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ハゲ親父のぼやき

作者: Ono
掲載日:2026/04/16

一、依頼が多い!


「ハゲ親父~、採取の依頼ある?」

 まだ店も開けちゃいねえのにそんな声で起こされる酒場の親父は、この街でも俺くらいのもんだろう。それと俺はハルゲルトだ。ハゲじゃねえ。

 王都から馬車で五日、交易路の要衝にある城塞都市グランダル。その一番でかい通りで一番でかい酒場、《鉄鍋と岩鳥》を営んでいるのが俺だ。四十五を過ぎてからやけに腹が出てきたのを気にしている。髪も確かに後退しつつあるが、目利きには若い頃よりも自信があった。

 酒場の親父にとって酒の知識より料理の腕より必要なものとは何か。それは酔っ払いが刃傷沙汰を起こすぎりぎりのところで止める勘だった。

 俺の勘は近頃、妙なところで役に立ってしまっていた。


「薬草採取か、きてるぞ。だが東門の湿地は昨日の雨で足場が悪くなってる。行きたきゃ相方を連れてこい」

「え~、やだよ! あたしの取り分減っちゃうじゃん」

「うるせえ! 死ぬよりゃマシだろうが」

 カウンターの向こうでぶんむくれるのは見習い採取人のメイという。十四だか十五だか十六だか本人も分かっていないぺーぺーの小娘だ。薬草採取といっても野遊びじゃない。湿地には毒虫がいるし、腹を空かせた牙兎も出る。

 俺は壁に貼られた紙を剥がして、端に赤線を引いた。

「ほら、護衛帰りのエディが昼から空くってよ。半日契約で組んどけ。報酬は三七、お前が七だ」

「なんだよ親父、そういうことは最初から言ってよね!」

「言う前にてめえが文句垂れてんだ!」

 メイは舌を出し、依頼票をひったくって走っていった。その背中を見送りながらやれやれとため息をつく。


 なぜ酒場の壁に依頼票が貼られているのか。昔はこうじゃなかった。もともとこの手の依頼――薬草採取、荷運びの護衛、迷子の捜索、農地の獣追い、橋の補修の手伝い――は教会掲示板に貼られるものだった。

 教会は文字を扱える者が多く、誓約の立会人にもなれる。金銭の仲介こそ不得手だったが信頼という点では街一番だ。

 依頼主は農民か小商人。受けるのは日雇いと猟師の若者、たまに暇を持て余してる衛兵崩れ。件数は少なく内容も似通っているから掲示板一枚で足りていた。

 だが、街が育ってくると話は変わる。


 北の鉄鉱と南の塩がここグランダルを通り、西の毛織物と東の薬種も同じくここを通る。

 街道が俺の腹のごとく肥えれば商人が増える。商人が増えれば倉庫が建つ。職人が集まり、家族が増える。パン屋も洗濯屋も医者も増える。人が増えれば、面倒の種類も際限なく膨らんだ。

 教会掲示板にはある時期からとんでもない量の依頼が貼られるようになった。失せ物探し、地下水路の掃除、郊外の見回り、野犬駆除、行商の護送、採石場の応援、森道の測量補助、遺跡荒らしの追い払いまで。

 神官たちは困り果てた。そりゃそうだ。祈祷の合間に「倉庫の大鼠退治を誰に課すべきでしょう」なんて相談しても神は対応しちゃくれねえ。

 そこで指差されたのが俺だった。理由は至極単純、依頼を受けるような荒くれ者どもは最初っからうちの酒場にいた。

 力自慢で頑丈で、剣を扱えて、根はまあまあ悪くない。そういう連中の顔と腕前と借金額を把握しているのは、教会でも衛兵所でもなく、酒場の親父ってわけだ。


『ハルゲルト殿ならば我らも安心して采配をお任せできます』

 三年前、そう言って持ってきたのは教会の助祭だった。もちろん全力で断った。酒場は酒を出す場所だ。職業紹介所じゃねえ。だが助祭は言ったのだ。

『成功報酬として、斡旋額の五分を認めましょう』

 その瞬間、俺は神の導きってものを理解した。人助けってなぁ大切だよ、うん。


 そんなわけで始まった依頼管理はちょっとした副業のつもりだった。ところが気づけば逆転だ。

 想像以上に依頼が多い。すると仕事を探す連中が集まる。そいつらに酒が売れる。人がいるから依頼主も増える。依頼主がくるから、また受け手が増える。流れ始めた川はすぐに激流になった。

