近くて遠い
『大将同士の決着は、あっという間に付いた!!!』
夏。
この国の気温は、留まることを知らず上昇していった。
『目に焼き付けよう!これが、これが!!!』
不思議なことだが、学生たちのボルテージやテンションといった心の状態も。
気温に比例して、上昇していくような気がしてならない。
『驚異の一年生!星野遼だァッ!!!』
僕が遼兄から一年遅れて生まれてきたのには、何かワケがあるのだろうか。
彼が僕より一年早く、この鈴鹿のコース上に立つことを許されたのは、何故だろうか。
こればかりは最初から決まっていたことだ。
深く考えても何になるわけでもない。
僕たちが生まれ、物心がつくころ。
クルマが宙を飛び始めた。
空の道路が整備され、幅広い年齢層に普及した。
僕たちが小学校に入るころ、鈴鹿での全国大会が始まった。
学生たちが繰り広げるひと夏の青春に、世間はたちまち虜になった。
それは僕たち子供も例外なく。
気付けば、鈴鹿でレースをするのが夢になっていた。
そして。
「ホントに勝っちゃったね…。」
「もっと喜びなよ」
遼兄は、一足先に夢を叶えた。
鈴鹿から名古屋駅までは特急で。
そこから東京までは、リニア高速鉄道で40分足らず。
「遼兄、食い過ぎじゃない???」
「お腹壊さない?」
トンネルとトンネルの狭間に、時速500キロで後ろに流れていく景色を眺めながら。
僕たちは、対面に座る遼兄の腹を心配していた。
彼はもう駅弁を三個平らげている。
「お前たち勘違いしてるみたいだから言っておくけどな、モータースポーツはスポーツなんだぞ。食わなきゃやってられないの。」
JHMCに使用されるマシンは、『学生スポーツ』としての観点から、安全装置以外の電子制御が全て取り払われている。
体力や筋力よりもセンスが重要視され始めていた昨今のモータースポーツ界としては、異例の選択だった。
「朔也、特にお前だよ。お前は来年、あそこで走るんだからな?」
「いや、まずは地区大会を勝ち抜かないとでしょ…」
僕がまるでシード枠で鈴鹿を走るみたいな言い方をしてくる遼兄。
そうなればいいけどねぇ。
「なら尚更だ。今から飯を食って筋トレしなさい。」
この人は顔を見るたびにこう言ってくる。
そして、いつもこの言葉に続くのはこれだ。
「西の西条、東の星野。いつか二人で、高校モータースポーツ界の頂点に立つんだ。」
僕はこの言葉に弱い。
長い付き合いの遼兄から発せられるその言葉は、何か他のモノとは周波数が違って聞こえる。
「…何ニヤニヤしてんの、朱莉。」
「ん、別に。仲いいよね、相変わらず」
このままダラダラと食べていると、遼兄に『余るならくれよ』と言われかねないと思ったのか、朱莉は黙々と自分のシュウマイ弁当に醤油を垂らしていた。
「そういえば朱莉は高校でやる楽器決めたのか?」
「さあね。私一通り全部できるから決めなくてもいいかなーと思って。」
「…さらっととんでもない事言ってない?」
楽器の習得には一種一万時間かかるというのを風の噂で聞いたことがある。
弱冠15歳で電子吹奏楽の全ての楽器を…?
「当たり前でしょ。キミらがコース上の覇者なら、スタンドの覇者はこの私、前川朱莉よ。」
つよい。
その道のお偉方は、僕や遼兄の前にこの才能をどうにかしたほうがいい。
音楽のことは良く分からないけれど、明らかに輝きすぎている朱莉に畏怖の感情を抱いていると。
『次は品川、品川。終点です。』
既に東京都に入ってきていることを、車内アナウンスが告げた。
「ほら、もう着くぞ。」
苦しい様子なぞ何一つ見せない遼兄が、荷物を纏めて立ち上がる。
鈴鹿から東京まで、ドアトゥドアで1時間半。
生まれたときからこうだったから、特別な感情は湧かないが。
憧れの舞台でも、そこまで旅行した気にならないのは玉に瑕。
僕たちが住んでいるのは、東西に分かれた東京地区予選区域の、丁度境目。
同じ小学校に通い、共に泥だらけになって遊んだ仲である。
それでも、遼兄はあえて東に位置する若松高校を選んだ。
その理由は大きく分けて二つだろう。
若松高校は、全国大会出場最多を誇る名門である。
高校自動車競技は、チーム戦が主となる。
ただ一人が強くて、勝ち抜けるわけではない。
だからこそ、確実に鈴鹿へ行けるかの高校を選んだのだろう。
もう一つは…。
僕と違う予選区域に行くため、だろうな。
ああ。
僕も、鈴鹿で戦いたいよ。
日帰りの小旅行を終え、自身の寝室へと帰る。
今でも、沖縄や北海道の代表選手には、鈴鹿近くの寮が用意されているらしい。
それを少しばかり羨ましく思いながら、僕は部屋の電気を消した。