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クルッケッコッコー!
けたたましい鶏様の鳴き声で目が覚める。レサ・ハルダの鶏は、日本の鶏と少し違った鳴き方をしていた。「コケコッコー」じゃなくて、「クルッケッコッコー」。うーん、巻き舌が混じってる感じ? 怒るとね、「クルァ!」って鳴くよ。
欠伸を一つして、背筋を伸ばす。昨日は一度も起きることなく熟睡できた。
(はあ、よく寝た。たまには飲酒もいいもんだね)
チラッと時計を見れば、ぴったり朝の六時。鶏様の体内時計は素晴らしいことで。目覚まし替わりに重宝します。
うーん、と背伸びをし、寝巻きを脱ぎ捨てる。朝は肌寒い。ぱぱっと着替えを済まそう。
(んー……これに決めた)
今日は特に用事はなく、おめかしする必要なし。窓から見える空は曇り、ポツポツ雨が降っているようだが、ひどい雨ではなさそうなので緊急招集がかかることはないだろう。
一昨日、魔法で風向きの調整をしたばかりだから、次に私とターニャさんの──魔導師の出番が来るのは今週末とみた。天気がこのままならば、ね。
クローゼットから取り出したのは、ブラウンのスカートに白いブラウス。地味だけど、それがいい。着心地も良いし、洗濯も簡単だし、普段着にはもってこいだ。
スカートとブラウスを身に付け、鏡台に座る。鏡に映った自分は、相も変わらず平々凡々な日本人の顔立ちをしていた。
凹凸の少ないのっぺりとした顔面、吊り気味な一重の細目、薄い唇、低い鼻、顎より下で揃えた黒髪のボブヘアー。はあ、見事に日本人だわ。や、嫌いじゃないんだけどね。二十四年付き合ってる顔ですから、それなりに愛着はあるし。
櫛で髪をといてネットを装着し、その上から金のウィッグを被る。ネットもウィッグも北の国──どこだったっけ、そうそう、レコリパ王国で入手した物。あの国は美容やファッションが上げ潮で、化粧品とか装飾品とか潤ってるんだよね。
不自然じゃないか、黒髪が見えていないかを様々な角度でチェックし、納得がいけば準備完了。
(さーて、顔洗って鶏様に餌あげようっと。そろそろ卵生んでくれてるかな?)
市場で買った二羽のブランド鶏様は、成鳥であるにもかかわらず、未だ産卵してくれていない。本によると、環境の変化がストレスとなり卵を産まなくなることもあるそうな。ストレスフリーになるよう、放牧したりそっとしておいたり色々苦心しているが、心配だ。
卵を産まない鶏様の身を案じながらダイニングに出る。同居人である彼の姿はなかった。昨日、準夜番で帰りが遅かったからまだ寝ているのかもしれない。今日の彼の予定は知らないけれど、そっとしておこう。
起こしては悪いと思い、いつもの如く忍び足で洗面所へ向かう。自分の家なのにこうも気を遣わないといけないって、なんだかなあ。……まあ、今のところそこまで苦にはなってないけどさ。あと三週間だし。
冷たい水で顔を洗うと、それだけで体がシャキッと引き締まる。一日の始まりですよ。
「美鳥、飛鳥、おはよー」
クルッケクルッケ鳴いている彼女たちへ挨拶し、家畜小屋へ入る。私に慣れてきたようで、もう急な襲撃はされなくなった。何もしなければの話だが。
古い餌を捨て、新たな飼料を撒いてやると、二羽のレディは勢いよく突進してきた。
「ちょ、そんなに慌てなくても餌は逃げないよ」
苦笑しつつ、小屋の掃除を始める。ペッカイナは絶賛雨期中なので今日も雨。外には出してあげられない。
(あれ?)
