魔法じゃない
『レイズアップシンフォニーを使わない…いや、使えないのか。』
使える状態で使わないほど、彼らは驕ってはいないだろう。
そもそも下馬評では私たちが有利だ。
しかし…驚いたな。
この状況でまだ私のバックミラーに、笹井高校の新緑色をしたマシンが映り込んでくる。
だからこそ、惜しいな。
トラブルが無ければ、私たちは負けていたかもしれない。
手に汗握るバトルが、昨年の決勝ぶりにできたかもしれないというのに。
今日走っている相手方の連中は、総じて二年生以下だ。
来年以降も警戒するべきだろう。
上位を走る三人は特に、かなりのスピードを持っている。
レースは何が起こるか分かったものではないな。
「気を緩めるなよ。最後まで全力で勝ちに行くぞ。」
『あいよ。』
『了解』
これが私なりの、相手に対するせめてものリスペクトだ。
12周目。
星南高校の五台が上位を占拠した。
「部長さん!5位との差は!?」
『…8.9秒だ…!!!』
まずい。
あと1秒ちょっと離されたら、コールドゲームだ。
コース幅を目一杯使って、せめて相手のタイヤが地についている間は差を縮めようと奮闘する。
コースは完璧に覚えてる。
ホームストレート以外でのギャップは減少傾向にある。
くそぉ…トラブルが無ければ絶対に勝てるのに…!!!
いや、ダメダメ!そんなこと考えたら、まるで今から負けるみたいじゃないか!
僕たちは負けない。
勝つんだ、ここから…!!!
「部長さん!」
僕は呼びかける。
この状況を、僕が。僕自身が、なんとかするんだ。
「僕に先頭を走らせてください!!!」
『…!分かった…!』
集団の先頭を、入れ替える。
経験豊富な部長さんを後ろに下げ、僕が皆さんを引っ張ることに。
分かるんだ。
コースを攻める上での最適解が。
マシンが踊りだすような感覚を、掴むんだ。
トップからセカンドへ。
最終コーナーに飛び込んでいく。
ストレートの前はできるだけ脱出速度を稼ぐ。
やれる限りのことはやろう。
前とのギャップは8秒フラットまで縮んだ。
だが、このストレートでまた開く。
ちくしょう、もどかしいね…!
だけど、この周のギア運びやアクセルワークはほぼ完璧だった。
これを続けていければ、少なくともこれ以上差が開くことはないはず。
彰先輩や部長さんも、僕のラインをトレースしてしっかり付いて来てくれている。
チーム戦として完成されてきているのが分かる。
最終コーナーを立ち上がった時、一瞬グランドスタンドが視界に入った。
…ん?
気のせいだろうか。
いや、きっと気のせいではない。
まさか…居るのか?そこに…!
「フフッ」
自然と笑みがこぼれる。
『どうした朔也クン!諦めるのはまだ早いぞ!!!』
違いますよ、彰先輩。
逆です。
希望が見えてきたんですよ…!!!
「来ちゃった」
「来ちゃったじゃないよ朱莉ちゃん!!!安静にしてないと!!!」
まあそう言われますよねー。
仕方ないよねー。
私、松葉杖の使い方分からなすぎて、途中から普通に歩いてたもんねー。
右足めっちゃ痛いよ。
「状況は分かってます。私ならなんとかできると思って…すいませーん。」
棒読みで頭を下げる。
「だいたいさ、入院中なのに…え、今なんとかできるって言った?」
はい。
言いましたね。
「時間が無いですよね。説明しながらになりますが…キーボード借りてもいいですか?」
痛む右足を引きずりながら、音楽隊の真ん中を突っ切っていく。
「今起きてる不具合っていうのは、マシンと楽器の接続不良だと思うんです。」
キーボードの電源を再起動。
音色を確認し、グリッサンドで端から端まで鳴らしてみる。
「途切れかけている接続を、圧倒的な音量と情報量で、繋ぎ直す。」
ボリューム最大。
右足は使えないから、ピアノペダルを蹴って左足元に移動させる。
左足でペダル操作するのは初めてだけど、たぶんイケるっしょ。
「私が今からお見せするのは、力業の回復手段です。」
他に今できる方法はないんだもん。
あんまり美しくないけど、やるしかないよね。
「見ててください。前川朱莉の、渾身のキーボードソロを。」
グランドスタンドからどよめきが起こる。
誰が、何をやったのかは明確だ。
13周目のホームストレート。
「頼むぞ…!」
身体全体に伝わっていた振動が、徐々に消えていく。
マシンが、上昇していく。
『…マジか。』
『すごいこともあるもんだねぇ…♪』
猛追を開始する、その狼煙は。
グランドスタンドから上がっていた。
『おい!ストレートで相手方が追い上げてくるぞ!!!』
『どんな魔法を使ったんだありゃ…!!!!!』
確かに、バックミラーに映る新緑色は、どんどん大きくなっていく。
自動車部だけが、学校の強さではないということを存分に理解させられる。
それも、たった一人の音色でここまで大きく戦況が動くとは。
まさに、これは…。
「あれは、魔法じゃない。」
ここに至るまでの状況、各自の思い。
そして、確かな個人個人の実力が生み出した…。
「…奇跡だ。」