暑い、熱い夏
大地を蹴り飛ばし、各車一斉に前へ前へと進んでいく。
フロントガラス越しに映る景色が、速度の上昇と共に歪む。
『遼、好きに暴れて良いぞ。俺らもできるだけついていく。』
無線に了解の返事を返し、ギアをセカンドからサードへ。
アクセル全開。
さあ、逃げるぞ。
『星野遼が早くも独走態勢だ、若松高校の後方スタート組もうすでにオーバーテイクを完了し、1位から5位までを独占しています。』
場内実況の声に驚きは見受けられなかった。
さも当然かのような声のトーンで、状況を伝える。
「…強いな。」
「まだ1周目でしょ?」
「1周目どころか、まだ数コーナーしかクリアしてませんよ…。」
スタートの反応速度、1コーナーまでの加速。
スタート直後の加速でどの程度の速度が出るのか、そしてその速度から1コーナーを曲がりきるためにはどれだけ減速すればいいのか。
完全な理解をしている動きだ。
それはホームコースだからというわけではないのだろう。
この人たちは、どこを走らせてもこのパフォーマンスを発揮するはずだ。
後塵を拝している高校としては、せめて一矢を報いたいところだろう。
試合が動くとするのなら…。
「先頭がホームストレートに帰ってくる。…始まるぞ。」
JHMCの特色の中でも最も重要な構成要素となっているもの。
マシンと、楽器が繋がる。
レイズアップ・シンフォニー。
グランドスタンドから、楽器の音色が響き始めた。
それと同時に、タイヤを介して伝わっていた、ガタガタとした振動が消えていくのが分かる。
車体がゆっくりと上昇、浮上。
タイヤが車体に格納される。
接地路面との摩擦が無くなり、速度が上がっていく。
ギアはサードからトップへ。
時速160キロを数えたとき、俺は自由になる。
俺が触れているのはマシンだけ。
いや、マシンですら俺の手足だ。
全てから解き放たれ、追われる恐怖にすら苛まれることはなく。
後続とのギャップを、ただひたすらに築き上げていく。
吹け上がる心臓と、動き続ける手足。
誰に止められるか?
いいえ、誰にも。
レイズアップ・シンフォニーの起動期間中は、両チームが同じ楽曲をアンサンブルする。
各チームの楽器に入力された情報が、個別に自チームのマシンへと出力される。
そのため、同時に応援を試みても煩音とはならずに、美しい応援曲が奏でられるワケなのだ。
ひと際スピードを上げたマシンたちが、まばらにホームストレートへ突っ込んでくる。
10台が奏でるエキゾーストノートもまた、この大会を構成する重要な楽器の1つである。
既に始まった夏の、うだる暑さも。
電気を糧にした金管楽器の、爽やかな音色と合わされば。
不思議と不快には感じない。
試合は決まったかもしれない。
だが、それでも勝者は気を緩めず。
敗者は最後まで諦めずに。
ただひたすら、目の前のコーナーをクリアしていく。
その一連の動作に意味はあるか。
試合の結果から言えば、意味はあまり生まれてこないかもしれないが。
学生たちはなぜそれをするのかと問われれば。
ただ、楽しいから。
そう答えるのが自然であろう。
熱狂の渦は、グランドスタンドの一般客にも伝播する。
この場内全てが、暑い、熱い夏である。