箒を動かしている私の視界に、白くつるんとした丸い物体が入る。
砂の窪みにちょこんと鎮座しているソレに、私はまさかと駆け寄った。
「た、卵っ!」
腰を屈めて眺め回す。あったのは、まごうことなき「卵」。
興奮して小屋の中を見渡せば、角の方にもう一つ卵があった。
「すごいすごい、美鳥、飛鳥、卵産んだんだね。良かったー」
年を忘れてはしゃいでしまう。そのくらい嬉しいんだからしょうがない。
安心して卵を産めるくらいうちに馴染んでくれたんだ、とか、やっと自家製卵にありつける、とか。嬉しさでいっぱいだったが、無精卵といえど二羽がお腹を痛めて産んだ卵を頂戴することにちょっぴり罪悪感も生じた。
二羽へチラリと目を向けるも、餌に夢中で私なんか気にしてないようだ。
仄かな躊躇いを彼女たちへの感謝に変え、私はそうっと、壊れ物を扱うかのように卵を手に取った。
ありふれた食材である卵に触れるのは初めてではない。日本でも、異世界に落ちてからも口にする機会は多くあった。だけどその時、今のように謝意に満ちていたのかというと、そうではなくて。割と普通に、「おいしいなあ」くらいの感覚で食べていたように思う。
自分で世話をし可愛がったのもあるだろうが、誰が生んだか分かっているからか、すごくすごくありがたみを感じた。
「ありがとう」
餌をガッツく二羽にお礼を言う。耳に届いた私の声はすごく優しくて、自分でもビックリしてしまった。私、こんな声出せるんだ。
もしかしたら、ありがとうの気持ちが詰まってたのかもしれない。なーんて、柄にもなく考え、少し恥ずかしくなった。
*
いつになく上機嫌で、それこそ鼻歌なんかうたいたいくらい(同居人がいるからできないけど)いい気分で朝ご飯を作っていた。
今日のメニューはモジャガのポタージュとパン、メインはベーコンエッグ。言わずもがな、美鳥と飛鳥の産んだ新鮮な卵を使っている。
ピチピチ……油が卵白を撫でる音が心地よい。白味はカリカリに焼き上げ、黄味はトロトロの半熟。これが目玉焼きにおける私のジャスティスである。ヨダレ出そう。
早く黄味が半熟にならないかなあとフライパンと睨めっこしていると、小さな物音が聞こえた。
ガチャ。……パタン。
ドアを開けて、閉める。きっとあの人の部屋と書斎を繋ぐドアの音。
どうやら彼が部屋から出てきたようだ。ダイニングと彼の部屋は直通になっていないため、彼が屋外やダイニングに行くには書斎を通らなければならない。
徐々に近くなってくる足音。そうこうしないうちに、背後からノブを捻る金属音がした。
ガチャ。……パタン。
首だけで振り返る。紺色のシャツとズボンに身を包んだ彼が書斎から出てきていた。多分、あれ、パジャマだ。今日は仕事休みなのかな。
濃い隈、虚ろな灰青の瞳、青白い肌、血色の悪い薄い唇、八の字に歪んだ眉、傷んだプラチナブロンド、羨ましいを通り越して心配になる痩せ身──……この人は今日も不健康そう。ちゃんと寝食できてるのだろうか。私との同居でストレス溜めて体壊してないといいけど。
「おはようございます兵士様」
心の中で彼の体調を気にかけながら、ニコッと爽やかに会釈をする。
彼はドアの前で佇み、いつもの様に暫し私をじっと凝視したのち「おはよう」と返した。
(どうしよう。何か話題振ってみる? 昨日はそれなりにコミュニケーションとれてた気がするんだけど、うーん……。あんまり話しかけてウザったく思われるのも嫌だなー)
今日は酒の勢いも後押しもない。
黄味の焼け具合を見つつ、続けて話しかけるべきか否か思案する。
昨夜、彼が放った質問に、私はおそらくプラスの答えを返した。私は彼の表情からほんの僅かに「感情」を読め、なんとなくだけど、少しは(ミリメートル単位で)距離が縮まった──のではないか、とか考えてみる。
けれどそれはあくまで私の推測と根拠のないカンであって、彼の方は特に心境の変化などなかったかもしれない。うむむ、人間関係って難しい。
後方は静かで、彼が動いている気配はなかった。でも、視線は感じる。振り向いてみようか、どうしようか。
