土足禁止の病室にて
5年前、イギリス。
X1-Jr.GPへの参戦権を懸けたトライアルが開催されることが決定していた。
それに際して大会運営側が設けた、候補選手強化合宿。
1か月にわたる合宿期間で、三人は絆を深めていくことになる。
世界各地から集められた総勢30人もの候補者たちが、二つのトライアル通過枠を争う。
彼らはその出会いから、バチバチの火花を散らして一触即発のムードが漂って…。
「きゅう…り…?」
「ひさとしです!でもきゅうりってかわいくて良いですね!」
いなかった。
「改めまして!東玖利です!よろしくお願いします!」
並び立つ遼と朔也の前で、大声を張り上げた。
既に玖利以外の二人は日本で面識があった。
とは言っても、件の体験教室で一緒になった程度の認識ではあったが。
二人はその体験教室で講師の元レーサーに見初められ、このトライアルに推薦された。
「日本人はぼくたちだけみたいですね!仲良くしてください!」
玖利は元々ヨーロッパ在住。
両親は日本人であるため、家庭内で使用されていた言語である日本語が堪能だ。
元来モータースポーツは欧州のスポーツである。
現地の大会で成果を上げ、このトライアルに臨んでいる。
…それにしても、元気な少年であった。
朔也も遼も内気な方ではなかったが、玖利と比べると霞んでしまうほど。
いつでも二人の前を歩き、話し続けていた。
そして、何より…。
『Race leader, Hisatoshi Azuma.』
「「速い…!!!」」
恐ろしく、速かった。
「遼兄、遅いな。」
見舞いに来るって言うから外に行ってたのバレないように、痛む足引きずって急いで帰ってきたというのに。
今度はあやつが事故に遭っているワケではあるまいな。
…いや、それならどっちにしろココに運ばれてくるか。
どこで道草を食っているやら。
私はもう寝るぞ。
今日は色々あって疲れたのだ。
「遼さん、そんなに大量にフルーツ買って食べきれるんですか!」
「確かに俺は大食いだが、コレ全部が俺のものってワケじゃないんだ」
色々夏の果物を詰め込んだバスケットを作ってもらった。
お見舞いの定番ってやつだな。
何故これが定番なのかは分からないが。
誰か知ってる人いたら教えてほしい。
「今から見舞いに行くんだ。足を怪我してる女友達のな。」
「遼さんも隅に置けませんね!」
「ハハハッ、そんなんじゃねーよ。ただの友達さ」
そういえば、玖利を朱莉に会わせたことは無かったな。
ナチュラルに病院まで付いて来ようとしてるし、丁度いい機会だ。
病院の受付に、見舞いに来た旨を伝えて病室の方へと向かう。
コンコンとノックをし、横スライド式のドアを開ける。
「お疲れ~…おっと、寝てたか…申し訳ない」
病室に入ると、ノックの音に反応して、あくびをしながら体を起こす朱莉の姿があった。
それと同時に、真横から息を呑む音と共に何やらただならぬ感情の気配を感じるが…。
「ふぁー。よいよい、来るということは伝えてもらっていたからな」
どこの戦国大名だお前は、というツッコミは置いておいて。
「見舞いの品持ってきたぞ。」
「あー、ありがとー。丁度喉乾いてたからフルーツたすかる」
喉乾いてフルーツ食べるとか、健康志向かいな。
バスケットを靴箱の上に置き、スリッパに履き替える。
ここの病室は土足禁止らしい。
「それと、紹介するよ。俺がヨーロッパ行ってた時の友達で…あれ?」
先程から違和感を感じていた、自分の真横。
横にいたはずの玖利が居ない。
目線をもう一度朱莉の方に戻すと、そこには。
「はじめましてですが…申し訳ない!一目惚れしました!本当に申し訳ない!!!」
朱莉の手を取り、ベッドの横に膝をついた玖利の姿が。
律義に靴は脱いでいる。
その配慮ができるのならもう少し段階というものを考えてほしかった。
ひたすら顔を真っ赤にして謝り倒している玖利。
「謝んなくてよい。私はかわいいからな。」
「はい!!!!!!」
見てられないよ。
朱莉もなんなんだよそのキャラはさっきから。
面白がってるだろ。
悪いぞそれ。
俺が頭を抱え始めたその時、今一度病室のドアがノックされた。
「試合後のゴタゴタが片付いたから来たんだけど…なんの騒ぎ?」
「朔也!一回戦突破おめでとう!じゃなくて!!!」
朔也は跪く後ろ姿を視認すると、すぐにそれが誰だか気づいたようで。
「あれ!きゅうりくんじゃん!」
そうです。
そうなんだけどさ。
「助けてくれ朔也。彼、走るのも速けりゃ手も早かったんだよ」
「何言ってんの」
何言ってんだろうな!
俺も聞きてえよ!!!
「前川朱莉さん、是非ともお友達から…」
まだ誰も名字は言ってねえだろ!!!
なんで分かんだよ!!!
夕暮れ時、日本一騒がしい病室にも陽は差していた。
看護師さんに怒られるのも時間の問題だろう。
「一旦玖利を落ち着かせるために外行ってくるから、朔也はゆっくりしてけよ。今来たばっかりだろ?」
遼兄に引きずられていく玖利くんを見送り、靴を脱いで朱莉のいるベッドの方へと向かう。
枕元に置かれたフルーツバスケットが目に留まった。
「遼兄も随分色々買ってきたねー…で、なんの騒ぎだったの?」
「色々ありましてな。」
かくかくしかじかといった具合に、事の顛末を教えてくれた。
僕は吹き出しそうになるのを必死で抑える。
「ま、悪い気はしなかったよね。あんな事初めてだったからさ。」
海外では愛情表現がこちらよりオープンらしい。
長らくヨーロッパにいた彼だからこその行動なのだろうか。
「ねーねー。朔也も私のことかわいいと思う?」
僕の袖を引きながら、からかうように聞いてくる。
「…顔は良いと思うよ。」
「なんだその顔以外はダメみたいな言い草はー?ケンカかー?」
今の朱莉相手なら負けねえよ、という言葉がつい口から出そうになったが、あまりにも情けなさすぎるので飲み込む。
「…ほれ。くれてやろう」
遼兄からの見舞いの品を貪っていた朱莉が、おもむろに僕へぶどうを二粒手渡した。
珍しいこともあるもんだ。
朱莉が好物を僕に分けてくれることなんて、観測史上初の出来事である。
「おお。朔也、外見て。」
貰ったぶどうを頬張りながら、目線を朱莉から窓へと移す。
そこには…。
「おー。めっちゃ夕焼け綺麗」
オレンジからピンクまでの全ての色が、そこには詰まっていた。
紅に染まった西の陽は、僕たちを照らし。
二人の頬を、赤く染めていった。