夏のはじまり
「えっ、東東京地区ってもう予選が始まるんですか?」
5月某日。
長くなった陽が、そろそろ紅く色を変えるころ。
屋根に覆われたピットで作業をしていると、少々驚く情報が入ってきた。
「そそ。参加校が多いからねー。」
鈴鹿へと続く予選大会は従来の高校野球と同じく、学校同士のトーナメント戦で行われる。
一試合ごとの所要時間は野球よりも短いものの、安全確認やレースの準備にはかなりの時間がかかるため、それ相応の大会期間を必要とするらしい。
東東京地区の場合、準決勝までに使われるサーキットはシード4校の所有するコースとなる。
「若松は第一シードだね。今週末、初戦があるみたいだし見に行くか。」
「おー♪」
鈴鹿以来の、遼兄の走り。
早ければ今夏にも対戦することになるかもしれない、一年違いのライバルの車影を、拝みに行くとしよう。
暦の上では、5月は一応『春』ということになっているらしい。
だが。
『午前10時現在、気温は30度、路面温度は45度を数えております。』
何が春だよ。
冬冬冬春夏夏夏夏夏夏夏夏秋夏冬冬冬みたいな気候しやがって。
僕たち笹井高校自動車部も、サングラスと日焼け止めで応戦。
異常気象に負けてられるもんか。
若松高校、サーキット。
グランドスタンドは、地区大会とは思えないほどの超満員。
昨年夏の覇者を一目見ようと、様々な観客層が詰めかけた。
なんだってこの学校のグランドスタンドには屋根がないんだ。
弊校の作業場に慣れてしまうと、この学校の生徒さんたちが熱中症にならないか心配になってくる。
『間もなく、第一試合を開始いたします。』
グランドスタンドの直下にあるピットから、ビリビリとした空気の振動が伝わってくる。
昨今の自動車は電気による動力が主流であるが、JHMCにて使用されるマシンには内燃機関が搭載されている。
バイオマス燃料を使用するため、環境への配慮もバッチリ。
それでいて、魂を揺さぶるようなマシンたちの咆哮を、しっかりと両の耳で聴くことができる。
一億総クルマ好き時代が来たとはよく言うもので。
グランドスタンドからは歓声が上がっていた。
野太い声援、黄色い声援。
それらがバランス良く混ざり合い、エキゾーストノートと調和する。
ピットから続々とマシンが出ていき、コースを一周してグリッドにつく。
もう、スタートまでは秒読みだ。
「これだけ沢山のマシンを一度に見るのは久々ですね。最後にレースを観たのは鈴鹿の決勝だったので。」
「そうだね。鈴鹿の準決勝以降は対戦形式が違うからな。」
僕たちの眼前に並んだのは、合計10台のマシン。
双方の学校の特色あふれるラッピングを施された車両が5台ずつ。
「ぶちょー、一応解説してよ。新入生もいることだしさ。」
彰先輩がそう声をかけると、部長さんはおもむろにサングラスを外した。
眩しそうに目を細めながら、直接コースを見て話す。
「地区大会、および鈴鹿の準々決勝までは、ポイント戦と呼ばれる対戦形式が採用されている。」
各チームから選抜された5人ずつが、レースを行うわけだが。
1位から10位までの各順位に、ポイントが割り振られている。
それのチーム内合計で勝敗を争うのだ。
「ポイントは上から、25、18、15、12、10、8、6、4、2、1。かつてのF1と同じポイント制度だね。」
これに関して、特徴的に感じるところといえば。
「1位のポイントが突出して高いですね?」
「そうだね~。なんでだと思う?」
スタート1分前を示す、一つ目の赤いランプが灯った。
その様子を見つめながら、彰先輩が問う。
「優勝した人がいるチームを優遇するためですか。」
「そ。せっかく優勝した人がいるのに、味方の順位次第で簡単に勝利を明け渡したらシャバいでしょ?」
「まあ、だからと言って優勝すれば勝ちが確定するわけではない。その辺もいい塩梅に作られてるってワケだね。」
二つ目のランプが灯る。
場内の緊張感とは相反する、先輩二人のリラックスした語り口。
「鈴鹿の準決勝以降は、勝ち抜き戦になってる。」
こちらは至極単純。
俗に言う、先鋒中堅大将戦だ。
「3人の選手を各チーム選抜し、一人ずつ戦う。」
「1対1のバトルだから、選手の純粋なチカラが観られるんだよね~。盛り上がるんだこれがまた♪」
今年もまた、あの熱いバトルが観られると思うとワクワクしてくる。
そして願わくば、自分があの場所に立っていることを。
少し目を離している間に、シグナルはオールレッドを示している。
「さぁ、始まるぞ。」
この地区は、全国で最も早く夏が訪れる。
今、まさに。
ブラックアウト、そして。
夏が始まった。