そんな事をうだうだ悩んでいるうちに、半熟目玉焼きが完成。上出来、美味しそう。塩をかけるか醤油をかけるか……いや、美鳥と飛鳥が産んだせっかくの卵だ。今日は何もかけずに食べて卵の味を堪能しよう。
熱い鉄板からフライパンを下ろし、鉄板の下の炉にあたる場所に置いてある焔石を火バサミのような器具で取り出す。
焔石とはレサ・ハルダで広く通用されている熱源で、普段はただの黒い石ころにしか見えないが、一定の衝撃を与えると熱を帯びる。発火性はなく、何かを暖めるのに適した鉱石だ。
もう一度衝撃を与えれば発熱は収まるので、私は掌ほどの平たい焔石を調理台の適当なスペースに置き、持っていた火バサミでガン! と叩いた。これでよし。三十分もすれば石は冷めるだろう。
火バサミを収納し、料理の盛り付けに入ろうとしたところで、私は彼の存在を気に留める。作業に気を取られてうっかり失念しかけていた。
(同じ空間にいるのに放置は良くないよね。とりあえず、休みかどうか聞いてみようかな)
「兵士様、今日はお休みですか?」
先に炒めておいた二枚のベーコンが湯気を上げている丸皿に、二つの目玉焼きを滑り落とす。全部私の胃の中に収まる予定です。ベーコンの油で焼いた白味カリカリ黄味半熟目玉焼きは絶対に絶品でしかない。
後ろを向くと、書斎のドアの前で彼が縦に頷くのが見えた。んー、しゃべってくれないのね。残念。
「そうなんですね。せっかくのお休みなのに、もっと寝てなくて大丈夫ですか? 昨日、帰りが遅かったですよね。あまり眠れてないんじゃないですか?」
流し台にフライパンを置き、更に話を広げてみる。手ごたえがなければここで終了だ。
スローテンポな彼は数秒の間を経てふるふる首を横に振った。ふむ、昨晩いつ就寝したかは分からないが、睡眠はとれているのか。それにしては濃い隈が刻まれてますよね。
……私や鶏が眠りの妨げになってたらどうしよう。いや、この人の隈は最初会った時からあったんだけどさあ。
「眠れてるならいいですけど、起こしてしまっていたらすみません。私、朝からゴソゴソしますし、美鳥と飛鳥──鶏も鳴きますし」
念のため詫びておく。彼は再びふるふる首を横に振った。
「本当ですか? 何か差し障りがあれば遠慮せずに言ってくださいね」
奥歯を軽く噛み合わせ、口元をキュッと上げる。自然な笑顔のつくり方その一。職場で配られた接遇マニュアルに書いてあったわ。この笑い方、体に叩き込んだなー。
にこやかな表情作りには自信があったのに、彼はというと俯いてしまった。ちょっとショック。何? 私、何か地雷踏みましたか?
(今朝はこのくらいにしておこう。千里の道も一歩から、ってね)
これ以上話題を振るのはやめようと思ったが、やり取りの終わりを綺麗にまとめたかった私はもう一言だけ口から出すことにした。
だって、「遠慮せずに言ってくださいね」にこっ。て、盛大に愛想良くしたのを、目を逸らされてスルーで終わるのはなんかねえ。せめて頷くなりなんなりして欲しい。私の我が儘だけど。
シカトされて終わりにしたくなかった私は、刹那、目論んだ。
(なんでもいいから反応が欲しい。「ご飯どうですか?」って聞いて、断られて終わりにしよっかな)
気を遣っているのか食べたくないのか、彼はこれまで私の食事の誘いを全て断ってきている。昨夜のワインは違ったが、あれはきっと喉が渇いていたか、私が作った物じゃなかったからだろう。
「兵士様、ご飯どうですか?」
(あれ、でも今日仕事休みなら城には行かないよね? ご飯どうするんだろ)
言葉尻でふと気付く。そうだ。今日、彼は休日なのだ。普段は城の食堂で食事を摂っているという事だけど、それは仕事で登城するからであって。
私の申し出を断った彼は、いったいどこで喫飯するのか。
ポンとわいた疑問を解決しようと脳が動き始め、ああかなこうかなと憶測が飛び交う。
(うちで食べるか、外食するかのどっちか? ご飯だけ食べに城に行く……のは面倒だよね。今日休みなんだし。ほんと、どうするんだろ。ちゃんと何か買い置きしてるのかな?)