「親父、南街道の護衛を受けたいんだが」

「お前らんとこじゃ駄目だ。荷主が絹商でな、片方の車輪が割れかけてる。修理の手際が必要だ」

「え、そこまで俺らが見るの?」

「依頼書に書いてあるだろうが! 読め!」

「だって字が細えもん」

「文句言うんじゃねえ! 叩き出すぞ!」

「横暴!」

 そうやって俺が人を見繕い、依頼を仕分け、報酬の一部を預かり、未払いを防ぐ仕組みまで作っていた。うちは酒場だってのに。どうしてこうなった。


 それでも所詮は酒場の延長。この時はそう思っていた。


 ***


二、鍛冶屋がうるせえ!


 人が集まり、金が流れる形が決まると、そこには看板が立つ。たとえば鍛冶ギルドがそうだった。

 この街がまだ石壁一重の小さな所帯だった頃、剣を打つ鍛冶屋、鎧を綴じる鍛冶屋、馬蹄を作る鍛冶屋はそれぞれ好き勝手に仕事をしていたらしい。

 だが鉄は高い。炭も高い。職人同士で価格を潰し合えば最後にゃ共倒れだ。だから協定を結び、材料の仕入れに弟子の年季、品質の基準、納品の期限を定めた。それが鍛冶ギルドの始まりだ。

 商人ギルドも似たようなもんだ。商店が増え、露店が増え、街道税と市場税の取り扱いが煩雑になった結果、「誰がどこで何を売って良いか」を整理しないと毎週どこかで殴り合いが起こるようになった。いや、整理しても殴り合いは起こるんだが、役所へ訴える順番くらいは決まる。

 文明ってのは喧嘩の方法を洗練させることなのだ。


 その点、鍛冶屋どもは最近まったく文明的じゃねえ。

「ハゲ親父、聞けよ!」

 昼下がり、掃除中の店に駆け込んできたのは鍛冶屋の親方ガルンだ。肩幅は樽、腕が俺の太腿くらいある。鉄を素手で曲げそうな顔をしているが、実際に曲げるのはへそばかりだ。

「んだよ、うるせえな」

「軍用契約の連中がよォ、俺ら街場鍛冶を“ハンパ”呼ばわりしやがって!」

「確かに営業時間はハンパだな」

「なんだってえ!?」

 ガルンの店はいわゆる“戦士向け”だ。護衛や採取を請け負う個人の剣士、荒事屋の連中相手に剣だの籠手だの短弓だの、背負子の金具まで売る。

 一方で鍛冶ギルドの古株には王国軍専門の工房がある。そいつらは槍百本、鎖帷子五十着、投石機の軸金具一式。そういう大口の注文を年に数度まとめて請ける。

 どちらが上かといえば、昔は軍用側だった。王国の契約を取れるのは名誉であり安定だ。しかし最近は空気が変わった。


 王国軍は大口だが、次の注文まで間が空く。支払いも遅い。その間も鍛冶場の炉は休ませられず、弟子に飯も食わせにゃならん。

 その点、個人相手の商売は小口だが回転が速い。しかも近頃は護衛や採取を生業にする連中が増えていた。武器も防具も消耗する。金になるのだ。

「この前も若いのがきてよ。火狼に噛まれたって革脚絆を持ってきたんだ。金はねえが来週の報酬で払うって。で、受けたら本当に払いやがった」

「珍しいじゃねえか」

「珍しいから覚えてんだよ」

 客が根無し草でも仕事は森だ。数があり頻度があり、要するに戦士の客は商売になる。


 それを面白く思わないのが軍用鍛冶の連中だ。奴らからすれば鍛冶屋は国家に剣を納めてこそ一流。個人相手に剣を売るなど二流の小商いに見える。逆に街場鍛冶からすれば、軍の都合ひとつで首を絞められるほうがよほど危うい。

