し訳ない気持ちで彼に礼を述べた。そうしたら、お兄さんから「もっと可愛く!」というダメ出しがきた。くそったれ。
ビキキっ! と、表情筋にヒビが入る音が聞こえたが、怒った顔なんて見せませんよワタクシ。「元の顔が顔ですから」とにこやかに笑い、お兄さんにさよならをしました。
雨脚が僅かに弱まった薄暗い空の下、他愛のない話を織り交ぜて歩く帰り道。ラーチを買わせた挙句、重量感のある袋を持ってもらっていた私は後ろめたさで低姿勢をとっていた。いや、いつも腰は低い方だけども。プロフィール収集なんてできませんでしたよ。
お金を払うと言っても、袋を持つと言っても「いい」と断る彼は意固地で、もうね、やるせない。その気遣いが罪悪感に繋がります。彼の親切心を無碍にする気はないけど、私はとても肩身が狭いです、はい。
そんな私の心持を察したのか、彼は「いつものお礼だから気にしないで」とフォローを入れてくれる。「それでも気にしちゃうんですよ」と細やかな反抗を試みると、暫しじーっと見下ろされ、「ん」と頷かれた。流しやがったなこの野郎。
彼に対する負い目でモヤモヤしていたが、帰宅するまでになんとか考えを切り替え、「今日の夕飯はとびきりおいしく作ろう」「今後しばらくはもっと世話を焼かせてもらおう」と奉公魂に火をつけたのであった。




