96 干し草のベッドと砂糖菓子
「う…はい、だん…、執事様。あの…、俺…仕事は…」
「アデライーデ様からお話があります」
レナードがそう言うと、アデライーデはにーちゃを側に呼んだ。
「お仕事の前に、覚えて欲しい事があるの」
「うん!…あ…はい。俺たくさん覚える。何を覚えたらいいの?」
「まずは、座ってご飯を食べる事。朝ちゃんと起きて遊んで、お風呂に入って夜ちゃんと寝る事。家の中で暮らすって事を覚えて欲しいの」
「?? それだけ?」
「今はね。それができるようになったら、して欲しい事があるの」
「わかった!早く覚える」
「ありがとう。今日はね、これから干し草小屋に行ってベッドを作ってもらうのよ。ベッドを作ったらお夕飯を食べてベッドで寝るの」
「ベッドって何?」
浮浪児達は、家の軒下や硬い道の上で寝る。ベッドで寝たことはないのだ。
「……夜寝るときに使うものよ。これからベッドで寝るのよ。使い方を覚えてね」
「はい!」
「良いお返事ね。何か聞きたいことがある?」
「うんとね…。アリシアお嬢様はアリシアなの?アデラ??なの?せいひ様なの?なんて呼べばいいの?」
「ちびちびがわからなくなると思うから、みんなはアリシアと呼んで」
「わかった!アリシアお嬢様」
にーちゃは、そう言うとにかっと笑った。
レナードに呼ばれていた下働きのおじさんに子供たちを頼むと、子供たちはおじさんに連れられて干し草小屋へと連れて行かれた。
「ここだよ。ここの2階がお前たちの寝床だ」
1階は干し草の藁が束になってたくさん積まれている。小屋に入ってすぐよこに大きな階段があり、2階へと続いていた。
おじさんが干し草の束をいくつも並べ、上に大きな帆布をかけてベッドを作った。
帆布の端を束の間に挟みこめば即席のベッドが出来上がりだ。
「ほらよ。寝てみな。干し草のベッドは良いぞ。帆布のシーツでチクチクしないし、あったかいからな」
子供たちはベッドの上に乗ると「柔らけぇ!」と早速遊び始めた。おじさんは子供好きらしく子供達が遊ぶのを微笑ましくみて、風通し用の窓を開けた。
「夜は寒いから窓は閉めるんだぞ」
「はい」
「お、いい返事だな」
「さっき、執事様がここの決まりだって教えてくれた」
「レナード様か。あの方の言う事は間違いねぇ」
「俺は外で仕事してるからここで遊んでな。飯は持ってきてやるからな」そう言って、にーちゃの頭をぐりぐりして下に降りていった。
おじさんが下へ降りて行くと、なぁがにーちゃに聞いてきた。
「にーちゃ、ここにずっといるの?」
「うん」
「やったー、これふわふわしてる。草の良い匂いがする!にーちゃも寝てみて!」
みんなに引っ張られて、にーちゃは干し草のベッドに横になると、乾いた草の匂いがした。
石畳のように固くて冷たくもなく土の上のように湿ってもない。
今日はいろんな事があった。
物乞いをして殴られたり蹴られる事はよくあるが、みんながお腹いっぱい食べられた事もお風呂に入れられた事も初めてだった。しかも屋根のあるところでこんなに柔らかいものの上で寝られるなんて思わなかった。
すーっ、
ずっと緊張してきたにーちゃは、ベッドに横になって疲れが出たのだろう。かすかな寝息を立ててすぐに寝入ってしまった。
下働きのおじさんに連れられて行く子供たちを見送りながら、アデライーデはマリア達に相談をした。
「明日、あの子達の服と靴を買わないと。いつまでもあの格好じゃね」
「そうですわね。あれは寝間着にすればいいですわ」
「子供服屋さんって…メーアブルクにあるのかしら」
--そう言えば、街には子供服屋さんってなかったわ。
大人の服屋さんは見かけたから、そこで買うのかしら。
「アデライーデ様、庶民の子供服は親が作ったり雑貨屋が古着を扱っているのでそこで買ったりします。知り合いが雑貨屋をやっているので見繕って持ってきてもらいましょうか?」
レイナードがそう言ってくれたので下着や靴も頼んでおいた。今日メーアブルクに帰った時に頼んでくれると言う。
「名前を考えてあげないとね」
「そうですわね。名前までないとは、驚きましたわ」
「そうね…。一緒に考えてくれる?」
アデライーデはマリアと部屋に戻り、子供たちの名前を考えることにした。
「おい、坊主。起きな、晩飯だぞ!」
おじさんがにーちゃの頭をペチペチと叩いて起こした。他の子ども達もいつものように集まって寝ていたようだ。
「下に用意しているから、みんなを起こしておりてきな」
