99 秘密の通路とオリス
「ちょっと、離宮に行ってくる」
「はぁ?おま… ちょっと、そこでパイプ吸ってくるみたいなノリで何言ってるんだ?」
掴んだ報告書を持ったまま立ち上がったアルヘルムを、タクシスは慌てて止めた。いつもこいつは突拍子もない事を突然言う。普段、真面目なこいつはふざける時も羽目を外す時も真面目にフザケてハメを外す質の悪い奴だ。
原因はレナードからの報告書だとわかっていた。
「見せてみろ」
アルヘルムからレナードの報告書をひったくって、目を通すとアデライーデがメーアブルクへのお忍びの際、浮浪児を拾ってきて孤児院をやりたいと言っていると書かれていた。
「孤児院? まぁ…正妃様の慈善としては大きく出たが貴族夫人としての模範の範疇だ。お前が血相変えて行くほどの事でも無いんじゃないか?それにもうすぐ王宮にアデライーデ様が来る日も近いんだろ?相談する予定って書かれているじゃないか」
「あぁ、私に相談したいらしい」
アルヘルムは、にやっと笑ってタクシスを見た。
「自分がやりたいと言い出したから、どのくらい経費がかかるかレナードに聞いて考えているようなんだ…」
「女性にしては珍しいな。経費を心配するなんて…」
「あぁ、レナードも見たことがない試算書を書いているようなんだよ」
「試算書?本格的だな…」
少し浮かれてるようなアルヘルムを見て「まぁ…座れ」と、タクシスはアルヘルムをソファに座らせチラと窓の外を見た。
まだ午後を回ったばかり…少し早いがいいだろうと、棚から蜂蜜酒を出してダバダバとグラスに注ぎアルヘルムに手渡した。
「しかし最初のおねだりが、ドレスでも宝石でもなく孤児院とは…彼女らしいな」
「お前…孤児院を強請られて嬉しいか?」
タクシスが呆れた顔をしてアルヘルムを見た。
「いや…正確には、強請られてない」
アルヘルムが蜂蜜酒をぐっと飲んで、ためいきをついた。
「持参金で賄おうとしてるんだ。離宮の敷地内か村で孤児院をやる許可と運営の相談らしい」
「……」
タクシスも蜂蜜酒に口をつけた。
アデライーデ様がバルクに来た時から、少し変わった姫君だとは思っていた。
こんな小国に来ても目にするものに興味を示し、社交や茶会には目もくれずさっさと離宮に引っ込んで暮らし始めてさかな釣りに興じるなんて普通の姫君ではありえない事だ。
夫人にドレスや宝飾品をねだられたと言う話は貴族男性の間でよく聞くが、孤児院をねだられたなんて話は聞いたことが無い。どこまで規格外の皇女様なのか…とタクシスは蜂蜜酒を飲みながら考えていた。
アルヘルムはごろりとソファに寝転んで、「どんな風に孤児院の話をするのか楽しみだな…」と蜂蜜酒を飲みながら楽しそうに話しているのを「ふーん」と言いながら見ていた。
--最初は国の為にと渋々だったが、結構楽しんでいるじゃないか。まぁ…変わった皇女様だから何を言い出すか面白くはあるがな。
レナードには同情するが…
アルヘルムがソファに寝転がりながら、タクシスにひとしきりレナードから報告を受けた内容を話していると、そのうち酒が回ったのかアルヘルムがかすかな寝息をたてて寝入ったのを見て執務室からそっと出ていった。
タクシスの足音が遠ざかってしばらくして、アルヘルムが片目を開けて辺りをうかがってからソファから起きると、執務室に隠してあるお忍び用の服に着替えマントを羽織ると秘密の通路から、王宮の外に出た。
「この通路を使うのも久しぶりだな」
アルヘルムは、目立たぬように庭園の植え込みの間を抜けて馬場に行き、愛馬のオリスに跨った。
「お気をつけて」との馬丁の見送りの言葉に頷くとオリスの首を撫でる。
「久しぶりの遠乗りだぞ!オリス」
オリスは主人の声に応えるかのように、離宮を目指して駆け出した。