 対立は価格競争に発展し、やがて材料の買い付けでも火花が散った。鉄材問屋には前金が飛び交い、炭焼き小屋には囲い込みが起こり、商人ギルドまで巻き込んで街のあちこちで帳簿の殴り合いが始まった。比喩じゃねえ。本当に帳簿で殴ったらしい。分厚いもんな、あれ。

 そのしわ寄せがどこへくるかといえば、分かりきっている。うちだ。


「親父、安い短剣ない?」

「盾が壊れた」

「岩鳥の羽根集めたから鏃だけ売ってよ」

「てめえら、うちは武器屋じゃねえ!」

「ガルンの店、混んでんだもん」

「じゃあ並べよ」

「依頼の集合時間に遅れちゃうよ」

「俺が知るか!」

 気づけば店の片隅には鍛冶屋の納品待ちの若者が溜まり、どこの鍛冶屋で何を買っただの、あそこの革鎧は縫いが甘いだの、こっちの槍は重心が悪いだの、やたら詳しい連中がうろつくようになった。


 こういう連中には共通点がある。定職がない。仕事はしている。日雇いではない。しかし店に所属しているわけでもない。

 今日の依頼で稼ぎ、明日の装備を買い、次の依頼に備える。まだ街の誰もその働き方に正式な名前をつけていなかったが、酒場ではもう呼ばれていた。

 ――《冒険者》。

 最初にそう言い出したのが誰だったか覚えちゃいない。雑役で冒険たぁ大仰なと俺は思った。だが、地下水路に潜るやつもいる。崩れた塔を調べるやつもいる。沼で薬草を摘みながら盗賊に追われるやつもいる。

 言葉ってのは現実より先に走ることがあり、そのうち現実のほうが言葉に追いついてくる。


 ***


三、名簿を作れ!


