149°
タタンタタン、と音が聞こえるような気がした。ふわりと、何かの香水のような香りがすると、目を覚ます。同時に、体が音と同じリズムで揺れていることに気づいた。今度はバスから電車へと動いてるらしい。
「あ、起きた?」
香水の正体は、前の席に座っている女性だった。白色のワンピース。帽子はかぶっていないけど顔はよく見えない。髪が長いというわけではなくて、単純に意識がそちらに行かないようになっているということなのだろう。読んでいた本をハタンと閉めると、それを座席の上へと置く。本は背表紙も表表紙も全くの真っ白。何のタイトルなのかすらわからないほどだ。
「この電車は?」
電車について聞く。今は田園地帯を走っている。ただただ外は田んぼ一色だ。
「そうね、ニライカナイ行き特別特急ね。ただ、止まるかどうかはあなた次第」
女性は俺を指さす。何両編成かはわからないが、すくなくとも運転席は一つ隣の車両にあるようだ。ただ運転手の姿は後ろ姿で、椅子に座っていることしかわからない。
「ニライカナイ?」
「知らないのなら、知らなくても構わないわ。誰もが必ず行くところよ。でも、あなたが行くかはあなた次第」
どこかわからないが、そこに行くかという選択肢はあるようだ。ただし、なんとなくの違和感がある。
「そもそも、お姉さんは誰?」
「私はただ、あなたに案内をしているだけよ。これからそこにいくかどうかをね。聞いているだけ」
女性はただ笑っている。表情は全くわからないのに、ただ笑っていることはわかる。タタンタタンというリズムは、その単調さゆえに俺の思考を奪っていく。そうか、これからそこに行くんだ、そう思った矢先、誰か別の声が響いてくる。
「だめっ」
聞きなれた声。ようやく会えた安堵感。しっかりとした意志を感じる、そんな声だ。
「あんず、か?」
眠くなりそうな頭を働かせて、その声の主を探す。だが、一番問題なのは、女性と俺以外にこの車両には乗り込んでいる人はいないという事実だ。
「どこ、だ?」
眠くなる頭で考えていくと、一つの結論に至る。ここは、あのホテルの延長線上にある、俺の頭の中の世界。あんずと一緒になったことで、繰り返されていた高校生活から解き放たれて、新しい世界へとやってきたということだろう。だがそうなるとひとつわからない。
「……あなたは、誰ですか」
俺は改めて目の前の、誰も知らない人へと声をかけた。
「あらら、私は嫌われちゃったかしらね。残念」
でも、また来るわよ、と女性は言うと、右手で、指パッチンと音をはじけさせた。それが合図だったのかもしれない、俺はブツンと途切れた真っ暗な空間を、ひたすら落ちていくことになった。




