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彼と私の二重奏  作者: POMじゅーす
2.始まりの奇想曲(カプリチオ)
14/30


 我が上司からの手紙を読み終えた私の顔は、いうまでもなく真っ赤になっていた。主に末文のせいで。

(何が「ははっ!」ですかターニャさん。もっと恥じらいを持ってくださいよ! き、き、生息子ってそれドウテ──っ、もうね、そんなデータいりませんから)

 大して仲良くもない赤の他人に性事情を明かされているのを、彼は存じているのだろうか。

 ……この人が可哀想でたまらない、本当に。

 特別綺麗でも可愛くもない、性格だっていいわけではない私のお相手に選ばれ、とばっちりでフェデリカに尋問やら忠告やらをされ、望んでもない(に違いない)同居を強要され、男のプライドに関わるであろう性事情を明かされ──ほんっと不憫で不憫でしょうがない。巻き込んでしまって心苦しいです。はい。

 いや。いやいや、重要なのはソコじゃないでしょう。七恵、しっかりしなさい。

 私は二、三度文面を読み直した後、便箋から顔を上げる。椅子に座り佇んでいる近衛兵を見やれば、彼はプラチナブロンドの旋毛を覗かせ頭を垂れていた。

(あ、生息子──って違う違う違う違うそうじゃない! 失礼にも程があるぞ私!)

 火照りの残る頬に冷水をぶっかけたい。そのまま氷の様に溶けてしまいたい。

「……おおよそ把握しました。すみません、取り乱してしまって」

 変にドキドキしている心臓を知らんぷりし、できるだけ平然と言った。

「婚約者──になるかもしれない人がいる事は知っていたのですが、その方と同じ屋根の下で暮らすというのは初耳でした。兵士様はいつからご存知だったのですか?」

 聞けば「五月に入ってすぐだった」という返答があり、私はビックリしてしまった。五月初めといえば、私が贈り物を頂き、引っ越しを決めた頃ではないか。そんな早い時期から画策していたなんて、くそっ、グスタフさんめ。許せん。今度会ったら──えーっと……だめだ、いい仕返しを思いつかない。

 暗躍していたグスタフさんへの憤りがふつふつ沸く裏で、力なく俯いている彼が気の毒になる。誰得仕様な私のお相手に選ばれ、フェデリカに噛み付かれて、気まずさ満開の同居を強要され、赤の他人に童貞とバラされ……哀れまずにはいられない。

 私が直接どうこうしたわけではないが、私自身に大きく関与しているためか、何やら罪悪感が芽生える。その、当事者として。

「そうですか……兵士様を巻き添えにしてしまったようですね。大変ご迷惑をお掛けしました」

 俯いたままの近衛兵にぺこりとお詫びの礼をすると、彼は少しだけ頭を上げた。くすんだプラチナブロンドの前髪の間に、虚ろな灰青の双眸が見える。心なしか、その瞳に影が灯っている気がした。

(げっ、怒ってる? 鬱陶しいと思ってる?)

 もしかすると、私は彼に恨まれているかもしれない。だって、恋人でもない異性と同棲とか私だったら嫌だもん。しかもこんなパッとしない女と同棲なんて、心躍るはずがない。心しょぼむわ。

(で、でも私のせいじゃない。あー、この人にどう思われてるんだろ。せめて言い訳、いや釈明させて! 断じて私が彼氏欲しいと駄々こねたり、同居を提案したりしたんじゃないんですよ! 私は無実です)

 私は八方美人で小心者。誰にでもいい顔して、適当に周囲に合わせて、波風立てずに目立たず生きていきたい。そんなもんで、相手が誰であろうとマイナスな感情を持たれたくはなかった。よっぽど嫌いな人間は別だけど。

「あの、今回のことですけど、私本当に何も知らなかったんです。初めにターニャさ──様にこの家と土地を贈り物として頂いた時は、引っ越しの準備で忙しくてですね。あっ、ターニャ様は私の雇い主でして、色々とお世話になっております。ええと、それで、ちょっとしたことがありまして、婚約者になるかもしれない人がいると昨日気付いた、うん? 知らされた? んです。けど、その人と同居するなんてのは一言も聞いていませんでした。ターニャ様が独身の私を心配して企画されてたみたいで、私の知らないうちに事が運んでいて……すみません」