 夢の後先には書類が必要。これは人生の大事な教訓だ。

 ある護衛依頼が転機だった。依頼主は中堅の染料商で藍の原液を隣町へ運びたいという。荷は軽いが高価で、盗賊に狙われやすい。

 募集にはすぐ三人が集まった。槍使い、弓手、片手剣。まあ上等。俺はいつものように出発金を預かり、帰還時支払いの約定を書かせた。

 その時、荷主の商人ギルド所属証の不備を見落とした。俺だけじゃない。助祭も衛兵詰所の書記もそれを見落とした。結果、帰還後に報酬支払いで揉めた。

 依頼主が言い張ったのだ。「契約印が仮印だから、本契約の金額は無効だ」と。


 当然、酒場は大荒れだ。

「俺たちゃ傭兵でも便利使いでもねえ」

「牙兎の群れも退けたっていうじゃん」

「ラッチなんか肩ざっくりやられて帰ってきたんだぜ」

「なのに値切りやがったんだ、野郎」

「てめえら、ごちゃごちゃ吐かすなら最初から依頼なんか受けるな!」

「依頼票を貼ったのは親父だろ!」

 八つ当たりだったが、確かに責任の一端は俺にあった。


 店が空になった明け方、俺は一人で勘定台に向かった。銀貨に銅貨、借用書と依頼票と教会の紹介状の山、荷主の控え、消えかけた蝋印。

 改めて並べると寒気がする。今までうまく回っていたのは誰もがそこそこ善人だったからだ。仕組みが優れてたわけじゃねえ。

 街が小さいうちはそれでもいい。顔見知り同士なら何とかなる。だが人が増え、仕事が多様になり、金額が増えれば抜け穴も増え、そこを通ろうとするやつが出る。


 朝、俺は助祭と商人ギルドの書記を呼びつけた。

「名簿を作れ。依頼主も受諾者も、登録制にする。名前、出身、得意分野、保証人、過去の未払い、怪我歴、使える装備、全部書け」

「全部、ですか」

「全部だ。信用ってのは便利な時だけ欲しがるもんじゃねえ」

 書記の女が眼鏡を押し上げる。こいつもうちの常連で、名はマルティーヌ。二十代半ばにして妙に肝が据わった女で、商人連中でも彼女に言い負かされるやつは多い。

「いい案ね。依頼主にも前金を積ませれば踏み倒しは減るわ」

「前金の保管はどのように?」

「教会が嫌だってんならうちに共同金庫を置く。三者印で開くようにすりゃいい。酒場、教会、商人ギルドのな」

 助祭が露骨に嫌そうな顔をして、マルティーヌはにっこり笑った。

「信用の分散ね。ひとつに預けるから揉めるのよ」


 それから俺たちは寝る間も惜しんで仕組みを整えた。受諾者の登録札を木札で作り、依頼主には保証金の等級を設けた。危険度の目安も作った。街道、平原、森林浅部、湿地、遺跡、地下水路とランクが上がる。港の荷運びなんかの雑役と、近場の採取、害獣討伐、護衛に専門調査と依頼の分類もした。

 笑えるぜ。たかが酒場の親父がこんなもん考えてる。だが、必要だった。どの仕事がどれだけ危険で、どんな装備が必要で、報酬水準はいくらか。曖昧なままでは無駄に人が死ぬ。


 酒場の壁に新しい札が並んだ。白札は雑役。青札は採取。黄札は護衛。赤札は討伐。黒札は調査。常連たちは最初こそ「難しい」と文句を言ったが、すぐに慣れた。

「親父、俺もう青より黄札じゃね?」

「湿地ですっ転んで依頼人に背負われて帰ったやつが何言ってんだ」

「でも盗賊二人もやったし」

「まだ駄目だ」

「ケチ! ハゲ!」

「ハゲは関係ねえだろ!」

 依頼を受けて報酬を得ることを生業にする者たちは、少しずつ“職業”になっていった。荷馬車の横を歩き、森で泥にまみれ、時には下水に潜り、終わったら酒を飲んで寝る。日銭が新しい装備になり、それがまた次の仕事を呼ぶ。回り続ける輪の中で奴らはもう街の一部だった。


 ***


四、冒険者って何だ!


「ハゲ親父、冒険者って要するに何なの?」

 若い剣士のエディがそんなことを聞いてきた。金髪にそこそこ整った顔、そこそこ速い剣。取り柄は多少の臆病と慎重さ。

「何って、お前らだろ」

「いやそうなんだけど、俺ら職人でも兵士でも商人でも農民でもないじゃん。俺って何だろう」

「頭の出来以上のこと考えんな」

 隣でスープを啜っていたマルティーヌが俺の代わりに答えた。

「市場から見れば、需要の穴埋めよ」

「夢がねえ呼び方!」

「あるわけないでしょ」


 マルティーヌは淡々と指を折る。

「軍は動きが遅い。教会は手が足りない。衛兵は街の外に出にくい。商人が自前の護衛を抱えるには金がかかる。農民は繁忙期に雑務へ人手を割けない。だからその隙間で働く人間が要る」

「それが俺ら?」

「あんたたちは失業してもまた別の仕事を受けられる。雇う側からすると便利な使い捨て」

「言い方……」

「本質的でしょ?」

 エディはしょんぼりと肩を落とした。


 冒険者とはパッと見は自由なようで社会の都合に縛られた生き方だ。仕事の幅は広い、身分はあやふや。武器を持つが軍属ではなく、金を稼ぐが商人ではない。誰かの下請けでありながら誰の配下でもない。便利なだけ、危うい。

 街には冒険者向けの店が増えていた。携帯食を売る屋台。止血薬専門の薬種店。安い革袋を量産する工房。鍛冶屋もそうだ。軍規格の槍ではなく、個人向けの直しや小回りの利く装備を売る店が伸びた。

 そして問題も噴き出した。偽名で依頼を受けて消える者。討伐証明の部位を偽装する者。他人の獲物を横取りする者。遺跡から持ち帰った品を勝手に売る者。酔って店を壊す者。借金を踏み倒す者。まあ最後の二つは昔からいたが。


