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彼と私の二重奏  作者: POMじゅーす
2.始まりの奇想曲(カプリチオ)
21/30

12とある近衛兵の間奏曲④


 クルッケッコッコー!

 半覚醒状態だった僕の耳に、鶏の鳴き声が飛び込んでくる。目が覚めた、というよりは、ボーッとしていた意識がはっきりしてきたと言った方が正しい。

 僕はもともと眠りが浅く、睡眠自体そんなにとらない。ベッドに入っても眠ることなく、ぼんやりと寝転がっている時間が圧倒的に多かった。

 エンドテーブルの時計を見上げると、針は六時ちょうどを指していた。モリー・ナーエの飼っている二羽の鶏は六時ぴったりに鳴き声をあげ、彼女に朝を告げる。

 そろそろ、彼女が起床するだろう。毎日朝六時、鶏が一番鳴きをしたあとに彼女は活動を始めるのだ。

 耳を澄ますと、ベッドの軋む音やクローゼットを開閉させる音、パタパタという小さな足音が聞こえてくる。

(……起きた)

 この後、鶏の世話をしに外に出る。小屋の掃除と餌遣りが終われば、家に戻って朝食の支度。彼女の朝は規則的だった。

 同居が始まってから一週間。常に彼女の様子を窺い、観察してきたためか、彼女の生活の流れがだいぶ掴めた。とは言っても、僕が仕事に行ってる間のことはまだ分からない。

 控えめなドアの音。スッ、スッと、潜めるような足音がダイニングを移動し、やがて家の中から消えた。できるだけ音を立てないようにしているのだろう。

 僕を起こさないよう気を遣わせている事に悪いと思う反面、気にかけてくれる優しさに少し嬉しくなる。……まあ、起きてるんだけど。

 外から彼女の声がところどころ聞こえてくる。彼女はああやってよく鶏に話しかけていた。情緒豊かな女性だ。……ちょっとだけ、鶏がうらやましい。

(ベッドから出ようかな。……どうしよう)

 暖かな寝床から起き出るか否か悩み、まだゴロゴロしていようと寝返りを打つ。今日は非番だ。もしも彼女が仕事でないなら、……その、一日中一緒に居られるかもしれない。

 彼女の事を考えた拍子に、昨日の出来事が甦ってきた。

「兵士様は気味悪くなんてないと思いますよ」

「気味が悪かったら、きっとこんな風に笑えてないです」

 ふにゃりとした笑顔。声を上げて笑う彼女。優しくて穏やかな声に、僕を包む心地良い言葉。

 僕は、受け入れられていた。

 ユリアンやクラウス、アストラッドたちのように、彼女もまた、こんな僕を拒絶せず、ありのままを受け入れてくれた。

 胸の奥がきゅっと縮こまり、顔がわずかに熱くなる。

(──もう少し、近付いてもいいのかな)

 彼女が自分を恐れてないか、不快に思っていないか不安だった。故に、拒否されることばかりが心配で、自分から話しかけられなかったり、誘いを断ったりしてしまっていた。

 けれど。

 あの人が僕を受け入れてくれたのなら、もっと歩み寄ってみたい。色んな事を話して、色んな事を聞いて、同じ時を過ごして……そうして仲良くなれたなら、どんなに素晴らしいことか。

 恋だとか愛だとか、そんな気持ちに成りうるのか分からないけれど、とりあえずもっと距離を縮めたい。まずは、友達になれたらいいな。女の人の友達なんて、子供の頃以来になる。

(ちょっと、頑張ってみよう)

 秘めた決意をした僕は、知らず知らずのうちにシーツを握りしめていた。


 *


 油が何かを焼く音。金属と金属がぶつかる鈍い音。

 彼女が朝食を作り始めた頃合を見計らって、部屋を出る。「自分から話しかける」と心に決め、どんな話題をどんな風に言えばいいのか考えるあまり、着替えを忘れてしまっていた。ダイニングに出た瞬間それに気づいたが、もう遅い。

 調理台で作業をしている彼女はいち早く振り返り、「おはようございます兵士様」と朗らかに挨拶をしてきた。

 寝間着姿で出てきた僕をだらしないと思ってないか心配になる。今から着替えてこようか考えたが、せっかく彼女が挨拶してくれたのに無視するわけにはいかない。

「おはよう」

 こちらに向けられている黒の双眸を見つめ、挨拶を返す。彼女は小さく微笑んで会釈し、料理に戻った。汚れのない白いシャツ、落ち着いた茶色のスカートが飾り気のない彼女によく似合っていた。