 彼に誤解されたくないと焦った私は、しどろもどろにざっと事情を説明した。ところどころに自己擁護を入れて。ああ、私ってば小者だなあ。

 深く頭を下げ、申し訳なさ全開の態度を取る。

「カイン様の命となれば、お断りしたくてもできなかったのでしょう。私のような凡庸な女の相手を務め、同じ家に住むなんて。非常に申し訳ないです」

 おずおずと顔を上げると、ぼうっとこちらを見ている近衛兵と視線がぶつかった。いつの間にか彼も顔を上げていたようだ。

 濃い隈に虚ろな眼、肌は蒼白、色のない唇、八の字に歪んだ眉──初めて会った時と変わらない彼の顔。灰青色の瞳の翳りは消えている……ように見える。

 我知らず大きく息が出た。それは疲れや緊張感が途切れた、安堵のものだった。

(怒ってはなさそう、かな?)

 彼の内心は謎だけれど、少なくとも表情に出るほどの怒りはないようだ。この人はいっつも同じ顔をしてるので、本当はどうなのか分からないが。まあでも、顔に出されないだけまだいい方である。

(はー、よかったよかった。激高されたり邪険にされたらどうしようかと冷や冷やした。そういう意味で、この人がお相手さんでラッキーだったのかもしれない。一応、顔見知りだし)

 フェデリカがギョッとし、カインさんが「見てくれは悪い」と言うくらいなので、私の恋人候補はトンでもない人なのかと推測していたが、彼くらいなら許容範囲内だ。いや、すごく特徴的な外見ではあるけど、小太りで脂ぎったおじさんや、ヒゲもじゃの大男よりは遥かに良い。私的に。

 また、彼は何を考えているのか分かりにくい不思議な人だが、不満や敵意を顕にして私を攻撃してはこない。これがズケズケ毒を吐いたり、露骨に嫌そうな挙動をとったりする人だったら、私は必ず煩わしくなっていただろう。そんな相手でなくて幸いである。

 世の中にはイヤな奴なんて、腐る程に存在しているのだから。

「……でも、兵士様で良かった」

 素直にそう思った自分がそこに居て。

 人心地がついたせいか、気の緩んだ声をうっかり漏らし、にへらっと笑ってしまった。

(あ、やばっ)

 慌てて「何度かお会いしましたでしょう? 見知らぬ方じゃなくてほっとしてしまいました」と取り繕うと、彼は一度、ゆっくり瞬いた。隈のこびりついた双眸はこちらに向いており、私たちの視線は交わっている。

 灰青の瞳は、いったい何を湛えているのだろう。

 この人は今、何を思い、何を考えているのだろう。

 おすまし顔でじっと見つめてみる。

 けれど彼は、初めて会った時と同じ顔のまま。

 ……読めない。本当に不思議な人だ。

 何秒か経ち、目を合わせているのも居心地が悪くなる。私はちょっとだけ目線を下げ、彼の鼻筋を見るようにした。

 彼はというと、沈黙を保ち依然私を凝視している。うん、気まずいよね。

「あの、ターニャ様から相手の男性の承諾を得ていると聞いてはいますが、もし不本意であれば今からでも撤回できるようお伺いを立てますよ」

 その場しのぎに思いついたことを口に出す。

 そうそう、これは大事なことだ。ターニャさんは「向こうも了承済み」と言っていたが、果たしてそれは彼の真意なのか。私のように上司からの提案を断れなかっただけなのかもしれない。真意であったとしても、相手が私だと分かって気が変わった可能性もあるので、ちゃんと聞いておかないと。

 不健康そうな青年は長らく黙し、唇を微かに開く。しかし、言葉は出てこない。

 何か言いたいのに言えないのだろうか。ああ、断ろうか迷ってるのかな? 遠慮せずズバッと言ってくれていいのに。その方がお互いのためだ。

「気兼ねなく本音を言っていただいて結構ですよ」

 穏やかに促してみる。彼は俯き、ゆるゆる首を横に振った。

(あれ、首を振るってことは、相手が私でいいんですか)

「こんな十人並みの女が兵士様の相手でもよろしいので?」

 確かめるように尋ねると、一拍の間をおいて今度はのろりと首を縦に振った。

(えっ、いいの? 私、美人でも可愛くもないのに。いや、気を遣われてるのかもよ?)