 俺はエディの木皿に燻製肉を一切れ投げた。

「お前らは新しいんだよ。そういう手合いは大抵、最初は歓迎されねえ」

「ひどい」

「鍛冶屋は素人が武器を使い潰すと文句を言い、商人は護衛料が上がると嫌がり、教会は死者が増えると嘆き、衛兵は勝手に武装した集団が増えると怒る」

「国は?」

「税が取れそうだと笑う」

 マルティーヌが横から茶化した。笑えねえよ。エディは神妙な顔をしていた。

「親父、詳しいね」

「酒場の親父だからな」

 新しい流行、新しい商売、新しい揉め事、それらは最初に酒の席へ流れ着く。

 俺は確信し始めていた。この街はもう《冒険者》をただの便利屋として放っておけないところまできている。


 ***


五、死人が出るぞ!


 秋、鍛冶ギルドが割れた。いや、とっくに割れていたものが表に出たんだ。

 発端は王国軍の納品だった。軍用専門の工房が納期遅れを補うために街場鍛冶へ下請けを回した。その支払い条件が最悪だ。材料費は各自持ち。完成品の検品権は元請け側。失敗したら責任は下請け。名誉は元請け。

 当然、街場鍛冶は反発した。しかも奴らにはもう逃げ道があった。冒険者相手の小口商売だ。一件あたりは安いが現金が回る。客が店まできて寸法が取れる。修理も追加も拾える。

 軍契約一本に頼る必要がなくなった街場鍛冶は、一斉にそっちへ流れた。すると軍用側が値下げ競争を仕掛け、対抗して街場側も中古再生品や廉価装備を並べる。商人ギルドは中間流通を飛ばされて利幅を削られ、素材相場は乱高下。ひどい有様だった。

 その頃には、うちの酒場の二階を丸ごと依頼管理用に使っていた。どうしてこうなった。


「ハゲ親父、見てくれよこれ」

 ガルンが持ち込んだのは安物の片手剣だ。一見すると悪くないが握ってみると柄の芯が甘い。

「こりゃ使ったら折れちまうんじゃねえか」

「南区の新顔が『冒険者向け』って安売りしてんだ」

「おいおい、死人が出るぞ」

「もう出たんだ」

 空気が凍ったようだった。


 荷運び護衛の若い男が盗賊の一撃を受けた拍子に剣が折れた。命は助かったが、仲間が片腕を持っていかれた。装備を売った店主は消えていたという。

 ああ、俺が恐れていたのはこれだ。新しい需要が生まれる時、まともな商売人だけが寄ってくるわけじゃない。

 冒険者が増えるというのは、ただ剣持ちが増えることじゃない。装備、薬、運送、保険、宿、食料、情報、治療、埋葬。すべての需要が増えるってことだ。


 俺が呼ぶ前からマルティーヌはもう動いていた。

「商人ギルドに話を通すわ。親父は教会と鍛冶屋を」

「衛兵所は?」

「もう行ってる。最近、冒険者同士の喧嘩で留置所が足りてないそうよ」

「あーあ、ったくよォ」

 冒険者にはもう、専属のギルドがいる。酒場でも教会でも鍛冶屋でもない。正式な、もっと広い枠組みが。


 ***


六、マスターじゃねえ!


 王国が動いたのは税と治安の話が出てからだった。役人ってのは死者の数より未徴収の銀貨に敏感だ。

 冬の始まり、城代官の名で布告が出た。

“昨今、街道および周辺地域における依頼請負人の増加に伴い、無許可武装者の往来、報酬未払い紛争、粗悪装備流通、討伐報酬の虚偽申告等が増加している。これを受け、王国は《冒険者》を公的職能として認定し、登録者に対し限定的な活動許可証を発行する。依頼仲介、資格審査、身元保証、成果証明については、新設の冒険者ギルドにてこれを管掌する――。”

