ピアノ
「ナニ?あれ。バケモン?」
「大いにバケモン。」
「バケモンだこれは」
四種類目の楽器に手を付けたとき、辺りはどよめきから沈黙へと変わった。
失礼だな。
私は人間だよ。
ただひたすら音楽と週末を愛している、至極真っ当な人間だよ。
でも、ここの楽器は整備が行き届いていて非常に気持ちが良いね。
どれも良い楽器が揃ってる。
これなら、大会でもいい仕事が出来そうだ。
朔也のマシンも、微力ながらお手伝いさせていただきますよっと。
次から次へと楽器をとっかえひっかえしていたら、流石に呼吸器が疲れてきた。
…。
お。
「ピアノもあるんじゃん。」
久方ぶりに弾いてみようか。
ココにあるってことは、レースの大会でも使われるってワケだ。
感触を知っておいて損はないだろう。
椅子に座る。
ペダル…よし。
前に遼兄と朔也にピアノの椅子座らせたら『こっちのペダルも三枚なんじゃん!ヒールトゥできるかな』とか言い出したので二度と近づけてません。
あのクルマバカどもめ。
鍵盤に触れると、電子ピアノだというのに生ピアノのような感触が返ってきた。
ほうほう…技術は進歩してるんですねぇ。
『♪』
最初の一音を皮切りに、音を紡ぐ。
ピアノソロは、音楽の真髄だ。
強弱、余韻、ベースとなるコード、メロディー。
その全てを、両手と右足で表現する。
88鍵を端から端まで使って、音楽を組み立てていく。
…楽しい。
辺りを音で支配するこの感覚。
一台でなんでもこなすことにかけては、ピアノが最強であると私は思うね。
あれから、どれだけの時間が経っただろうか。
魂の抜けた目で私のことを見ていた先輩たちも、ついさっき帰ってしまった。
『あ…もう好きに楽器使っちゃっていいから…戸締りだけよろしくね…。』だそうだ。
お言葉に甘えて。
すっかりハマってしまったピアノで即興のフレーズを弾き散らかしてはまとめ、弾き散らかしてはまとめ…。
『ドン、ドン。』
気のせいか、居ないはずのドラムが聞こえるな。
『ドンドンドン!』
リズムキープ能力が皆無だなこのドラム。
ドラムとしての役割を全く果たせていない。
『おーい!!!朱莉!!!!!』
はい。朱莉です。
「何時だと思ってんの???早く帰るよ!!!」
ゾーンに入りかけていた私を現世へと呼び戻したのは、へたくそ扉ドラマーこと西条朔也くんでした。
ちぇ。
余計なことして。
…うわ暗っ。
いつの間に外こんな暗くなって。
今日皆既日食の日だったかしら?
「何時だっけ?」
「7時だよ」
ピアノの鍵盤に蓋をし、荷物をまとめる。
リュックの紐をを片方持って、扉の前に立つ朔也の肩を叩く。
「ほんじゃ、行きますか。」
呆れた様子の朔也に見向きもせず、私は彼の前をテクテクと。
「で?どうだったのよ自動車部は。」
「化け物、か。」
新入生を帰した後、ボクと彰は片付けに奔走していた。
「ぶちょーはさ、あの子…朔也クンはどんなレーサーになると思うんだい?」
「難しいこと聞くね」
この世界において『どんなレーサーになるか』という問いは、その人がどんな人生を送るかを聞かれているに等しい。
ボクはその道の専門家ではないし、占いをやっているわけでもない。
でも、一つ確かなことがある。
これだけは、ハッキリと言うことができる。
「星野遼の存在が、キーにはなるんだろうね。」
今や二年の初頭にして、確実に高校界最強最速の地位を手にした者。
彼との人間関係的な距離が近い存在であるという事実が、この先どう働いていくのか。
分からない。
分からないが、ボクたちがやるべきことは決まっている。
「鈴鹿に行って、星野遼と戦ってみるべきだな。」
「違いないね~♪」
今後の方針が決まった。
それと同時に、片付けも終わったってもんだ。
マルチタスク万歳。
「楽しそうで良かったじゃん?」
「お互い様だね。まさかこんな時間まで弾いてるとは思わなかったよ」
帰り道。
最寄り駅で下車をし、そろそろ家に到着という頃合い。
『ヴーッヴッ』
「…朔也、お腹鳴った?」
「違うし!!!」
右のポケットが震えたのが分かった。
着信があったようだ。
今日、新しい友達と沢山連絡先も交換したし、その中の誰かがメッセージを送ってきていてもおかしくない。
でも、端末に表示された名前は、もっと見慣れたものだった。
「…遼兄からだ。」
「あらほんと。」
朱莉も横から画面をのぞき込む。
『朔也、朱莉。家に飯が何もないから今から外で食おうと思うんだけど、一緒にどうだ?お前たちの入学祝いっていうテイで奢ってやるぞ。』