「本当に?」

 しつこいかな、と思いつつこわごわ問う。彼は寸刻後、もう一度縦に首を振った。

(えっ、いいんだ! いやいや、やっぱり気を遣ってるだけじゃ)

 彼の回答を信じきれないが、これ以上聞くのも失礼だし、くどいだろう。

「……そうですか。それは良かったです」

 ニコリと空笑いを一つして、私は考えた。

(この人は私が相手でオッケーみたいだけど、私はどうなんだろ。この人が恋人候補で大丈夫? んー……)

 彼の容姿は、まあ、病的な外見だけど生理的に受け付けない訳でもない。好みでないにしろNGでもなく。フェデリカにとってはギョッとする見た目なのかもしれないが、私はそうでもなかった。会った事があるからかな? あ、さすがに初見は顔色のひどさにちょっとビックリしたけどね。

 年だって同じくらいだろうし、手に職もつけてるし(それも近衛兵)、性格は──三回会っただけだからまだよく掴めていない。でも、そこまで問題がありそうな人には見えな──……あ、だいぶ不健康そうなとこは気になるかな。病気だったら私が看病しなくちゃいけなくなるんじゃないの? 好きな人だったらまだしも、そこまで親しくない人間の介護要員になるのは勘弁。けど、今すぐ介護が要りそうではないよねえ。兵士として働いてるくらいなんだから。

 あと引っかかる所は……メンタリティーくらいかな。ボソボソした喋りといい、スローペースといい、あんまり目を合わせない事といい、よく俯く事といい──暗めだよね。不健康そうな容姿と相まって余計にそう思えてしまう。心が病んでなかったらいいんだけど。愛のないヤンデレは凶器でしかないわ。

 私は椅子に座る彼にそっと視線を這わせ、短時間で吟味する。躊躇いはあったが、わりと早く答えは出た。

(……んー。とりわけ拒否する判断材料が見当たらないから別にいいいいんじゃないかなー。アクは強いかもしれないけど、今のところ私に害はなさそうだし)

 この人がどんな人間なのか、初めて会ったときから興味があった。彼の内面を知りたい気持ちと、自分に有害かどうか推し量った結果、「まあいいかなあ」と曖昧ながらも受け入れることにした。万が一に不都合があれば、さり気なく距離を置こう。

 で、ここまではよしとして。

 一番の厄介事が残ってやしないですか。

 そう、「同棲」。

 私は彼を恋人候補として認めることにした。が、「同棲」「同居」というのは如何なものか。

(それはちょっと、キツい。非常に)

 即座にダメだと思った。

 知り合って間もない年頃の男女が一つ屋根の下で暮らすなんて体裁が悪い。ターニャさんの手紙には「同棲理由は近衛の任務のためという事にする」、と書かれてあるけど、みんながみんなそれを信じる訳じゃないでしょうよ。

 ご近所さんに根も葉もない噂を立てられたら困る。いや、周辺の民家とは最も近くてウン十メートルの距離があるんだけどさ、立つ時は立つよ、噂ってやつは。

 同居人に気を遣って過ごすのもストレスだ。せっかくの我が家なのに気が休まらないではないか。それに、ターニャさんはき、き、「生息子だから心配するな」って言うけど、男は狼なんだぞ。ひょんなことから私のみさおが奪われでもしたらどうしてくれんの。

 何より、この人と暮らすことで私の正体を知られる危険性が出てきてしまう。仮に私の素性がバレたとして、彼の口が堅いか軽いかは不明だが、二年間の頑張りが水泡と化するリスクは十分にある。平穏な生活が壊されるのは嫌だ。

 うん、同居は無理。手紙には一ヶ月間の同棲を強要する内容が書かれてあったけど、一ヶ月も無理です。できません。

 だけど、自分から「同居は嫌です」とキッパリ言える訳もなく。だってねえ、彼には負い目があるし、相手に悪く思われたくないエゴもある。私はとことん小者なのだ。

「それにしても、いきなり二人暮らしをするというのはどうなのでしょうね。世間体を考慮するとあまりよろしくないかと思いますが……兵士様のご面倒になりはしませんか?」

 首をかしげ、困ったような、憂うような口調で話しかける。彼の方から「同居はやめたほうがいい」或いは「同居は嫌だ」と言ってくるよう誘導を開始した私は、ずるい女だ。いえいえ、このくらいできないと世の中渡れませんことよ。ほほほ。

(普通に考えて面倒でしょ。好きでもなければ仲良くもない異性と同棲なんて)

 きっと彼は頷くに違いない。

 そう思っていたのだけれど。

 ……。

 ……。

 ……ふるふる。

(ええ!? マジで?)