 冒険者が、ついに職業になった。要はそういうことだ。


 店の中はひっくり返るような騒ぎになった。

「すげえ! 俺ら、ちゃんとした職業になるのか!」

「今までちゃんとしてなかったの?」

「ちゃんとしてたけど、もっとこう、紙の上で!」

「紙って大事だもんな! すげえ!」

 興奮する若い連中を横目に俺は布告の最後の一文に嫌な汗をかいた。“冒険者ギルド設立にあたり、当面の運営責任者として、現行の依頼集約機関たる《鉄鍋と岩鳥》亭主ハルゲルトを暫定任命する”だと。


「おめでとう、ギルドマスター」

 マルティーヌが満面の笑みで言った。

「俺ぁ聞いてねえぞ」

「言ってないもの」

「言えよ!」

「言ったら逃げるでしょ」

「ったりめえだろ!」

「だから黙ってたの」

 助祭は気まずそうに目をそらし、ガルンは肩を震わせて笑いをこらえている。エディなんか普通に拍手していた。


 店内のやかましさが全部俺に向けられる。

「そりゃ親父がやるしかねえよ!」

「俺らに顔が利くし、人を見る目もある」

「借金台帳もある!」

「よっ、ギルドマスター! ツケ帳消しにして!」

「うるせえ黙れガキども!」

 誰かがやらねばならない。そしてこの街で多くの冒険者と依頼主と職人と教会と商人に顔が利く人間が誰かといえば、まあ、俺だった。


 俺は酒場の親父だぞ。酔っ払いをさばき、シチューを出して、売掛金を回収して、たまに人生相談に乗る。そのくらいがちょうどいいんだ。

 それでも、布告を手に店内を見渡したら不思議と腹は据わった。腹の肉の話じゃねえ。

 薬草摘みのメイは今や三人の採取班をまとめている。エディは新人の護衛訓練を任されるようになった。ガルンは冒険者向け規格装備の標準寸法表を作った。マルティーヌの依頼台帳は六冊目。俺だけ無責任な酒場の親父のままってわけにもいかねえ。


「……ひとつ」

 騒ぎが静まる。全員の目が集まった。

「ギルドは二階、一階は今まで通り酒場だ。飯を食え。酒を飲め。ただし酔って登録札をなくしたやつは出禁だ」

「厳し!」

「依頼の危険度をごまかした依頼主は即刻取引停止。粗悪装備を流した店は名指しで掲示する。未払いは共同金庫から先払いするが、商人ギルド経由で差し押さえる」

「親父、それギルドっていうか借金取り立て要塞じゃん」

「そうだ」

「そうなの!?」

 布告をカウンターに叩きつけるように置いた。


「冒険者はもう職業だ。自由は終わり。その代わり、守られるようにもなる。お前らが明日も無茶をするなら、せめて今日よりゃ上等な仕組みを残してやる」

「めちゃくちゃギルドマスターっぽいこと言った!」

「マスターじゃねえ、親父だ!」

 そうしていつも通りの笑いが起きる。やれやれ。

 結局のところ、俺にできるのはこれくらいだ。英雄になんぞならねえし、王にも聖者にも職人頭にもなれない。だが、こいつらが帰ってくる場所を整えることくらいならできる。それが酒場の親父の戦いだ。


 ***


七、酒場兼ギルドだ!


 春先、新しい看板が掲げられた。《グランダル冒険者ギルド》、その下に小さく《酒場・鉄鍋と岩鳥》とある。逆にしろと言ったがマルティーヌに却下された。「時代の流れを見なさい」とのことだった。