考えつつ、彼の旋毛を眺めていると、くすんだプラチナブロンドがさらりと揺れた。
彼は少しだけ顔を上げ、前髪の隙間から灰青の瞳をこちらに向ける。
「……る」
(おお、しゃべった!)
か細く低い声が耳介を打つ。彼は何か言葉を発したようだが、私には捕らえられなかった。
「え?」
ちゃんと聞き取ろうと、彼の側に寄って行く。私へ向けられていた灰青の視線がふいっと逸らされた。
「すみません、聞き取れなくて……もう一度よろしいですか」
そう尋ねれば、彼はチラリと私を見やり、またすぐに目を離す。なんだなんだ。じーっと見つめられることは多々あったが、今のように露骨に視線を逸らされたりはなかったぞ。まさか、昨夜の一件で苦手意識を持たれてしまった?
ガビーン。八方美人な故に、誰かから嫌われたり、避けられたりするとダメージが入る。私的に昨日はいい感じだったと思うのになあ。
もやもやを出さないよう注意し、おすまし顔を作る。彼はあらぬ方向へ目線を漂わせ、黙りこくっていた。
(沈黙長いー。いや待つよ。待つんだけど、料理が冷めるー)
私は作りたてのベーコンエッグやポタージュにありつけていない。なんでもそうだけど、食べるなら出来立てが一番美味しいよね。
さり気なく調理台に目を配ろうとしたところで、空気が震えた。
「……食べる」
(ん? あれ? 今、「食べる」って言わなかった? 言ったよね?)
断られると踏んでいたもんだから、私は驚いてしまった。
(ちょ、朝食はワインと違って私のお手製ですよ。美味なワインと違って不味いかもしれないですよ。いや、美鳥と飛鳥の卵は約束された天上の味なんだけど、それがこの人の舌に合うかと言ったら一概にはそうとも言えなくて。で、本気で食べるんですか。ああどうしようもっと豪華なもの作ればよかった)
「本当ですか?」
動揺のままに聞き直すと、「君が嫌じゃなければ」というボソボソした返事があった。や、全然嫌じゃないですよ。ただ戸惑っただけというか、予想外でびっくりしたというか。
「いえ、嫌だなんて。兵士様さえよろしければ、是非召し上がってください。お口に合うかどうかは分かりませんが……」
はっ、否定するのに首と手をぶんぶん振ってしまった。思いっ切り地が出てる。
バツが悪くなり、顔の前でぶんぶんしていた両手をささっと体幹にくっつける。恥ずかしいったりゃありゃしない。
頬に灯る熱を見せないよう、回れ右して調理台へ戻る。
「どうぞ掛けてお待ちください。すぐにお出ししますから」
背を向けたまま言うと、少しの間を置いてガタガタ物音が聞こえた。彼が椅子に座ったのだろう。
ダイニングにはテーブルが一卓と二脚の椅子がある。椅子は来客用にと余分に購入していたのだが、ここに来て役に立つとは思わなかった。だってねえ? 引っ越しと同時に誰かと同棲するなんて、想像もつかなかったんだもん。
(どうしよう。何を出そうか。パンはたくさんあるから適当な数を籠に入れて……ジャムも添えたほうがいいかな? いや、この人が甘いの好きとは限らないから瓶で出しておこう。お好みでどうぞ、みたいな。ポタージュは足りる。ベーコンエッグは……んー、二枚あるから二人分に分けよう。一人で全部食べたかったんだけどなー)
食器棚から彼の分の食器を出し、料理をよそっていく。食事の準備をするうちに、頬の赤みは引いていった。微かな気まずさは残っているけど。
気まずいといえば、今から始まる朝食タイムだ。
彼に料理を振舞うのはまず良いとして、同じテーブルで食事をするのは、ちょっと、かなり気を遣う。主に会話とか会話とか会話とか。
(もう座っちゃってるから今更別々に食べるなんてことはできないよねえ。私だけ自分の部屋で食べるのも不自然だし)
何食わぬ顔でテーブルに皿を並べてゆき、着々と朝食の準備をしていく。彼はチラチラ私を見たり、下を向いたり、料理を見たり、視線だけがゆらゆら動いていた。