(……どうしよう)

 自分から話しかける、と決めていたものの、いざ彼女を前にするとやっぱり躊躇してしまう。今は料理中だから話しかけると邪魔になるかな、とか、いつ話しかけるのがいいんだろう、とか、「話しかける」といっても中々難しいものだ。

 金色の巻き毛が揺れる背中を眺めながら、いつどんな話題をどうやって話しかけるのかひたすら考える。その間、彼女は着々と料理を続けていた。香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。食欲はないけど。

 やがて彼女は鉄板からフライパンを下ろし、火バサミで焔石をガツンと叩いた。……毎回思うが、力を入れ過ぎている気がする。焔石を叩く彼女は豪快で、普段の穏やかな印象とは少々差があった。意外な一面、というやつか。

「兵士様、今日はお休みですか?」

 突然、声をかけられる。彼女の動作に気を取られていたせいで、思わず首を振って返事をしてしまった。

「そうなんですね。せっかくのお休みなのに、もっと寝てなくて大丈夫ですか? 昨日、帰りが遅かったですよね。あまり眠れてないんじゃないですか?」

 トーンの落ちた声は、僕を案じてくれているようで。……素直に嬉しかった。

 なんだか気恥ずかしくて、口が開けない。言葉で返事をしないと、と思うのに、結局首を横に振って答えを返す。

「眠れてるならいいですけど、起こしてしまっていたらすみません。私、朝からゴソゴソしますし、○△□と△○□──鶏も鳴きますし」

(?)

 聞き覚えのない、妙な音調を耳にした。なんと言ったか理解できなかったが、話の前後を考慮するとあれは鶏の名前なのかもしれない。ミドゥル? アスク? 不思議な響きだ。

 引っ掛かりはしたけど、聞き直すほどではなかったからそのままにしておいた。が、首を左右に振って返事をした後、聞き直していれば何か話が広がったのではないかとハッとした。もったいない。

「本当ですか? 何か差し障りがあれば遠慮せずに言ってくださいね」

 にこやかに笑う彼女が放つ言葉は、どんな時も思いやりに溢れている。カイン副隊長の言うとおり、気立ての良い女性だ。今までに出会った女の人とはやはり違う。

 僕を捉える黒い瞳は澄んでいて、吸い込まれそうになる。なぜだか目を合わせているのが落ち着かなくなり、俯いてしまった。

 しばし沈黙が流れ、彼女の今日の予定でも聞いてみようかと思っていると。

「兵士様、ご飯どうですか?」

 恒例の食事の誘いがきた。食事時に僕が家にいる際、彼女はいつもこうやって呼びかけてくれる。

 居候の分際で食べ物を分けてもらうのが申し訳なく、また、彼女と同じ時間を過ごすのが億劫で。僕はこれまで毎回断っていた。元々あまり食べない方だし。

 一瞬、「今回も断ろう」という考えがフッとよぎるが、すぐさまそれは押しやられる。

(……今日はちょっと頑張るんだ)

 同じ食卓について失態をしてしまわないか、嫌われてしまわないか不安はある。料理を分けてもらう事への気兼ねもある。

 だけど。

 踏み出さないと、何も変わらない。悪い結果を怖がるばかりではいけない。

 彼女と仲良くなるには(できるか分からないけど)、もっと関わっていかないと。

 ホンの少し顔を上げ、彼女の顔色を窺う。視界の端に映った表情は穏やかなままだった。

 勇を鼓して唇を開き、すっと息を吸い込む。鳴りっぱなしの心臓がうるさい。僕はすごく緊張していた。

 なんだか目の前がふわふわするような、体全体が薄ら寒くなるような、緊張のあまり気分が悪くなってきて。それでも、彼女と関わりを持とうという意志は曲がらなかった。

「食べる」

 勇気を出した割には、情けない程ボソボソとした細い声だった。声量が小さすぎたせいで、やっぱり彼女には聞こえなかったようだ。

「え?」

 微かに首を傾げ、こちらに近付いてくる彼女。手を伸ばせば届く距離まで接近し、変に焦ってしまう。顔が見られなくて無意識に顔を伏せた。

「すみません、聞き取れなくて……もう一度よろしいですか?」

 これで何度目になるだろう。性懲りもなく彼女を謝らせてしまった。僕が小さい声で答えた事が悪いのに。

 チラリと見やれば、僕に向けられた黒の双眸と視線がかち合う。どうしてだか居心地が悪くなり、パッと目を逸らしてしまった。なんでだろう。昨日まではこんなことなかったのに。彼女の柔和な顔や穏やかな瞳は、見ていてとても心安らぐものだったのに。