 長い時間音無しの構えをとっていた彼は、あろうことか左右に首を振りやがった。

 これは大誤算だ。いや、まだ修正はきくはず。なんとか同居しなくてよくなるよう上手いこと誘起しなければ。

 私は引き攣りそうになった口元をキュッと上げ、愛想笑いを作る。

「兵士様、気を遣っておられませんか? 私如きに配慮など不要なので、正直に言っていただいていいんですよ?」

 さあ、思い直せ。思い直すんだ。一言「嫌」と言えばいい。ジェスチャーでも構わない。「拒否」してくれ。お願いだから。

 そんな私の願いも虚しく、彼はまたもや首を横に振った。

 もうね、どうしたことかと。上司であるカインさんの命令に従順なだけなのか、私へ遠慮をしているのか、それとも本気で同居オッケーなのか。分からないけど、とにかく私は同棲したくないのであります。

「それなら、良かったですが……私のような一般庶民が兵士様にお手数を掛けてしまい、恐縮です。あ、そういえば、元々住んでいたご自宅はどうされたのですか? 一ヶ月も不在だと家の管理にお困りになるのでは?」

 見た限り、室内にある家具は少ない。高給な「近衛兵(エリート職)」に就いている彼の所持する家具がたったこれだけのはずはなく、おそらく必要最低限の物だけ運んだのだろう。なので、残された家具や自宅の管理が不可欠なのではなかろうか。

「もしもご自宅が心配でしたら、無理してうちに住まなくてもいいのですよ。自宅の方が休まるでしょうし、便も良いんじゃないですか?」 

 彼が裕福な貴族であれば使用人で事足りるのかもしれないけど、「近衛兵」って実力主義だから貴族も平民も入り乱れてるんだよね。この人は……私服も家具も飾り気がないし、オーラに気品も感じないから(失礼)平民っぽい。

 彼が平民だったとして、使用人を雇うほどのお金を持っていないとしたら、たぶん自宅を空けたくないだろうなあ。私だったら不安だわ。一ヶ月も家を空けるの。あ、でもこの人は私と違って親兄弟がいるかもしれない。留守を任せられる家族がいればそんなに困らないのかも。うむむ、何分彼に関する情報が不足してるから、なかなか妙案が出ないなー。

『家が心配でしょ? 帰宅してもいいのよ』作戦は失敗しそうだ。次の手を考えないと。

 そう思い、思考を巡らせていると、案の定彼はふるふる首を横に揺らす。

(あちゃー。やっぱり? この後はどうしようかな)

 策を練る私をよそに、彼はのそりと首をもたげた。傷んだ髪の隙間から灰青の眼が覗き、目玉がギョロリと私へ動く。捉え方によってはホラーかもしれない。

「寮、出されたから……帰る家がない」

(え?)

 ボソリ。小さく漏らされた言葉に、一瞬私の知的活動がピタッと止まる。

 しかし私は立ち所に思考ロジックを組み立てた。私の脳細胞もまだまだ若いわ。

(「寮を出されたから帰る家がない」。ということは、これまでこの人は城兵用の寮に住んでいて、けど、そこから出ることになった。だから彼の帰る場所、すなわち「自宅」は今はなくて──あれ、帰れる家がないって、じゃあこの人ここに住むしかないんじゃない? うわ、予想外にヤな展開! で、「出された」なんて言い方から考えると、自分から進んで寮を出た訳じゃなさそう)

 彼に寮を出る気はなかったけど、彼は出ざるを得なくなった。

 それは。

「どうしてですか」

 驚きを隠せず、私は反射的に問うた。答えはほとんど分かっていたが、それでも問わずにはいられなかった。嫌な気配がむんむん香ってくる。

 一秒、二秒、三秒……書斎にある壁掛時計の音が後ろから聞こえてくる。彼の答えを待つ時間が長く感じられた。

 彼はワンテンポもツーテンポも間を空け、虚ろな灰青の瞳を伏せる。どこかで胸騒ぎがし、時を同じくして血の気のない唇から音を出した。

「……婚約者きみと暮らさないといけなくなったから」

 うわあああああああああああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい!

 いや、決して私が悪いわけじゃないんだけど、すごく申し訳ないです。例え了承済みだったとしても、私のお相手に抜擢されたせいで、寮を出ることになったなんて。

「すっ、すみません私のせいで!」

 私は彼の平穏を奪ってしまったのだ。

 仕組んだのはグスタフさんであっても、持ちかけてきたのはターニャさんであっても、その中心にいるのは私。

 カインさんに「婚約者と住め」と言われ、彼は寮から「出された」。私のお相手に選ばれたがために、私と同棲するために、私のせいで。

 激しい自責の念に駆られたが、その裏で「これはチャンスだ」と思う自分が居た。

(「出された」って言うくらいだから、この人は寮を出る、つまり私と同棲する事に不満を持っているはず。それなら話は早い。私がちょっとキッカケを作れば、トントン拍子に同棲解消できるんじゃないの?)

