サイドブレーキ
『本日も全国的に、最高気温35度を超える猛暑日となる見込みで…』
あっつー。
病室がこんなに暑くていいのかよー。
別件でぶっ倒れる人出ちゃうよ。
こんなことなら、入院断って自宅療養にすりゃよかったかな。
検査とか経過観察でいちいちここまで来るのダルいと思ったんだけど…。
ま、家じゃギプスもそう簡単に変えられないし。
基本寝てるだけでいいってのも楽だよね。
『次は、JHMC西東京大会です。』
おっ。
『第一試合は星南高校対笹井高校。確かな実力を持った、強豪同士の激突です。』
おおー。
確か朔也も出るって言ってたよね。
中継で観ることになっちゃうけど、精一杯応援しますよ~ええ。
「彰、マシンの調子はどうだ?」
「基本的にはバッチグーよ。ただ…」
観客の入ったグランドスタンドの眼下を歩くのは初めてだ。
なにやら部長さんと彰先輩が話し込んでいるが、その内容が気にならないくらい緊張している。
『鈴鹿を目指すならいつかは当たる相手ですよね』なんてカッコつけたけど、内心なんでこんな相手が初陣なんだよと文句たらたらである。
でも、せっかく他校では初めてのレースなんだ。
一番優先するのは楽しむこと、だよね。
レース前のイメージトレーニング。
ピットの真ん中に立ち止まり、目を閉じる。
このコースの走り方を思い出しながら…。
ホームストレートは全開5.5秒。
そこから直角の左コーナー。
二速まで下げて脱出のラインは外側に一車身残しながら…。
「…彼、集中してたな。あの騒がしい状況、道のど真ん中で目え閉じて使用ギアの確認をできるってのは、才能だろ」
「私もそう思う。…大物の風格と言うべきか…。」
立ち止まっていた西条朔也の横を通り過ぎ、私たちのマシンが用意されたピットへと向かう。
彼の目には、サーキットの路上からの景色が映っていたことだろう。
周りを行き交う人の姿など、まるで消え失せたかのように。
「それじゃ、ご武運。星南のキャプテン。」
「お互い様だ。」
鮮やかな紅に塗装されたマシンのドアを開け、中に乗り込む。
エンジンがかかれば、後は流れ星になるだけだ。
『グリーンフラッグ出てるから、各車ボクに続いてコースインしてくれ。』
部長さんの声が、無線越しに聞こえてきた。
グリッドにつくため、ゆっくりとコースを一周する。
『りょーかーい』
「了解です」
僕の直前で発進していった彰先輩を追いかけて、スタートしようとすると。
『ガガガッ』
なにかに引っかかったような音。
マシンが前に進まない。
何らかのトラブルか???
僕の頭の中はパニック状態になる。
「すいません!マシンが動かないんですけど!!!」
ゆっくりと前に進んでいく彰先輩は、それを見ると笑って。
『朔也クン、サイドブレーキ下げ忘れてない?』
え。
あっ。
恥ずっ。
何故僕はこんな初歩的なミスを…。
『ハハッ、見てもいないのによく一発で原因が分かったな。彰?』
『長年メカニックやってると分かんのよ♪』
もうその話で盛り上がるのやめてくださいよ…。
車別のカメラが付いてなくて助かった。
全国に僕の焦った顔が映し出されていたらと思うと気が気ではない。
多分朱莉には一生バカにされる。
…んなこたイイんだよ!
レースだレース!集中しろ!!!
『おいキャプテン、さっきのあの子サイドブレーキ下げ忘れてたらしいぞ』
『大物…ねぇ。』
なるほどな。
キミたちはそう解釈するか。
あえては否定しないが、私はそうは思わない。
サーキットだけとはいえ、長年クルマに乗ってる人間が出発時、サイドブレーキを下げ忘れるということがあろうはずはない。
単なるミスで片付けるには、あまりにも初歩的すぎる。
あるんだ。
本来流れ作業でやっていたことが、意識しなくては出来なくなる瞬間が。
それは緊張とも言うし、集中とも言うが…。
一つ一つの作業に全力を尽くしていると、そういった感覚に陥ることが、確かにある。
だから私は、警戒を解かない。
昨年度のパワーバランスを考えるに、不安要素は西条朔也のみ。
部長やその他の部員もそこそこ走れるが、私たちが全力を出しきれば敵ではないと考える。
「シグナルに集中しろ。始まるぞ。」
私は緊張しているか?
そう自問できる程度には『していない』と言えるだろう。
楽な試合だとは言わないが、楽に行こう。
そうやって私たちは決勝まで行ったんだ。
アクセルをふかし、然るべき回転数までエンジンを回す。
いつでもクラッチを繋げられるように、左足を少し浮かせて。
ギアはロー。
OK。
行くぞ。