危機察知能力・危機回避能力
「トライアルに参加するって形で、せっかく集まったんだ。俺たちがそれぞれ、もっと速くなるために必要なことを考えないか?」
「いいですね!」
「それは良いんだけど遼兄、食いすぎ食いすぎ。自分から話題を振っておいてその瞬間におかわりに立とうとするのはどうなのよ」
他愛のないいつもの日常であった。
サーキットに隣接した寮舎の食堂で、三人は言葉を交わしている。
「で?僕たちが速くなるために必要なことってなんなのさ。」
朔也は立とうとする遼の腕を引っ張り、その場に留まらせる。
不服そうな遼だったが、それはそれとして。
「そうだな…例えば、走ってて感じたお互いの印象を言ってみるとか?」
「印象かぁ…。」
朔也は顎に手を当てて考え込む。
レーシングスピードでの走行中、他人の観察をするのは至難の業である。
大体の実力や絶対的な速さを把握することはできても、思考回路や性格などはそうそう読み取れるものではない。
だが、この三人に限っては話が別だった。
全速力で走りながらも、周囲の情報に目を向けることができる。
これが、一流の証でもある。
「遼さんはホントに完成されてるというか、貫禄ありますよね」
「そうか?でも、今完成してるってことは伸びしろがあまり無いってことにもなるからな…喜んでいいのやら。」
実際、この当時の遼は良い意味で歳にそぐわない走りを見せていた。
三人の中でも頭一つ抜けた実力を持っていたと言って差し支えないだろう。
ただし本人の言う通り、その後の伸びしろに関しては朔也や玖利に軍配が上がる。
「朔也はアレだな。周りを見る能力に長けてるだろ」
「そうですねぇ。クラッシュが起きたときの状況判断能力、ぼくも見習いたいです!」
「それはそうかも。でもそれを怖がるが故に若干攻め切れてない感があるんだよね…」
朔也の目には何が映っているのか、誰にも分からない。
それほど広い視野で、サーキットを『支配する』という表現が適切だろう。
純粋なレースペースよりかは立ち回りで上位を狙うタイプだ。
「玖利くんは…マシンを限界まで使い切ってるってのがよく伝わってるよ。」
「だな。ただちょっと見てると危なっかしい箇所がちらほらと。」
マシンの潜在能力を極限まで引き出す走りは、玖利の得意とするところだ。
しかし、本人の人柄からは推測できないような、荒々しい走りが目立つ。
「ぼくたちを一つにまとめたら、最強のドライバーが爆誕するんですけどね!」
「そうとも限らんぞ。弱い部分が丁度よくかみ合ってしまうかも…」
「大事なのはこの長所と弱点を理解することだよね。」
その一幕を思い出したのは、偶然か、必然か。
玖利くんが横に並びかけてきた時、あまりにも鮮明にその時の記憶が思い起こされた。
その記憶の中で、重要となるピースはどこだろうか。
考えるにはあまりにも時間が無さすぎる。
情報量は、確実にあの時よりも多い。
視野が広いということは、それだけ一つの物事に集中できていないという証。
危険を察知することはできても、回避することはできない。
今僕は既に、潜在的な危険を一つ察知している。
それはあの時既に示唆されていたものであり。
僕が今最も回避するべき事象。
レーシングスピードでの走行中、他人の観察をするのは至難の業である。
大体の実力や絶対的な速さを把握することはできても、思考回路や性格などはそうそう読み取れるものではない。
読み取れた。
確かに読み取れたが、それが避けることができるものかは分からない。
今真横に居るのは、玖利くんのマシン。
速くて、躍動感のある走りが魅力で…。
そして、少しだけ荒々しい姿を、サーキットでだけは見せてくれる玖利くんのマシン。
「玖利くんはハードブレーキングで一瞬ふらつく…低速コーナー前で並ぶのは危険だな…。」
そう思ったのは、レースの前半だった。
並びかけられたら引こうと考えていた。
今目の前にあるのは、直角の低速コーナー、1コーナー。
でも、今はファイナルラップ。
引けば、その瞬間に負ける。
負けが決まる。
避けることに全神経を集中できなかった。
心のどこかで、レコードラインをなぞろうとしてしまった。
再び接地したタイヤが、キュルキュルとスキール音を立てる。
全力のブレーキング勝負。
200キロを数えていた車速を、60キロにまで落とす。
それを行うには途方もないエネルギーが必要になる。
そしてそのエネルギーは、減速にだけ使われるとは限らない。
ブレーキを完全に踏みちぎれば、路面の凹凸によって引き起こされるハンドルのぐらつきに対処することが難しくなる。
減速Gに耐えていた僕の身体は、突如として現れた横からの衝撃にさらされることになる。
金属同士が強くぶつかり合う音。
玖利くんのマシンが、左右に振り回され。
僕のマシンのリアに接触。
立て直すことは困難だった。
100キロ超で姿勢を崩した経験は無かった。
練習無しでいきなり本番をやれってのは無理な話だ。
僕のマシンはそのまま横を向き、スライドしながらタイヤバリアへとぶつかる。
身体へのダメージは無かった。
痛くもかゆくもない。
しかし、マシンはもう動かなかった。
ゆっくりとコーナーを立ち上がっていく玖利くんのマシンを見つめると共に。
僕たちの今年の夏は、終わった。