 胸中に疑問がちらつくが、今はそれを解明している場合じゃない。

 僕の応答を待っている彼女に、言わないと。今度は聞こえるよう、大きな声で。

 分かっているのに行動に移せない。踏ん切りがつかずにずっと黙っている僕の前で、彼女は佇んでいる。

「……食べる」

 声帯が震えるまで結構な時間を要したが、僕は言えた。及第点は山ほどあるけど、さっきよりはっきりとした声も出せた。

「本当ですか?」

 意表を突かれたように反問してきた彼女に、もやもやする。自分から誘ってきておいて、なぜ驚いた素振りを見せるのだ。

 もしかして、断られるのを見越していたのだろうか。僕と食事を摂るつもりなどなかったのだろうか。どうせそうだったに決まってる。こんな僕と好き好んで食事をしようなんて女の人、いるわけない。

 どろりと重苦しい感情が蠢いた。その衝動に押され、試すようなことを口にしてしまう。

「君が嫌じゃなければ」

 前髪の隙間から彼女の様子を盗み見る。狼狽していないか、困った顔をしていないか、負の兆候を監視するかの如く。

 しかし、彼女の反応は僕の予想していたものとは違っていた。

「いえ、嫌だなんて。兵士様さえよろしければ、是非召し上がってください。お口に合うかどうかは分かりませんが……」

 ためらいもせず、「嫌ではない」と即答した彼女は、黒い瞳を瞠って両手を顔の正面で大きく振り、ガクガクと頭も横に揺らす。かと思えば、髪が乱れるくらい振っていた頭をピタリと止め、細い両手を素早く下ろした。ほんのり頬を赤らめて。……どうしたっていうのだろう。

 おかしな挙動に毒気を抜かれていると、彼女はくるりと背を向け、「どうぞ掛けてお待ちください。すぐにお出ししますから」と調理台へ戻る。

(なんなのかな)

 何やら腑に落ちないが、ずっと突っ立っているわけにはいかない。とにかく一緒に朝食を食べる事になったので、テーブルにつこう。

 ……ほんとにいいのかな。僕なんかが彼女と食事をするって。でも、嫌じゃないって言ったし、変な反応だったけど嫌そうには見えなかったし。

 及び腰で椅子に座れば、一気に心が張り詰めた。丸テーブルは小さくて、向かい合わせになると視界の中心に彼女がくるのだろう。これから彼女と朝食を食べるのだと、今になって実感が沸いた。

 緊張やら不安やらでそわそわしていた僕は、絶えず目線を動かしてしまう。落ち着きのない奴だと思われたらどうしよう。まあ、今の僕は落ち着きがないって自分でも思うけど。

 穏やかな顔でテーブルに皿を運んでくる彼女。今日の朝食の献立は、焼いたベーコンと目玉焼き、ポタージュとパンのようだ。ずらりと並んだ料理に胃がすくむ。普段朝ご飯など食べないので、口に入れても胃が受け付けないかもしれない。

 だが、せっかく誘いを受け「食べる」と言い切ったのだから、どんなに気持ち悪くなってもきちんと胃袋に収めなければ。彼女へ失礼な──嫌われるような事はしたくないし、彼女の好意を踏みにじりたくない。

 ……カタン。

 ついにこの時がきた。

 準備を終えた彼女はテーブルを挟んだ真向かいに座り、にこやかに僕を見つめる。僕と彼女の初めての食卓が始まるのだ。

「兵士様、どうぞ」

 柔らかな声をかけられるも、緊張状態の続いている僕は返事ができず、下を向いてしまう。体が硬直しそうだった。

「どうぞ」と言われても、彼女がまだ口をつけていないのに先に食べるのは気が引ける。僕は料理の手伝いをしていなければ、お金だって払っていないのだから。

 彼女が先に食べ始めたら、僕も頂こうかな。そう思っていると。

「すみません、何か食べられないものがありましたか」

 心配そうな声音に、胸をギュッと鷲掴みにされた気がした。

(そうじゃない。そうじゃないのに)

