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【第5章】藍の迷宮と羊の夢_017

「よし、やるか……!」


 羊角の少年は翼をたたみ、急降下でサマエラの眼前へとダイブする。


「近づくなって言ってるでしょッ」


 当然、気が付いたサマエラは反撃に『藍色』を差し向ける。

 そのつもりだった。


「あ、あれっ」


 だが魔性はすぐに異変に気が付いた。

 迫る『悪魔』を迎撃できるだけの『藍色』が、もう十分に手元にないのだ。

 自らが足場とする『藍色』の粘液を使うことはできるがそれもかなりギリギリで、足場の高さを失えばただでさえ捌くのに難儀している『眷属』たちを追い払うことはできなくなってしまう。


 そう、『眷属』たちに包囲されたサマエラは、その身体の持ち主が常に気にしていた『藍色』の回収まで手が回らない状態に陥っていたのだ。


「サマエラ、てめえの敗因は『淫魔(サキュバス)』としての戦い方を間違えていたことだ」

「ボクの、敗因……?」


 ローラッドはサマエラと同じ高さに降り立ち、ゆっくりと、しかしはっきりと告げる。


「最強のコマを抑えるだけでは勝てない。戦いは何よりも頭数を揃えるのが先なんだ。普通は時間がかかることだが『淫魔』の力を使えば容易い。同じ『淫魔』の俺との戦いになるのが想定されるのに、ひとりしか抑えられない不完全な状態で『指輪』から出た時点で、圧倒的に不利だったんだよ」

「だ、だってあのままじゃずっと閉じ込められたままで……く、クソッ!」


 もう、手を伸ばされたら届いてしまうような距離。

 この距離まで近づかれては『藍色』をいまさら浴びせたところで大した効果はない。


「もう諦めろ」

「そ、そうだ!目を見られなければ……!」


 少年の降伏勧告に、しかし、魔性は悪あがきを試みる。

 サマエラは乗っ取った身体が着ている服の一部を裂き、慌てて目の周りに巻き付けた。


「これで洗脳は効かな」

「『装甲解除(ディスアーマー)』」


 だが少年は一言唱え、指を鳴らすだけ。

 するり、とサマエラが乗っ取った少女が着ていた服が分解し、巻き付けた布の結び目がほどける。

『淫魔』の前で『衣服』を防御の頼りとするのは愚の骨頂だ。


「はっ……!」


 一糸まとわぬ姿になったサマエラの借り物の目を、獣の瞳が覗き込む。


「『夢幻夜行(ハブアグッドナイト)』、サマエラ。ファレニアは返してもらうぞ」


 キィン、とローラッドの脳内にのみ響く音がして。

 淫魔は、少女の『夢』へと侵入する。


 ーーーーーー


 少女が弱っていたのもあって、羊角の少年は通常立ち入る『夢』の浅瀬からさらに奥へと容易く歩を進めた。

 精神を簡単な命令で乗っ取るなら浅瀬で十分。

 だが、今回の『問題』はもっと根深い位置にある。


 そうしてたどり着いた、『夢』の深層。

 全ての輪郭が藍色で縁取られた世界は、ゴーレムのそれと異なり非常に分かりやすい。


 いたって普通の、人間の『夢』。

 だからこそ、そこで繰り返し再生されている悲劇(トラウマ)がなんなのか、ローラッドはひと目見て分かった。


 藍色の水面に膝を突き、ひとり祈る幼い少女。


 おゆるしください。


 その口から祈りがこぼれる。


 すると、水面からずるりと紅い腕が伸び出た。

 藍色の白衣を着たその手は、握った針を少女の腹に突き立てる。


 ずぶり。

 針が腹を貫通し、少女は苦痛に表情を歪める。


 おゆるしください。


 そして少女は再び、祈りの言葉を口にする。


「なるほどな」


 ローラッドはふぅ、と嘆息すると、泣きながら祈る少女に近づいた。

 そのまましばらく佇んでいると、水面から今度は針を持った紅い腕が伸びる。


「よっと」

「ピギィ!?」


 ローラッドはその腕を掴み、思いっきり水面から引き抜いた。

 ずるり、と伸びた腕の付け根には悲鳴をあげてもがく紅い球根……いや、目玉がひとつ。


「お前なぁ……」


 羊角の少年は呆れのため息を吐きつつ、目玉に語り掛ける。


「『支配』するにしてももうちょっとこう、苦痛を与えない方法があっただろ」

「ボクがそんなの知るか!なんだよその余裕の態度。ちょっと早く産んでもらったからって何様のつもりだよ」


 少女の『夢』に根を張っていたサマエラは駄々っ子のような怒りを見せる。


「ボクは絶対に屈しないぞ。だいたい、お兄ちゃんはリリスの契約に縛られているんだ。ボクを殺すことなんかできないよ」

「確かに契約で、俺は『指輪』を破壊することはできない」

「そうだろ。だったら……」

「けど、その『中身』に関する契約は何にもなかったんだよな」

「あ」

「だから不意打ちを食らったわけだし」

「……えっと」


 露骨に口数が少なくなった紅の魔性の瞳を、ローラッドは改めて覗き込む。


「『指輪に戻れ、サマエラ』。『てめえの役割は、指輪であり続けることだろう』」

「そ、そんな命令をしてもすぐにリリス(おかあさん)が」

「問題ない。てめえが明日の夜まで黙っていてくれればそれで大丈夫なんだ」

「じゃ、じゃあリリスに今すぐ言いつけてーーー」

「『いいと言うまで口を閉じていろ』」


 ぼふん、と。

 冗談のような音を立て、発言を禁じられた紅の魔性は煙となって消えてしまった。


「さて、これで大丈夫。あとは……」


 ローラッドは少女の輪郭に目をやる。


 水面からは相変わらず(今度は藍色の)腕が伸び、少女を傷つける。

 そのたびに、少女は祈りの言葉を口にする。

 紅い腕はサマエラのものだったが、そもそもの悲劇(トラウマ)は少女の中に深く根付いたままだ。


「下手に干渉するとファレニアの人格を変えかねないからな……」


 ただでさえ弱っている少女を、せめて今だけでも悲劇から救い出してやりたい。

 羊角の少年が想いを握り拳の内側に仕舞いこんだ、その時だった。


「あっ……!」


 膝を突いて祈っていた少女は何かに気づくと突然立ち上がり、間もなく駆け出した。

 呆気にとられたローラッドがその背を視線で追うと、少女が駆けていく先で藍色が『裂けて』いた。


「あにさま!」

「こんなところにいたかファレニア。オレ腹減っちまってさ。メシ食い行こうぜメシ」

「う、うんっ」


 藍色を裂いて出現した大きな影に少女は抱きつくと、そのまま真っ白な裂け目の向こうへと消えてしまった。


「ええ……」


 ここは『夢』の中だから、まあ、何が起きても不思議ではないのだが。

 にしたって、少女の中での『あにさま』があまりにも無法な存在すぎる。


 ローラッドは呆れつつも、少女の悪夢が晴れたなら、と安心して自らも『夢』を脱出する。


 ーーーーーー


「う……?」

「お、起きたか」


 ファレニアの『夢』から戻ってきたローラッドが目を開けると、見知った顔がこちらを覗き込んでいた。


「オレの妹に()()してたのか、説明してもらうぜ?羊野郎」


 裂けたように笑う『歩く厄災』、その兄の方。

 その笑顔はまったく楽しそうじゃない。


 そうだ。

 控えめに言って、大ピンチである。

読んでいただきありがとうございます!

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