「本当に申し訳ないです。赤の他人と──私なんぞと同じ家に住みたくありませんよね。なんでしたら可能な限り早く寮に戻れるよう掛け合ってみますよ」

 この人が「そうして欲しい」と言ったなら、首をこくんと縦に振ったなら、ソッコーで城に行こう。んでグスタフさんに「同居無理でした」って言おう。あの狸爺に舌戦を挑むなど死んでも避けたいところだが、そうも言っていられない。

 これは緊急事態である。繰り返す、これは緊急事態である。

 彼はほんの少し顔を上げ、上目遣いで私をじーっと見つめた。何を考えているのか分からない灰青の双眸に吸い込まれそうになる。

 そろそろ目を逸らそうかと思っていると、彼はやおら首を振った。

 ……縦ではなく、横に。

(えっ!? 今首横に振った? これこそ緊急事態なんですけど!)

 焦る心をひた隠し、心配するような口ぶりで彼に話しかける。

「え? いいんですか? この家、王城から離れてるので通勤には不便ですし、私のような者もいるんですよ。本当にここに住んで大丈夫なんですか?」

 私は大丈夫じゃないですので、どうぞお断り下さい兵士殿!

(レサ様、シア様、神様仏様、どうかこの人が同居を考え直しますように)

 どうか、どうかと切に祈っていたが、私の祈りは神に届かなかったようで。

 彼は長い沈黙ののち、ゆっくり頷いた。そして、ボソボソっと呟くように低い声を出す。

「君が嫌じゃなかったら、別に……」

(えええええええええええ)

 その言い方だと、「別に」の後に続くのは「いい」とか「大丈夫」とかだよね? マジで!? いいの!? ここで暮らすの!?

 どう切り返そうか逡巡していると、彼がゆらりと顔を上げた。

「……君は、嫌じゃないの?」

 今日、彼が放った初めての問い。

 真っ直ぐに私を射抜く瞳は、答えを求めていて──彼の視線と言葉に気が動転してしまった私は、うっかり口走ってしまう。真逆の答えを。

「え? わ、私は嫌じゃないですよ。全然」

(私の大馬鹿野郎ー!)

 早まった。早まりすぎた。なに墓穴掘ってんの私。馬鹿なの? 死ぬの?

 いやでもだって、「嫌です」って言ったら相手を傷つけてしまいそうじゃないですか!

 くっ、これだから八方美人は損するんだ。誰にでも良い顔しようとしていっつもこうやって失敗する私は、馬鹿以外の何者でもない。

 後悔。後悔の二文字しかない。だけど、後悔したって口から出た言葉を戻すことは不可能だ。そうできたらどんなに良いことか。ああ、魔法で時を巻き戻せたらなあ。

 大きく瞬いた彼へ、にっこり笑ってみせる。張り付けたままの穏やかな表情が歪まぬよう、誤魔化しついでに。

(どうしようどうしようどうしよう)

 彼は私から目線を外し、少し俯いた。

 なんかもう雰囲気的に同棲する空気になってない?

 彼も私もお互いが恋人候補でよくて、彼は私とここに住んでも大丈夫で、私はそんな彼に嫌だと言えなくて。

 あれ、このままだとほんとに本気で同棲生活始まっちゃうんじゃない?

(いやいやいやいやいやいやそれはだめ。ダメなんだけど、どうしよう)

 焦りや不安などの感情や、数々の策がぐるぐるぐるぐる頭を回っていく。脳内で色々シミュレーションしてみたが、どれも良い策とは言えないものだった。

 動かなければ彼との同居に甘んじることになる。しかし、成功率はどれも低そうで、無闇にグダグダ話を引っ張れば相手に不信感を与えることにもなりかねない。

 あれやこれや悩んだものの、名案は浮かばず、キッパリ「嫌です」と告げる度胸もなく。

 結局私は泣きたい気持ちで「これからよろしくお願いしますね」と愛想笑いをかますのであった。

(つ、辛い)

「クルッケッコッコー!」

 家畜小屋の鶏様が、私をあざ笑うかのように高らかに鳴いた。


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