(いや、でも、これはチャンスかもしれない。この人と仲良くなる大きな一歩になったりするんじゃないの? 今まで断られてたばっかりだったのに、今日は「食べる」って言ってくれてさ、やっぱり昨日すこーしは距離が縮んでたんだよ。うん、前向きに考えよう)
意を決して彼の真向かいに配置してある椅子に腰掛ける。彼はまだ料理に手をつけようとしない。私が食べ始めるのを律儀に待っているのだろうか。
「兵士様、どうぞ」
促すも、静かに着席している彼は僅かに俯き、それから微動だにしなかった。
……。
……。
(え、なんでフリーズしちゃってるの? 食べにくいんですけど。まさか「やっぱりいらない」パターン? 苦手なものあったのかな)
なんだか食べにくくて、私もフォークを持ったまま静止してしまう。
「すみません、何か食べられないものがありましたか」
(どれも無難な食べ物だと思うんだけどな。卵アレルギーとかあったりして?)
問うてみるが、彼はふるふる首を横に振った。
「じゃあ、どうしてお召しにならないので?」
ちょっと聞き方を変えてみる。「はい」か「いいえ」で答えられるような質問ではなく、自由回答型の質問に。彼の考えている事を知るには、こっちの方が手っ取り早いかもしれない。返事が来るかどうかは置いといて。
彼は伏せ目がちに黙り込み、しばらくして口を開いた。
「……君が食べたら、食べる」
「え?」
(ん? 遠慮してる? 私が作ったご飯だから先に手をつけるのに気が引けるのか。まあ、そうだよね。私もターニャさんちでご馳走になる時はターニャさんファミリーが食べ始めて箸をつける感じだし)
彼の控えめな一面にはなんとなく親近感が沸く。だよねだよね、他人の家で他人に作ってもらった物を我先にと食べたりできないよね。
でもね、ずっとそうされてたらこっちだって食べづらいんです。遠慮される側の気持ちが少し分かった気がするわ。
「そんな、遠慮しなくていいですよ。料理も冷めてしまいます」
もう一度「どうぞ」と声をかけたが、彼は黙りこくって動かない。私が食事に口を付けるまで本当に待つつもりなのだろうか。物堅い人だなあ。
言葉を変えて何度か食事するよう突っついてみたけど、やはり彼はじっとしている。結構頑固なのかもしれない。
出来立ての美味しそうな朝食を前に何やってんだ、私も彼も。
根負けした私は少し息を吐き、食事に手をつけることにした。
「父なるレサと母なるシアの恵みに感謝を」
呟いて、左の頬から右の頬、最後に下唇へ指を這わす。異世界流の「いただきます」だ。自分ではだいぶ様になっていると思う。一人の時とか、私の身の上をよく知ってる人の前では日本での「いただきます」をするんだけどね。今日は彼が一緒だからこっち流で。
ベーコンエッグをフォークで一口大に切り分け、口に運ぶ。
(美鳥、飛鳥本当にありがとう)
……極上だ。これぞ贅沢の極みだ。や、メニュー自体は豪華じゃないんだけど、愛しい鶏様の産んだ卵と、ベーコンの脂身が絶妙にマッチしていてもう美味しいったらなんの。明日の朝もベーコンエッグにしよう。うん。
自分で調理した料理の出来に満足していると、目の前の彼に動きがあった。
(あ、やっと食べるのね)
異世界流の「いただきます」をした彼は、徐ろにスプーンを持ち、スープ皿に手をかける。ほほう、まずはポタージュからいくのね。
(この人にとっても美味しい味だったらいいんだけど……なんせ私好みの味付けだからなあ)
日本に居た頃も異世界に来てからも自炊自活はずーっと続いてるから、それなりに料理には自信がある方だけど、ちょっと心配になってきた。もし一口飲んだだけで残されたらどうしよう。うわあ、超ショック。
「どうですか?」
彼がポタージュを口に含んだ頃合を見計らい、澄ました顔でさり気なく聞いてみる。いやほらね、異性に手料理を振舞ってるわけだし、気になるじゃない。
そんな私の心境を知ってか知らずか、彼は私へ目線を向け、かと思えば俯いた。
何それなんで俯くの。
(ま、不味かったですかーっ!)
