【第1章】指輪と光と犬とキスと_006
「よーしよしよしよし!イヌミーナ、お前はいい子だ!」
「わんわんばふっ、わおわおん!」
ローラッドはエルミーナもとい、イヌミーナの頭をわしゃわしゃと撫でる。嬉しそうに応じる彼女の振る舞いは完全に犬のそれだ。
「よ、よし。うまくいったか」
ローラッドは冷や汗を拭った。それが『できる』とは知っていたが、なんだかんだでやったことが無かったのだ。
なにせ、人に自分が犬だと完全に信じ込ませるのだ。困難なことは別にしても、そもそもあまり試す機会が無い。
「うわ、趣味が悪いね『ご主人サマ』」
しばらく静観していたブラッディがローラッドの耳元で毒づいた。
「別に俺の趣味じゃねえよ。単に『指輪』探しに人手が欲しかっただけだ」
「だからって犬にしちゃうのはこの子がかわいそうだろ。ほら、見ろよ」
ローラッドとブラッディの見下ろす先で、イヌミーナはもっと撫でてもらおうと仰向けになって腹を出していた。
もちろん自分の身体が人間のままであることは忘れているので凄まじい光景になっている。ローラッドの上着をかろうじて纏っているので多少はマシ、というくらいだ。
「尊厳も何もあったもんじゃない。それを悪気もなくできるとは、やはりあの親にして……」
「わ、悪いなとは思ってるよ。大丈夫、元に戻したときに記憶は消える……ハズ」
「くぅ~ん……」
撫でてもらえないことを悟ったイヌミーナが寂しそうに鳴く。
「ごめんごめん。ちゃんと撫でてやるからほら」
「わうわうっ!ばふわんわん!」
ローラッドがしゃがんで(遠慮がちに)腹を撫でてやると、イヌミーナは嬉しそうに身をよじらせ、明るく光り始めた。
「よし、この状態でもプライマルは使えそうだな」
「賢い犬だね。よっぽど大事に育てられたお嬢様なんだなこの子。ご主人を犬にしてもこうはいかないぞ」
「罪悪感が増してきたからそれ以上は言わないでくれ」
「これが罪悪そのものじゃなかったらなんなんだよ『ご主人サマ』。というかもしかしてだけど、ご主人はこいつを明かりにするためだけに犬にしたのか?」
「……」
「マジかよ流石に悪魔の所業すぎるだろ」
「嗅覚とか鋭くなるかもだし、そのまま起こしても言うこと聞いてくれなさそうだし……」
「『かもしれない』で尊厳を奪われたのかこの子は。不憫すぎる」
「わんっ!」
気まずい空気が漂う中、利口にも『お座り』したイヌミーナがローラッドをじっと見つめた。
飼い主の指示を待っているのだ。さすが忠犬。
「まあ、ここまで来たらやるしかない。よしイヌミーナ、『指輪』を探すのを手伝ってくれ。丸い、たぶん金属のやつ。わかるか?」
ローラッドは指で輪っかを作り、イヌミーナに言ってみた。
「わんっ!」
するとイヌミーナは元気よく返事をし、地面に這いつくばってふがふがと嗅ぎ始めた。
元の人格が『夢』を見ているだけなので当然ではあるが、言葉はある程度通じているようだ。
「よし、イヌミーナの周りの地面を俺たちも探すぞ。今なら明るく照らされている」
「あれ、いいのかもう探し始めて。いま後ろに回り込んだらご主人の大好きな尻が見たい放題だぞ」
「俺の変態性を不必要に上げようとするな!」
「元からカンストみたいなもんでしょご主人の変態性なんて」
「お前それだけは言ってはいけないやつだぞ」
「ハッ、何がいけないんだ?オレをこんなにしておいて何を今更」
「わおんっ」
ローラッドとブラッディが言い合っているうちに、イヌミーナは何かを嗅ぎつけたらしい。洞窟の奥の壁へ向かって一直線に向かっていく。
もちろん、四足歩行で。
うわぁとドン引きした桃色コウモリの湿った視線が突き刺さって痛い。ローラッドは一刻も早くこの状況を終わらせるべく、足早に跡を追った。
「何か見つけたか?」
「わおん、わんわんばうっ!」
興奮したイヌミーナは鼻を鳴らしながらしきりに壁をぺたぺたと触っていた。
