95 干し草小屋と三角巾
居間のソファに座ると、レナードがすぐに紅茶をアデライーデの前に置いた。
「ありがとう、レナード」
そう言って、一口紅茶を飲んで喉を潤した。
飲んで気がついたが、随分喉が乾いていたようですぐに紅茶を飲み干すと、レナードはお代わりを注いでくれた。
「あの子達をお風呂に入れるようにしてくれてありがとう。レナード」
「なんにせよ、あのままでは汚すぎて食事もさせられませんので…」
そう言うとレナードは、コホンと咳払いをした。
「あの子達をどうなさるおつもりで?ご夫人方の慈善では孤児院に寄付やバザーを主催される事が多いですが…」
「メーアブルクの孤児院に寄付はしようと思うの。アルヘルム様に相談して…。どのくらいの寄付が良いかわからないから」
「ご相談されるのは良い事ですね」
「……それでね。あの子達の事なんだけど…相談もせずに連れて帰ってごめんなさい。これから相談してもいいかしら」
アデライーデはシュンとして、レナードに謝った。
「そうして頂けると大変助かります。この離宮の主はアデライーデ様でございます。アデライーデ様がなさりたい事をされる為に私共は仕えております」
「そうだけど…」
主はアデライーデだが、一人では何もできない。特にレナードの協力は欠かせないのだ。
「ありがとう。レナード」
「ただ……、御身や王家に危険のある事は全力で止めさせていただきます」
「ええ」
「アデライーデ様、彼らを離宮には住まわせることはできません」
離宮に住む騎士や使用人達はみな下位とは言え貴族だ。庶民の下働きのおばさんは庭の隅にちいさな家があり、そこに夫婦で住んでいる。警備兵や料理人たちは別棟の宿舎に住む。
「彼らの事はこれから調べますが、この離宮に入れる人間は厳選しております。使用人に紛れた王家に害なす者もおります。アデライーデ様をお守りするのが、アルヘルム様から任された私の役目ですので」
「そうね。ありがとう」
「彼らをここでお雇いになるおつもりですか?」
「今すぐ働かせるつもりはないの。馬車でマリア達にも話したけど、まずは生活習慣を身に付けさせて、基本的な事を覚えさせたいと思っているわ」
「つまり、ここで孤児院をされたいと?」
「……そうなるわね」
「正妃様が慈善に熱心なのは良い事だと思いますが、直接の孤児院を持たれる事は前例がございません。もうすぐアルヘルム様とのお約束の日になりますのでご相談されては?」
「そうね…そうするわ」
--どちらにしろ、子供たちを連れてきてしまっていることはアルヘルム様に話さないといけないわね。アルヘルムはアデライーデの夫なのだから。まぁ……怒られないとは思うけど…。
「マリア殿」
「はい」
レナードがアデライーデのソファの後ろに控えていたマリアに声をかけた。
「参考までですが、帝国では皇后陛下は孤児院をお持ちなのでしょうか?」
「はい、お持ちでございます。皇后陛下だけでなく高位貴族の方々のご領地にはそれぞれ夫人がお持ちの孤児院がございます」
帝国では領地運営に問題のある貴族や不始末をした貴族から領地を一時的に接収し、皇后の化粧領として立て直す事が多い。大人は公共事業をして仕事を与える事ができるが、子供はその仕事からあぶれる。
親を亡くした子は親戚に引き取られればいい方で、大抵の子は浮浪児となる。既存の孤児院だけでは収容しきれないからだ。
そして生きていくすべを持たない浮浪児は物乞いとなる。大きくなれば犯罪組織に引き込まれ男の子は悪事に手を染めたり、女の子は春を売るようになる。そうなると街の治安は一気に悪くなる。
治安の悪化を未然に防ぐ為、領地接収後すぐに皇后は孤児院を作るのだ。
高位貴族の領地も同様で治安の為に夫人の名で孤児院を持っている。余程慈善や治安維持に熱心でない限り下位貴族は孤児院は持たず、領地の教会の孤児院に寄付をし任せている。
「左様でございますか。アデライーデ様、彼らの今後ですが…しばらくは厩舎の干し草小屋に寝泊まりをさせようと思います」
「干し草小屋…?どこかに部屋は空いてないの?」
「彼らは路地で暮らしておりました。使用人の宿舎に寝泊まりさせ移る病などありましたら困ります。しばらく様子を見させていただきたいと思います。アデライーデ様もマリア様も私が良いと申し上げるまで、彼らに触れたりされないように。また、お会いになるのであればお庭でお願い致します」
医療の発達していないこの世界で、レナードが心配する事は当然なのだろう。アデライーデの安全を何より優先するのがレナードの仕事だ。
「そうするわ。お医者様を呼んでくれる? 子供たちの健康状態を知りたいの」
「承知いたしました。明日メーアブルクから呼びましょう」
そう話している時に子供たちを連れて行った従僕が、子供たちの風呂が済み着替えが終わったと知らせに来た。
心なしか、げっそりと疲れているように見える。
庭園のベンチに腰掛けて待っていると、古シャツを着た子供たちが従僕につれられてやって来た。
「まぁ……きれいになって。ミントのいい香りがするわね。髪を切ってもらったの?」
お風呂できれいにしてもらい、くりくり坊主になった子供たちを見てアデライーデはびっくりしてにーちゃに声をかけた。
「うん。大きなおばさんに切られてゴシゴシしてもらった。風呂って初めて入った…」
「あっ…」
「ほぅ…」
従僕が声を出したのをレナードは聞き逃さなかった。
にーちゃは、街で見たアリシアが上等の服を着ているお金持ちのお嬢様と思ったが、目の前のアリシアは見たこともないきれいな服をきている。おばさんがアリシアの事を王様の奥様って言っていたのは本当なんだと思った。
「頭がすーすーするよ。俺もなぁのやつがほしい!」
ちびちびが、なぁを指差してにーちゃにねだる。
なぁだけが古いナプキンを三角巾にしてつけてるのだ。
「なぁは女の子だからだろ?髪が生えるまでだよ」
にーちゃはちびちびの頭をぐりぐりしながらそう言った。
「なぁは女の子なの?」
なぁはコクリと頷いた。
坊主頭になってわかったが、にーちゃは緑の瞳。あとの子はみな黒い瞳をしていた。髪の色は伸びたらわかるだろうが子供たちは異国の血を引いているのだろう。茶髪茶の瞳が多いバルクでは珍しい。
洗われた子供たちは汚れが取れ、頬がコケているのがよくわかる。従僕の古いシャツから見える手足は小枝のように細かった。子供用の靴はなかったようで今も裸足だ。
「レナードがみんなの住むところを用意してくれたわ。しばらくは干し草小屋に住むことになるけどいいかしら」
「家に住めるの?やったー」
子供たちは大喜びだった。
一人、にーちゃはレナードの前まできて膝をつくと「旦那様、ありがとうございます。仕事は何をすればいいですか?」と聞いてきた。
「立ちなさい」
レナードはそう言ってにーちゃを立たせた。
「この離宮の主はアデライーデ様です。私は執事でアデライーデ様にお仕えしている身です。以後私を旦那様と呼ばないように。また膝をついて話をする事はありません。わかりましたか?」
「……うん」
「返事は『はい』と言いなさい。この離宮の決まりです」
「う…はい、だん…、執事様。あの…、俺…仕事は…」
にーちゃは戸惑うばかりだった。