盛大な心の叫びを喉からは出さず、表情も崩さなかった私は偉い。
「すみません。お口に合いませんでしたか」
謝った自分の声が、どことなく沈んでいた。あ、ちょっと声に出ちゃったわ。だって悲しいんですもの。このくらい仕方ない。
「やっぱり、お城で出るご馳走とは比べ物にならないですよね。もっと料理の勉強をします」
場を取り繕うよう、朗らかに微笑んでみせる。彼へのフォローなんだか私へのフォローなんだか……もう、悲しいよ私は。
このしょんぼりした気持ちを飲み干してしまおうと、水の入ったグラスへ手を伸ばす。と、視界の隅でくすんだプラチナブロンドがふるふる揺れた。
(ん?)
グラスを掴んだ姿勢のまま顔を上げれば、ボソボソした彼の声が聞こえた。しかし、声が小さくてなんと言ったのか分からない。
「はい?」
グラスへ伸ばした手を引っ込め、彼の旋毛を見つめる。
彼はスプーンを片手に頭を垂れ、しばらく黙っていた。またもやだんまりである。
根気強く待ち、何分かしてやがて薄い唇が動く。くすんだプラチナブロンドの髪がさらりとそよいだ。
「……おいしい」
(!)
「え?」
聞こえた。「おいしい」って聞こえた。
だけど私は信じられなくて、聞き間違いじゃないかと思って、つい聞き直してしまった。
「おいしい」
すると彼は先ほどよりもほんの僅かに大きな声でもう一度「おいしい」と言ってくれ、私はらしくもなくポカンと言葉を失う。彼が言ったことが、今起きていることが夢の中の出来事のようで、なぜだか現実味がなかった。
「……」
「……」
(はっ! ええと、今何やってたんだっけ。そうそう、この人が私の料理を「おいしい」って言ってくれたんだった。ああ返事しなきゃ)
上目遣いの灰青色の瞳と目が合い、私はヒューンと現実に引き戻される。そんなに長い時間唖然としていたわけではないが、対人用のよそゆき顔が剥がれていたことが気まずかった。
けれど、それ以上に。
(「おいしい」って言われた)
彼が私にくれた言葉。私の作った料理への感想。
それが嬉しくて、急に心がむずむずする。もしかするとお世辞かもしれないし、私へ気を遣って嘘を付いたのかもしれないが、それでも「おいしい」と言われて悪い気はしなかった。
「あ、すみませんボーッとしちゃって。ええと、兵士様、ありがとうございます」
嬉し恥ずかしな私は締まりなく笑い、彼から目を逸らす。
「あの、不味かったら不味いって言っていただいて結構ですから……!」
気恥かしさを誤魔化すように出たのは、やけに力んだ声だった。
(うわあ恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいっ)
彼はパチパチと大きくゆっくり瞬き、私を真っ直ぐに見据えて「不味くない」と言った。
それがまた小っ恥ずかしくて、愛想笑いが照れ笑いになってしまうのであった。
*
会話は弾まなかったけど、賑やかではなかったけど、ちょっぴりぎこちない空気だったけど、私たちの初めての食卓は決して悪い雰囲気ではなく。
彼はポタージュとベーコンエッグを綺麗に平らげ、パンには手をつけなかった。
彼の言った「おいしい」の真偽はともかく、彼は私が作った食事を全部食べてくれて。私としてはそれだけで十分満足だった。
