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傾いた砂時計のような形をしたペッカイナ島。その中心に位置している王都エンデンに、王族の住まう立派な城が築かれている。「立派」、といってもペッカイナ王国は大きな国ではないので、他国の王城や宮殿と比べると規模は小さめだ。
けれど、滑らかな白い石材を使い建てられたペッカイナのそれは「白亜の城」と呼ばれ、周囲の緑に映える美しさから近隣諸国の間で有名だった。
更に、城を囲むように構えられた城下街は綺麗な円形になっており、小高い丘から眺める王都エンデンはそれはそれは絶景で。特に夜景が最高。ちなみにその丘はペッカイナ王国観光名所の五本指に入っている。
海では漁業が、陸では農作や牧畜が盛んで、ペッカイナは恵みの多い国だった。すぐ隣のレミス大陸に建つ国々との交易もあり、王と官僚の善政にて治安は良く、小国ながら教育制度や公共機関が潤っている。
自然豊かで牧歌的な国。
小さいながらもそれなりに栄えている国。
強い兵力はないけれど法の行き届いた穏やかな国。
それが、私の暮らすペッカイナ王国である。
*
時刻は昼前。私は整備された煉瓦道を歩き、城へ続く大通りへ向かっている。
肩にかけてる獣皮の革製鞄の中には、今朝方届いた先輩魔導師──上司であるターニャさんからの手紙。そこには彼女らしい乱雑な文字で、「火急の用があるからあたいの執務室に来て欲しい」、と書かれていた。
筆不精の彼女が手紙をよこすなんて珍しい。いったい何事だろう。
「火急の用」がなんなのか予想を立てながら、私は上司の要望通り白亜の城へ歩を進めた。
激しい人の往来で、大通りは今日も賑々しい。昼食の材料を求めて主婦たちが買い出しに出るので、お昼前のこの時間帯は特に混んでいる。
道行く人にぶつからないよう注意して進むが、何回かすれ違う人の肩に軽くぶつかってしまった。よろめくほどではなかったので、ぶつかったというよりは当たったの方が正しいかもしれない。
混雑の中移動したものだから、私は髪が心配になった。なので、大通りを抜けてすぐ、民家の窓ガラスでさり気なく髪型チェックをする。
跳ねているところがないかだとか、癖のついているところがないかだとか、そんなのはさほど重要なチェック項目には入らない。
肝心なのはただ一つ。ズラがずれていないか、だ。
前、よーし。
後ろ、よーし。
右、よーし。
左、よーし。
黒髪を隠すための金髪のウィッグは、ずれることなく私の頭を包んでいた。
なんでウィッグなんてかぶって髪の色を偽っているのかって、いや、別に黒髪が忌諱されているわけではないのだが、なんというか……目立ってしまうのである。かなり。
ペッカイナ王国では色素の薄い髪を持つ人間がほとんどで、黒髪の人間は滅多にいない。茶髪でさえも数百人に一人という数少なさだ。もっと西の大陸には髪の黒い人間なんてゴロゴロいるのだけど、ペッカイナ島やお隣のレミス大陸には金髪やら銀髪やらうっすい色素の人間ばかり。黒目ならちらほらいるのに、黒髪はほんとに見かけない。
日本人にありふれた黒髪は、ペッカイナでは奇異で異質なもの。超、人の目を引いてしまうため、普段は金髪ウィッグをかぶって隠しているわけです。目立つのは苦手なので。
そんなわけで、この国で私が黒髪だと知っているのは、王族と上司のターニャさんを始めとする極一部の人間だけである。
二年前、ペッカイナ王国に住み着いた頃から始めた金髪ウィッグ。実を言うと、金髪の自分も何気なしに気に入っていたりする。変装というか、イメージチェンジというか。
日本に居た時、何かの雑誌に「髪型変えれば気分も変わる」ってあったけど、あながちそうかもしれないなと思った。
髪型チェックを終え、私は不自然さのない金の頭髪に満足し城門へ向かった。うまくキマった髪型に、ほんのちょっぴり足取りを軽くして。
*
間近で見る白亜の城は、ため息が出るほど美しく、凛としていた。これから先、何度見たって私はこの城を「美しい」と感じるのだろう。
陽に照らされた白の外壁が視界に入り、眩しい。城壁から覗く白亜の城を見上げるのもそこそこにして、私は門番へ声をかけた。ああ、今日はピーターさんとジャックさんか。
「こんにちは、番兵様。ターニャ様へのご用事にて、入城許可を願います」
見知った顔の熟年番兵は、私と目が合うと真一文字に結んでいた口元をニコッと緩め、「おう、嬢ちゃん」と気の良い挨拶をしてくれた。「嬢ちゃん」って歳ではないんだけどな。
仕事柄、城の兵士は職務中堅苦しい真面目な態度の人間が多いけど、顔見知りのためか彼らは割とフレンドリーである。それでも仕事はきっちりしているので、気を抜いているわけではなさそうだ。
「またお使いか?」
「はい。ターニャ様へ昼食をお届けに参りました」
肩掛け鞄から一枚の厚紙を取り出し、私に対応すべく一歩手前に出てきたピーターさんへ渡す。繊維の粗いこの厚紙は、国が発行した入城許可証。これがあれば見張りなしで城内に入ることができる。
と言っても、城内どこでも行けるわけではない。
入城許可証は全部で四種類あり、捺された判子の色によって立ち入れる範囲が違っている。
金は王族の私室がある最上階まで、銀は王族や高官の執務室のある五階まで、赤は玉座の間や広間がある四階まで、青は厨房のある二階まで、と、こんな感じで。
ちなみに、私が先ほど差し出したのは青の国章が捺された「下級入城許可証」。城へ食料品や生活用品などの物品を搬入する人間が持つ、一番立ち入り範囲の狭いものだ。
「魔導師」用でもう一枚有しているが、こちらはよっぽどのことがない限り城内でしか使わない。この二年の間、城門で使ったのは数回だけだったと思う。今のように、入城時は大抵いつも正体を隠しているから。
余談だが、私はペッカイナ王国で二つの顔を持っている。
ひとつは「国守魔導師ナーナ・フィモル」、もうひとつは「国守魔導師ターニャ・アランサバルの召使、モリー・ナーエ」。この二つを使い分け、私は旨い具合にこの国で生きている……と、思いたい。
「そうか。今日はターニャ様が来ているんだな。弁当は二階の守衛に渡しておくといい」
ピーターさんが入城許可証から視線を上げ、誰に昼食を渡せばよいのか親切に教えてくれた。
「ターニャさんに昼食を届ける」というのは真っ赤な嘘なので、ピーターさんには悪いがその親切は特に私の助けにならない。でも、彼の暖かな親切心を嬉しく思う。
私はにこやかに「ありがとうございます」と礼を述べ、ピーターさんから青の入場許可証を返してもらった。簡単な持ち物検査を受けたのち、白の大門をくぐり入城すると、街の中央にある時計塔が十二時を告げる鐘を鳴らした。