古い漫画のお約束
「終わってみれば15周コールド。まあいつもの若松だよな。」
「参考になるかならないかで言えば、ならないねぇ。」
先輩二人は白紙のままのメモ帳を閉じて鞄にしまった。
超満員だったグランドスタンドは、既にまばらな人影があるのみとなっている。
「ま、でもイイもん見れたよな。」
「それは間違いないですね。」
15周時点で上位5台が全て若松高校のマシン。
そして、5位と6位の間には10秒のギャップができていた。
これが、コールドゲーム成立の要件である。
まるで違うスペックのマシンに乗っているかのような走りだった。
「オープニングラップで全員オーバーテイクして、隊列を整える。そこから毎周1秒弱のギャップを築き上げる…と。」
「このチームが負けるビジョンが見えないですね。」
「そりゃそうだよ。だって去年の鈴鹿の前から一回も負けてないんだもん」
鈴鹿…。
鈴鹿には、こんなチームがゴロゴロしているのだろうか。
若松が…遼兄が特殊であることを願いたい。
「よし、帰って練習しよう。ボクたちの大会も、もうすぐ始まるんだ。」
立ち上がった部長さんに続いて、僕たちも会場を後にした。
「…げ、またコールドかい。全く、遼兄はすごいねぇ。」
私はテレビの中継を一瞥し、感心を通り越して若干引く。
「相手もシードじゃないとはいえ、去年のベスト16じゃん。えぐいねー」
初戦で若松に当たってしまった対戦校に同情する。
とんでもない人と友達やってるんだね、私。
「さて、と。行きますか。」
楽譜と飲み物しか入っていない鞄をひょいと持ち上げ、歩くことに慣れてきた通学路へと足を踏み出した。
それにしても随分と暑い日だ。
日差しもいつにも増して強く感じ、外に出た私は思わず目を庇う。
夏、始まってるねぇ。
いいねぇ。私も夏は好きだよ。
ま、それも大体あの二人のせいなんだけどね。
…マズいね。割と電車の時間がギリギリだ。
早歩きで進んでいた足を、ひと際速度を上げて走り始める。
駅までは、あと一つ大きな交差点を残すのみ。
チカチカと点滅する青信号が、太陽を隠す手の隙間から見える。
ええい、行っちまえーっ。
「部長くん、ちょっといい?」
マシンのボンネットを開けて作業をしていると、遠くから部長さんを呼ぶ声が聞こえてきた。
ってか部長さん、自動車部以外の人にも『部長』って呼ばれてるのか…。
ますます本名が分からなくなってきた。
「西条朔也くんってここに居るかしら?」
まさかの僕をお呼びだったらしい。
手に持っていた工具を置いて、部長さんに呼ばれると同時にそちらの方へと小走りで向かう。
「はい!何かご用ですか!」
さっきまで遼兄の走りを見ていたからか、やけにテンションが上がっている。
上ずった声の僕とは対照的に、訪ねてきた人は心配が顔に滲み出ていた。
「ごめんね、作業中に。私、電子吹奏楽部の部長なんだけど…朔也くん、朱莉ちゃんと仲良かったわよね?」
何故だかは分からないけれど、嫌な予感がした。
まだ何も明らかになっていないというのに、自分の中で勝手に繋げて考えてしまう。
ポケットに入れていた端末を取り出そうと、右手が動いた。
「練習開始時間を大分過ぎてるのに、朱莉ちゃんから全く音沙汰がないの」
「すぐ連絡します。」
自分でも驚くくらい、さっきまでの浮ついた心の中を治めた。
端末を開くと、一件の通知が届いていたのが分かる。
『【前川朱莉】ごめん、ちょっとやらかした。ヒマになったらここまで来て。』
それに続く文字列は。
『〇〇総合病院』
…ヒマになるまで待ってられるかよ!!!!!
「って感じでさ。どうせなら車に轢かれろよって思うでしょ?」
「思うわけねえでしょ」
病院に着くと、右足に包帯を巻いた朱莉がベッドに横になっていた。
太陽に手をかざしていた死角から出てきた自転車に轢かれたらしい。
「でも事故イベントって古い漫画のお約束なんでしょ?青春してる感あって良いよね」
「元気そうだね…。」
呆れる僕の隣には、試合終わりだというのに駆け付けた遼兄。
息を切らしながら静かにキレる。
「ホントに気を付けろよ…。お前、しっかりしてるようで抜けてるところあるからな。」
「反省してまーす」
まったく響いていなさそう。
でも、朱莉は昔からそうだったよな。
マイペースで、やらなきゃいけないことはしっかりやる。
だけどたまに大事なことを棚に上げて行動することがある…と。
「普通に骨折で全治一か月半くらいだってさ。鈴鹿までには間に合わせるよ…地区大会は厳しいかも知れないけど。」
そう言って腕を叩く朱莉。
「マジで安静にしてよ。」
「はーい。朔也も遼兄も頑張ってなー。」
思ったよりも元気そうで安心した。
ブツブツ言っている遼兄と共に病室を後にする。
スライド式のドアをゆっくり閉めると、最後まで笑顔で手を振る朱莉の姿が見えていた。
「ヒマだなー、病院って。」
あーあ。
なんで私轢かれたかな。
太陽が傾いて、西向きの窓から陽光が降り注いでいる。
「おいこら、お前のせいでこうなったんだぞ。いい加減その眩しいのやめろよ。」
そんな太陽に文句言っても何になるでもないのに。
…朔也に頼んでキーボード持ってきてもらうか。
あまりにもヒマだ。
端末を叩き、朔也の番号を打ち込む。
…私が居ないせいで朔也が負けたら、私一生後悔するんだろうな。
…なーんて。まだ一年生なのにね。
はぁー。そんなこと考える時じゃないよねー。
「あ、もしもし朔也?ほんとに申し訳ないんだけどさー…」
後悔しないために、腕は鈍らないようにしないとね。