その日から、彼は家にいる時私と一緒に食事を摂るようになった。まだまだ微妙な空気が流れることが多いが、彼は「おいしい」と言って私の手料理を残さず食べてくれるので、彼と同じ食卓を囲むのは嫌ではなかった。
初めは私と同じ量しか食べていなかったのに、日が経つごとに彼の食事摂取量は増えてゆき、今ではおかわりを必ず一、二回はしてくれる。そのせいなのかどうなのか、彼の顔色がここ数日で随分良くなった。隈は相変わらずだけど。
以前はあんなに蒼白だった彼の皮膚は、今では「肌色」そのものになっている。色白には変わりなかったが、血の気があるのとないのとでは大違いだ。
唇だって薄紫からくすんだオレンジにレベルアップ。細い体躯も少し肉付き、体重も増えたと彼が言っていた。
ここで一つ疑問。一緒に食事をとるようになって身体的な変化が表れるということは、彼のもともとの食事量はどの程度だったのか? 城でどんな物を食べているのか?
はい。私、聞いてみました。
アンサー。「……朝は食べない。昼は同僚が食べろってうるさいからサラダを少し。夜は栄養剤一本」。
……あのですね、それは「食べる」内に入らないです。そりゃ持病がなくても不健康そうな外見になりますよねー。むしろ不健康です。
私の中で謎が解けた瞬間であった。そんな乱れた食生活してたからこの人はあんなに顔色が悪く、ひょろひょろだったのだ。
以降、私は栄養バランスを今まで以上に考えて料理をするようになり、調理方法やレパートリーが潤っていった。明日は久しぶりにフェデリカとターニャさんとお茶をするので、新作を持って行ってみようと思う。
しとしとと降る雨を窓越しに眺めながら、夕飯のメニューを考える。もうすぐ雨祭りなので、ストラを使った料理はやめておこう。
ペッカイナ王国では毎年六月十四日を「雨祭り」なる祭日としており、この日は大地を癒す雨に感謝し、また雨害が生じないよう国民総出で祈るのだ。で、祭りの終わりにそれぞれの家でストラというフルーツを使った料理を食べるのが古くからの習わしになっている。
どうせ雨祭りの日にストラ料理を作るんだから、それまでは別の食材を使っていくことにしよう。そうだ、市場でよく熟れたメトマを手に入れたから、完熟メトマの鶏肉煮込みなんかどうだろうか。いやいや、鶏肉は美鳥と飛鳥ではありませんよ。肉屋で買ってますとも。
夕飯のメニューが決まったところで、私は夕方の掃除を始めるのであった。彼が帰ってくる前に、髪の毛一つたりとも除去するのであります。それが終わったらカツラチェック。
同棲生活ももうじき二週目に入る。慣れてきたが故に、気が緩まないよう注意しておかなければならない。
我が身を守るため、保身には余念がない私。とは言っても、そこまで身バレ防止を徹底しているわけではないんじゃないかと最近思う。
身バレを本気で避けるならば、もっと人気のない場所で一人でひっそり暮らせばいいのに、私はそれを選んでいない。もとより、本当に嫌ならこの同棲だって敢然と断っているはずだ。
そうしないのは、やっぱり「普通」に──人の営みや他者との関わりを捨てずに暮らしていきたいからなんだろうなあと、雨の湿っぽさに触発されて少ししんみりしてしまった。