元の人格の真面目さが功を奏して(と言っていいかは分からないが)動きがかなり本物の犬っぽくなってきている。
思わずその後頭部を撫でてしまいそうになった手を、ローラッドはぎこちなく引っ込めた。
「壁がどうしたんだ?何か仕掛けがあるのか」
「わんわおんおん」
「えっと……ブラッディ、お前は何か見つけた?」
「めぼしいものは何も。ただ確かに、そこの壁は『音波』の反射が少し妙な感じはした。壁の向こうはでかめの空洞だ。他の通路か、あるいは」
「隠し部屋か」
『洞窟探検』のゴールは多少細工がされていることがあると聞く。もし隠し部屋なら、それにたどり着くための仕掛けがあるはずだが。
ローラッドが思案していると、袖がぐいぐい、と引っ張られた。見れば、イヌミーナが袖を咥え、何か言いたげにしている。
「ん?どうしたイヌミーナ」
「わおおん!」
「ダメだ何を言ってるか分かんねえ!」
「わんわんおわん!」
「ああ、よしよし。いま考えてるところだから」
イヌミーナにかまってやっているローラッドを見て、ブラッディは深いため息をついた。
「なあご主人。単純に意思疎通の観点で、犬にしたのは失敗だったんじゃないか?まったく、お決まり通り『支配』にしておけば」
「ダメだ」
呆れたブラッディの問いに、ローラッドは即答する。
「俺は、あいつとは違う風に生きると決めたんだ」
「まあ、ご主人のそういうところは最大限尊重するが。待て、あの子はどこ行った?」
「あれ?さっきまでそこに居たけど……いや待てっ!?」
壁の近くにいたはずのイヌミーナの姿が見当たらない。
だが、ローラッドはすぐに自分の影が伸びていることに気づいた。
その光源は当然、彼らの背後に移動し、四つん這いのまま光線のエネルギーをチャージした眼を煌々と輝かせているイヌミーナだ。
「ご主人、察するに、あの子はさっき壁の向こうの隠し部屋に入る方法を提案していたんじゃないか」
「なるほど。で、俺は『よし』と言っちゃったと……まずいぞブラッディ!」
「分かってる!」
叫びつつ横にダイブして回避行動を取ったローラッドの影にブラッディが飛び込んで消える。
その次の瞬間、放たれた光線が洞窟の壁を吹き飛ばした。轟音と振動がローラッドの身体を叩く。
「絶対他に解法があっただろこれ!イヌミーナ!無事か!」
「わおーーーん!」
勝ち誇った遠吠えが砂埃の向こうから聞こえてくる。視界はほぼ無いに等しかったが、ローラッドは灯台のように輝くイヌミーナを目印に壁の崩壊によって出現した穴の中へと跨ぎ入る。
「わん!」
イヌミーナは剥き出しの岩肌に囲まれるようにしてぽっかりと空いた小さな空間の中央に『おすわり』していた。
その隣、ローラッドの腰ほどの高さの台座の上に置かれた小さな箱を見て、ローラッドは確信した。
「あれが課題の指輪か」
ローラッドは台座に近づき、隣のイヌミーナを屈んで撫でてやる。
「ありがとうイヌミーナ」
「わおん!」
「……おやすみ」
そして彼女の眼を再び覗き込み、イヌミーナからエルミーナへと戻す。
「さて。指輪を取り出すのにも一工夫ってわけじゃないだろうな」
糸の切れた人形のように倒れ込むエルミーナを優しく横たえ、ローラッドは台座の上の箱を手に取った。結婚指輪が入る程度の装飾が施された小さな黒い箱は彼の予想に反してあっさりと開いた。
開いた、のだが。
「……マジかよ」
ローラッドは絶句した。
中に入っていた『指輪』……一匹の蛇が小さな紅い宝玉を抱いたそれが、ローラッドの右の薬指にひとりでに絡みついてしまったのだ。
まるで、彼が迎えに来るのを待っていたかのように
そして、そんな『指輪』が『洞窟探検』用に設置された量産品なわけはないワケで。
「はぁー。やっぱりあいつに会わなきゃダメか……」
自身の運命を呪うローラッドの失意のため息を聞いていたのは、影の中に潜む彼の眷属だけだった。
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