「はい…」
目をこすって他の子を起こして小屋を出ると、入り口の脇のテーブルに大きな鍋と丸い大きな黒パンが2つあった。
日が傾き始めたので、テーブルにはランプが置いてある。
「起きたのかい?さぁ、座りな」
お風呂に入れてくれたおばさんが、大きなお玉を持って子供たちを待っていて、おじさんは少し離れたところに椅子をおいてタバコを吸っていた。
皆が座るとおばさんは、大きな黒パンを薄くナイフで切り分け皆に一切れずつ渡し、鍋から野菜と鶏肉が入ったクリームシチューを木のボールにたっぷりと注いだ。
「みんなの分を注ぎ終わるまで待つんだよ」
そう言うと、手早くシチューを注いでみなの前においた。
「さぁ、食べな」
皆がボールを掴んでシチューに口をつけて飲もうとして、おばさんに止められた。
「待ちな!火傷しちまうよ。スプーンを使ったことが無いのかい?」
「ない…」
「………仕方ないねぇ。ほら、こうやって持って。熱いときはふーふーふいて少しずつ食べるんだよ」
にーちゃ達は2杯目を食べる頃には随分マシになったが、ちびとちびちびは結局おばさんが具を食べさせ、木のボールを抱えてシチューを飲んだ。
好きなだけパンとシチューをおかわりし、初めて食べる温かいシチューでお腹が膨れたみんなは、手と顔をおばさんに拭かれ、口をゆすぐ事を教わってからおじさんに連れられて干し草のベッドに入った。
おじさんが「じゃあな、坊主たち。おやすみ」と言って毛布をかけるとちびちびが「おやすみってなに?」と聞いた。
おじさんは、驚いたような顔をしたがちびちびの頭を「………寝るときにする挨拶さ。言われたらおやすみって言うのさ」と優しくぐりぐりした。
「じゃあ、おやすみ!」
「ああ、おやすみ」
おじさんはそう言うと、みんなの頭をぐりぐりして降りていった。
「美味しかったね」
「お代わりできたよ」
「あれ、また食べられるかな」
子供たちは、ベッドの中でいつもの様にくっついて横になる。
しばらくシチューの事を話していたが、お腹いっぱいで眠くなったのか。すぐに寝息を立てはじめた。
今日は2回もお腹いっぱい食べられた。
ここに居れば、お腹いっぱい食べられる。
いっぱい仕事をして、ここを追い出されないようにしないと…。
俺がみんなの分も働かないと…。
明日から…
にーちゃもすぐに眠りに落ちていった。
「寝たかい」
「あぁ、満腹でベッドにはいったからすぐに寝るだろ」
干し草小屋のすぐ近くの小さな小屋に帰ってきたハンスは、帽子を壁にかけるとブレンダが温め直したシチューを口にした。
「思ったほどは食べなかったねぇ。多めにもらって来たんだけど余っちまったよ」
「まともに食べて無いからまだ腹が小さいんだろ。すぐに沢山食べるようになるさ」
「あの子達を洗ったんだけど、そりゃあ汚れていてね。洗っても洗ってもお湯が濁っちまったよ。体もガリガリでさ…。お腹だけ膨らんでいて。手足なんか小枝のように細くて折れちまわないかヒヤヒヤしながら洗ったよ」
ブレンダはそう言いながら、薄く切った黒パンをシチューに浸して食べ始めた。
「あの子達は、これからここにいるのか?」
「らしいね。レナード様がしばらく面倒をみて欲しいとさ」
ブレンダが指差した棚に、上等の刻みタバコが2袋ときれいな小箱が置いてあった。
「タバコはレナード様から。砂糖菓子はアデライーデ様が帝国から持ってきたお菓子なんだとさ」
「ありがてぇな」
シチューを食べ終わり、ハンスは早速もらった刻みタバコをパイプに詰めて煙を楽しんだ。
ブレンダは皿を洗い終わると、アデライーデから貰った小箱を大事そうに持ってきてテーブルに置いて、そっとリボンを解き小箱を開けた。
中には、オレンジピールとミモザの砂糖菓子が入っていた。ミモザをそっと摘んで口の放り込むと「美味しいねぇ。帝国のお菓子だよ。あたしがあの子達を洗ったって聞いてアデライーデ様が下さったんだ」とハンスにも勧めた。
汚れていた子供たちを5人も洗ったのは骨だっただろうと、アデライーデは、砂糖菓子の小箱をレナードに渡したのだった。
レナードは従僕から子供たちを洗ったのはブレンダだと確かめて、小箱をブレンダに渡した。従僕は自分が大量の湯を沸かしたのにとぶつぶつ言っていたが、仕事を押し付けた手前レナードに文句は言えなかったようだ。
「賑やかになるな…」
ハンスはパイプの煙を吸い込むとそう言って、オレンジピールを1つ口にした。




