【第2章】金と羊はトラブルの目印_009
「んむっ、はむっ……!」
ファレニアは押し倒した兄の唇を一生懸命に貪る。
堪えられない劣情は『藍色』の唾液となり、男の顔面を濡らしていく。
「ああっ!ごめんなさいあにさまっ、ごめんなさい……!」
わずかな理性が生み出す罪悪と衝動がぐちゃぐちゃになった混沌が少女を駆動する。
触れたい。
触れてはいけない。
触れてほしい。
ひとつになりたい。
もっと、もっと、もっと……!
抑えられない感情が『藍色』の涙となって溢れ、上気した頬をつたい、垂れる。
触れたものを蝕む毒液が、兄を腐敗の下へと沈めていく。
少女はそれを手でぬぐい取ろうとするが、分泌される汗すらも『藍色』。
もうやめようと思っているのに、抑えられない感情が少女を衝き動かす。
「あにさまごめんなさいっ、でも、でもっ」
「あーあーべちゃべちゃにしちまって。なかなかヤンチャな女だなオマエも」
「へっ!?」
聞こえると思っていなかった声に驚き、ファレニアは兄の顔を凝視する。
苦痛に歪んでいると思われたその顔は、いつものニヤニヤ笑顔を浮かべていた。
「オマエのヨダレごときでオレが倒せるかよ。ほら」
マリュースはがばっと大口を開けてみせた。
口内へと流れ込んでいくはずの『藍色』は宙に浮いている。
「質量を持つ物体に対しては『無敵』だぜオレは?『特異零番』をナメてもらっちゃ困る」
「よ、よかった……」
兄の無事を知り、少女はその身体の上に脱力して覆い被さった。
「あにさま、死んじゃうかとおもった」
「これくらいで死ぬなら毎日死んでるさ。というかオマエは大丈夫そうか?無事ならあのクソ野郎どもに『お礼』しねえと……」
「……」
「どした?」
安堵したファレニアは改めて自らの熱い鼓動に向き直る。
いつもとは違うきもち。
おさえていたのに、ひつじのひとが出したあのにおいのせいでうまく頭がはたらかない。
罪悪感の代わりに芽生えた感情。
少し粘つくそれに従い、身を起こしたファレニアはじろ、と兄を見る。
「あにさま、いままでもずっと『バリア』してた?」
「ん?ああ、そうだな。流石のオレもオマエの『藍色』に触れたらやべーし」
「へぇー?そうなんだふーん……」
少女は頬を膨らませながら言うと、もう一度『藍色』を溢れさせる。
「お、おい。なにやってんの?もう『藍色』は必要ないだろ」
「今日はここでねる」
「マジかよおい!?ちょ、どいてくれ!こんな量の『藍色』に囲まれてちゃオレも下手に動けねーから!」
「ふん、だ」
「羊野郎、テメェこの落とし前は必ずつけさせるからな!」
『特異零番』の大男、マリュースは力では勝っている少女を無慈悲に退かすこともできず、『藍色』の浅い毒沼に横たわりながら叫んだ。
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「あちゃー、結構フクザツなご家庭の事情があったようで……」
そんな光景を、ローラッドは遠くから眺めていた。
仲睦まじい兄妹愛(?)を見せつける彼らのさらに向こう側では『親衛隊』の女子たちが熱情のままに組んず解れつで交わっている。
ローラッドは何となく察していたが、『親衛隊』のメンバーはわりとそういう感じらしい。
ある意味楽園のようなシーンではあるものの、熱量が凄すぎてちょっと直視できない。
「女同士でも効果あるんだな……」
「……!……!?」
「おっとごめん」
ローラッドはぼけっとしていて、エルミーナの鼻と口を塞いだままなことを忘れていた。
そもそも完全に塞いでいたわけではないので大丈夫だろうが、苦しめる意図はないのでパッと手を離す。
「ぶはぁ!?し、死ぬかと思いましたわ……!」
「悪かった。ただ、流石に『直撃』させるのは気が引けたんでな」
「『直撃』って……」
エルミーナはあたりを見渡し、困惑と疑念に眉をひそめる。
「あなた、今度は一体何をしたんです?なんだか大変なことになってますわよ、少し暑いし」
パタパタと手で顔を扇いでいるエルミーナに、羊角の少年は「まさにそれが俺のやったことだ」と答える。
「『気薫赤熱』。ある種のガス攻撃だな。吸い込んだ奴の体内分泌物に働きかけることで血圧・心拍数を急激に上昇させて、一気に体力を消耗させる『技』だ。あんたも少し吸っちまったみたいだが、体温上昇はその副作用で---」
「要は興奮作用のあるガスをバラまいたのね?」
「……」
「こら、なぜ目を逸らすの」
黄金の令嬢による追及の視線が痛い。
「ほ、放出されるガス自体が神経毒を含むわけじゃなくて、効果はあくまでも吸い込んだ本人の体内機構が勝手に」
「ガスの『中身』は今聞いていないの。吸い込んだ者が、結果的に性的に興奮するように出来ているということでしょう?」
「……ハイ」
どれだけ取り繕っても、ローラッドの『技』はやはり『夢魔』……母親のもつ能力が由来。
『気薫赤熱』も当然そうなのだが、彼が自分で素直に認められるものでもないのだ。
だって、あんまりではないか。
せっかくちゃんとした名前をつけたのに、その正体が『発情フェロモンガス』だなんて。
「あなたのプライマル……『未解明』が全体的にどんなものなのかはなんとなく察しがついてきたわ。でも今回のはまあ、そうね」
エルミーナは再度ちら、とアダミスキー兄妹や『親衛隊』の方に目をやり、こほん、とわざとらしく咳ばらいをした。
ガスの影響か、その頬はすこしだけ赤くなっている。
「喧嘩両成敗とでもいいますか。ちょうどいい薬になったんじゃないかしら。これを機に少しは反省してくれるといいのですけれど」
「今後報復があると思うと憂鬱だよ。だいたい、こんなに強烈に『効く』ものじゃないと思っていたんだがな」
「『親衛隊』の皆さんにはわたくしからバカな真似をしないようキツく言い含めておきますから安心してくださいな。さて!」
エルミーナはスカートについた埃をパッパと払うと、ローラッドの手をがしっと掴んだ。
「もうすぐ『集合朝会』が始まりますわ、急がないと!」
「さっき滅茶苦茶に暴れてたのにまだ普通に『登校』するつもりなのかあんた!?」
「そのために来たのですもの!さ、ローラッドも行きますわよ!」
駆け出すと同時に時計塔の方から予鈴が鳴り響く。
ローラッドは引っ張られつつ(連中は全員遅刻確定だな)などと、どうでもいいことが少しだけ気になった。
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