 僕が下なんか向いて黙ってるから、余計な気を遣わせてしまった。やることなすこと全てが裏目に出ている気がする。こんなんじゃだめだ。

 慌てて首を振る。

「じゃあ、どうしてお召しにならないので?」

(どうしてって……)

 間髪入れずに放たれた問いに、どう答えようかしばし考える。なんと言えば不快感を与えずに済むのか、どんな言葉を選べばいいのか、しばらく悩んだ末僕は開口した。

「……君が食べたら、食べる」

 彼女に何かを伝えるとき、僕の返事を不愉快に思っていないかいつもいつも気がかりで。

 耳を澄ませば、「え?」と、きょとんとした声が聞こえた。不愉快そうではなさそうだ。良かった。

「そんな、遠慮しなくていいですよ。料理も冷めてしまいます」

 料理が冷める。それはもっともであるが、やはり彼女を差し置いて食事にありつく事はできない。

 石のように身動きをせず、彼女が食べ始めるのを待つ。その間、「どうぞ」「気にしないでください」「食べないんですか?」等何回も勧められた。彼女は根気強いらしい。

 そのうち、ようやく諦めたのか室内が静かになった。

「父なるレサと母なるシアの恵みに感謝を」

 彼女の唇から微かな吐息が漏れる。食前の祈りの所作をとっているのだろう。服の擦れる音がした。

 こっそり視線を向けると彼女は既に祈り終えており、ナイフとフォークを持ってベーコンの切り分けに取り掛かっていた。黒の瞳は一心にベーコンに注がれ、それを頬張った瞬間、彼女はとても幸せそうな顔になる。……そんなに美味しいのだろうか。それとも、ベーコンが好きなのだろうか。どちらにしろ、朝っぱらから油っぽいものをよく食べられるなと思った。

 僕もそろそろ食べなければ。彼女のようにいきなり脂ののったベーコンにかぶりつく気にはなれなかったので、ポタージュに手をつけることにした。

 神に感謝を捧げ、薄茶色のとろりとした液体をスプーンですくう。この色ととろみ、モジャガで作ったものだろうか。

(……吐き気が出ないといいんだけど)

 久々の朝食に胃が耐えられるか懸念はあるが、ここまできたら後には引けない。

 こわごわとスプーンを口に運ぶ。まろやかで少し塩気のある味はあっさりしていて、粘性のあるスープは口触りが良い。これまでのやり取りの間に冷めたのか、温度はぬるめで飲みやすかった。

「どうですか?」

 気付けば彼女がじーっと僕を凝視している。まさか、飲むところをずっと見られていたのだろうか。

 急に気恥かしさが込み上げ、つい俯いてしまう。ああ、ちゃんと返事をしないといけないのに。

「……すみません。お口に合いませんでしたか」

(!)

 トーンの落ちた声は、明らかに沈んでいた。僕のせいだ。彼女を傷つけたかもしれない。

 口に合わないなんて、そんなことない。すぐに否定したかったけれど、その前に再び彼女が話し出す。

「やっぱり、お城で出るご馳走とは比べ物にならないですよね。もっと料理の勉強をします」

(違うのに。そんなことないのに)

 情けなくて、顔が上げられない。

 彼女の声の調子には未だ影が差していた。きっと気にしているんだ。僕が返事をしなかったから、勘違いさせてしまってる。早く誤解をとかないと。

(どうしよう。どうしたらいいんだろう)

 城の食堂で出される料理は、量が多いだけで特別味が良いとは思わない。クラウスたちは気に入っているみたいだけど、僕はあまり好きじゃなかった。

(このポタージュは嫌いな味じゃない。飲みやすいし、おいしい方だと思う。じゃあそれをどんな風に言えばいい? ……分からない。どうしたらいいか分からない)