 受付窓口が三つ。登録、依頼、精算。奥には共同金庫と、左手に装備規格の掲示、右手に簡易治療室。二階には会議室と記録庫。一階は酒場のままだ。

「親父、じゃなかった、ギルドマスター!」

「親父でいい!」

「じゃあ親父! 登録終わった!」

 メイが見せびらかした登録証は木札じゃない。薄い青銅板に番号が刻まれ、裏に所属街章が打たれている。偽造防止に教会と役所とギルドの三者印つき。立派なもんだ。

「見てよ親父。俺、二等護衛士だって。ださい」

「高望みすんな。充分だ」

「目指せ探索上級!」

「アホ。それよりちゃんと生きろよ」

 そう言うと、エディは分かってるんだか分かってないんだか胸を張って「任せとけ」と笑った。


 いつも通りに人がきて仕事が貼られ、札が動いて報酬が記録される。その流れに今日から正式な印がついた。その違いはでかい。

 依頼主は保証金を積む。受諾者は登録番号で記録される。事故が起きれば治療費の立替がある。死亡時には埋葬と遺品返還の規定がある。粗悪装備は排除され、成果証明は定型化される。腕の立つ者には上位依頼が回り、新人には講習と同行制度がつく。

 夢見がちな若造は減らないだろう。無茶をするやつも、きっといなくならない。それでも“全部自己責任”よりちったぁマシだ。


 ひと通りの混乱をさばいた頃、俺はようやくカウンターの内側に戻った。夜の仕込みのためだ。

「結局、戻ってくるのね」

 マルティーヌが帳簿を抱えたまま笑う。

「俺の本職はこっちだ」

「今や街一番のギルドマスターなのに」

「親父だろうがマスターだろうが、煮込みは焦がせん」

「名言っぽく言わないで」

 酒樽の上に黒札の依頼が貼ってある。場所は東廃水路、不明生物の調査および必要に応じて討伐。危険度黒。最低人数は黒札経験が五回以上の四名より多いこと。必須装備、灯火、鼻布、長柄武器。報酬は――。

 酒場のメニューとはえらい違いだぜ。


「ハゲ親父~」

 呼ばれて振り向くと、メイがにやにやしていた。

「何だよ、気持ち悪ぃな」

「なんかさ。ちょっとカッコいいね、この《冒険者》って仕事。居場所ができたって感じ」

「ふわふわしてんな。居場所ってのは、誰かが毎日掃除して飯を出して帳簿をつけて成り立つもんだ」

「うわ、夢がない」

「夢がないんじゃねえ、現実があるんだよ」

「アハハ、嫌いじゃないや、それ!」

 そう言って、メイは採取掲示板の前へ駆けていった。その背中はいつの間にか薬草摘みの頼りない小娘とはもう別人だ。


 俺はカウンターを拭き、鍋の火加減を見て、空になった樽の注文を思い出し、ついでに新しい死亡時規定の文面を直さなきゃならんことにも気づいて顔を顰めた。まったく、こんなに忙しい酒場の親父は俺くらいのもんだろう。

「おい、依頼を受けるなら先に飯を食えよ! 空腹で死ぬのは馬鹿だけだ!」

 そんなふうに始まった。後世の歴史家はもっと立派な書き方をするだろう。王国の行政改革だの、都市経済の再編だの、新職能の制度化だの。まあ好きに書けばいい。

 だが本当のところ、始まりは教会掲示板が手に負えない雑多な頼まれごと。酒場の壁に寄せ集まった荒くれども。鍛冶屋の対立、商人の計算、王国の思惑。すべてひっくるめて、ここに流れ着いただけのことだ。

 ――冒険者ギルド。

 飯代を稼ぎたい若者と、面倒を片づけたい街と、利益を逃したくない大人たちが、長い時間をかけて妥協した末に生まれた場所だった。そして依頼票の横には酒の染みがついている。それで充分だろう。


 ***


 夜が明けて最後の客が帰ったあと、俺は新しい看板を見上げた。《グランダル冒険者ギルド》、その下にある小さな看板、《鉄鍋と岩鳥》。

「落ちてくんじゃねえぞ」

 看板ってのは、立てるよりも落とさないほうが難しい。

 夜明けの街は静かだった。しかしじきに起き出して、また新しい依頼がくる。また誰かが金を稼ぎ、誰かが失敗して、鍛冶屋は文句を言い、商人はコインを数え、教会は祈り、俺は酒を注ぐ。そうやって世界は続く。

 剣一本で変わる世界もあるだろう。この街では、帳簿一冊と鍋一つ、それから掲示板一枚で変わった。悪くない話だと俺は思う。

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