 ぐだぐだ考えていても埒があかない。二の足を踏んでばかりではだめだ。今朝、そう決意したじゃないか。

 口に合わないことはないって、おいしいって伝えればいいんだ。

 ──「おいしい」ってちゃんと言わなきゃ。

 ぐっと喉に力を入れ、彼女へただ一言だけ投げる。「おいしい」と、短くとも様々な思いの詰まった言葉を。

「はい?」

 ……しまった。いくら思いを込めていても、聞こえなければ意味がないじゃないか。また声が小さすぎたんだ。 

 たった一言のくせにかなりの気力を消耗したため、もう一度声を出すのはすぐにできそうもなかった。惨めにも程がある。

 彼女は食事の手を止めて僕を待ってくれていた。

「おいしい」

 やっと声を出せたのは、長い長い沈黙の後だった。

「え?」

(……まだ、聞こえないのかな)

 冷却期間を経て、今一度彼女へ向けて言葉を送ったというのに。少しは大きな声を出したというのに。

 今尚、聞き返してこられ、もどかしさがどっと増した。

 ──早く伝わって欲しい。ふっと強いモノが心底から浮かび上がり、自然と唇が動いた。

「おいしい」

 僕にしてはいつにないくらい明瞭とした、それでいて高らかな声だった。女の人相手にこんな声を出せるとは思わなかったので、自分でも少し驚いた。

 さすがにこれは聞こえただろう。そう見通して、彼女がどんな反応をするのか、どんな返答をするのかドキドキしながら待っていた……のだけど。

 ……。

 ……。

(?)

 もう数十秒は経過しているが、彼女は一向に何も言わない。ダイニングはとても静かだった。

 どうしたのか気になり、顔を半分だけ上げてみる。僕の目に映ったのは、吊り気味な黒い瞳を精一杯に見開き、薄紅色の唇をあんぐりと開けた──ポカンとしている彼女だった。

 常に穏やかで柔和な面持ちをしている彼女が、こんなに表情を崩すとこなど見たことなくて。

「……」

 物珍しさに、しげしげと眺めてしまった。

(なんでそんな顔してるの? 僕、驚かれるような事言ったのかな)

「おいしい」という単語は、一般的な褒め言葉のはずだ。なのに、なんなのだろう、この反応は。

 暫時放心したように活動を停止していた彼女を観察していると、不意にピクリと睫毛が震える。どうやら我を取り戻したようだ。

「──……あ、すみませんボーッとしちゃって。ええと、兵士様、ありがとうございます」

 どもりつつ返事をした彼女は、ふにゃりと笑う。それを見た刹那、胸の奥がきゅっとなり、暖かいものがじわりと滲み出た。朝からこの笑顔を見られるなんて、今日は運がいいのかもしれない。

 ……心なしか彼女の頬が赤いのはなぜだろう。そういえば、僕と食事をするのが嫌じゃないか聞いた時も頬を赤くしてたよね。あ、目を逸らされた。大概目を逸らすのは僕の方なのに、どうしたっていうのかな。少なくとも、怒ったり嫌悪したりしている雰囲気じゃないから嫌われてはなさそうだけど。

「あの、不味かったら不味いって言っていただいて結構ですから……!」

 妙に力の入った声でそう言った彼女の顔は、どれだけ見ても赤いままで。

(もしかして)

 照れているのだろうか。……僕に「おいしい」って言われて? 僕みたいな奴に褒められて照れるなんて、そんなまさか。

(でも、顔を赤くして視線を外すって、恥ずかしかったり照れたりしている時に出るものじゃなかったっけ)

 もう半分、頭を上げる。試しに彼女を見据え、「不味くない」と言ってみれば、頬の赤みが一層深まった。

「えっ、あり、ありがとうございます」

 明らかに動揺している彼女はつっかえながら礼を言い、はにかんだように笑う。

(……かわいい)

 嘘のようだが照れているんだなと確信すると同時に、思いがけずそんな事を思った。

(ん? かわいい?)

 彼女の顔立ちは見慣れぬもので、決して美しくも可憐でもない。愛想はいいが愛嬌はなく、吊った目尻や薄い唇、凹凸のない顔からして、キリリとした印象が強い。

(……?)

 何かが心に引っかかり、まじまじと彼女を見つめる。黒い双眸をあちこちにやっている彼女は依然頬を染めていて、僕と視線が交われば、照れ笑いが飛んできた。

 そんな彼女を見て、どういうわけかやっぱり「かわいい」と思うのであった。


 *


 会話は弾まなかったけど、賑やかではなかったけど、ちょっぴりぎこちない空気だったけど、僕たちの初めての食卓は決して悪い雰囲気ではなかった。……と、思う。

 久しぶりの朝食が胃に収まるか心配だったが、それは杞憂に終わった。量が少なかったこともあり、彼女の作ったものは全て食べることができた。味もおいしかったので、彼女より先に食べ終えてしまったくらいだ。パンは絶対胃もたれするのでやめておいた。

「綺麗に食べてくれて嬉しいです。作り甲斐があります」

 と、空になった僕の皿を見て嬉しそうに言う彼女を見て、全部食べて良かったと心底思った。「おいしかったから」と返せば、ふにゃりと笑って頬を赤くして──あれは、うん、……やっぱりかわいい。なんでだろう。

 ともあれ、その日から僕は家にいる時彼女と一緒に食事を摂るようになった。

 まだまだ上手く話すことはできないが、「おいしい」と伝える事ができるようになった。事実、彼女の手料理はおいしかったし、「おいしい」と言うと照れた彼女が観れるので、同じ食卓を囲む事は続けたい。彼女と接する時間の確保にもなる。

 以前より食事の回数と量が増えたせいか、胃が少しずつ大きくなっていった気がする。一度に食べられる量は徐々に多くなり、最近はおかわりをするまでになった。城では相変わらずサラダしか食べないけど。

 彼女と食事をするようになってそろそろ一週間が経つ。僕に訪れた変化は食生活だけではなく、身体にも及んでいた。

 それに気付いたのは、カミユの何気ない一言だった。「前より顔色が良くなったね」と鍛錬の合間に言われ、休憩時に半信半疑で鏡を見ると、鏡面に居た僕の皮膚は「肌色」をしていて。

 本当にこれは僕なのかと驚いていると、クラウスやアストラッドから「調子良さそうだ」「血色が出てきたな」と言われた。他にも、兵舎の人間やグスタフ宰相と、カミユ同様に「僕の顔色が良くなった」と声をかけてくる者は多く。彼女もそのうちの一人で、「随分顔色が良くなって安心しました」とニコニコしていた。

 良くなったのは顔色のみならず、体力もだった。僕は近衛兵の中でも落ちこぼれで、鍛錬ではすぐに息が切れてバテていたのだが……このところ、そうでもない。鍛錬中、カイン副隊長が「良い影響が出ているな」とボソッと呟き、満足そうに去っていった記憶は新しい。

 食生活がちょっと変わっただけで、こうも体に作用があるとは。一日一本栄養剤を飲んでいたというのに、やはり養分は食べ物から摂るべきものなのか。そういえば、産業医のロドリゴ先生がいつかそんなことを言っていた覚えがある。僕の体の変化をみると、あながち間違ってはないようだ。

 ある日の食後、彼女の淹れてくれた紅茶を飲んでいた際、かつての僕の食事について質問があった。「朝抜き、昼サラダ、夕栄養剤」と答えれば、ものすごくビックリされた。そして、何やら小難しい顔をした彼女は、「食事に関しては私に任せてください」と有無を言わせぬ勢いで詰め寄ってきたのである。

 以降、おかずの品数は増え、ますますバランスの良い食事になった。世話になってばかりで申し訳ない。食費の支払いを申し出ても、「いいです」「気にしないでください」の一点張りだ。……お金がだめなら、違う形でお礼ができたらいいんだけど。

 六月十四日に控えた雨祭りの警備の準備で忙しく、帰りが遅くなることも多いのに、彼女はいつもご飯を食べずに僕の帰りを待ってくれている。そんな優しい彼女に癒され、家に帰ると不思議なくらい疲れが吹き飛んだ。

 僕だけかもしれないけど、ゆっくりだけど確実に、彼女とだんだん打ち解けられているように思う。だって、初めの頃は食事を待っていたりしてくれてなかったし、近頃はよくふにゃって笑ったり、キョトンとしたり、色々な顔を見せてくれるし。

 ──それでも、まだ足りない。もっと、もっと仲良くなりたい。友達になりたい。

 自分は無欲な人間だと思っていたけど、そうではないようだ。特に彼女と関わっていると、非常に貪欲な感情を持つこともある。己の知らぬ一面を見つけた。

 雨祭りの日、偶然にも僕は非番。さらに仲を深めるため、一緒に雨祭りに行けたらいいなと、密かに彼女を誘う計画を立てていた。


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