92 市場と浮浪児
あれから数日、毎日ディオボルトとアメリーは、離宮に通いディオボルトは肖像画を。アメリーはスケッチブックを数冊仕上げて帝国に帰っていった。
肖像画はアデライーデとアルヘルムが寄り添って幸せそうな笑顔で並んでいる。スケッチブックにはアルヘルムとアデライーデ、フィリップとアデライーデ、それにアデライーデがマリアやミア達と過ごす日常が描かれたものが数冊出来上がっていた。
肖像画は玄関ホールに飾られ、スケッチブックはマリア達のたっての願いでホールのテーブルに置かれる事となった。いつでも皆が見られるようにだ。
賑やかな数日間がすぎると、離宮にいつもの日常が帰ってきた。
--そろそろお出かけしたいわ。メーアブルクにでも行こうかな。
転生してからずっと城や離宮の中にいた陽子さんは、街歩きに飢えていた。アルヘルムに連れられて行ったメーアブルクは馬車で1時間もかからない。
アルヘルムに1度連れられていったが、隅々まで行ったわけでなく広場を一周見ただけだ。
--あの時は王宮ぐらしだったから港町の市場も見てないし、お腹もいっぱいだったから買食いもしなかったなぁ。
そう考えると、すぐにでもメーアブルクに行きたい気持ちにかられ、レナードに明日メーアブルクに行きたいから馬車の準備をして欲しいとお願いしたら、ヴェルフ筆頭代官に連絡してくれると言う。
翌日、目立たない馬車に乗り込みマリアとお忍び用のドレスに着替え騎士のレイナード・ライエンを連れてメーアブルクにでかけた。裕福な商人の姉妹とその兄と言う設定だ。
アデライーデとマリアは金髪なので目立たないように帽子を目深に被って手には買い物用の籠を持っている。
メーアブルクにつくと、ヴェルフ筆頭代官がアデライーデを迎え前回と同じように目立たぬように護衛をつけてくれた。
「マリア、お忍びではアデライーデ様って呼ばずに別の名前を呼んでほしいの」
この街でも正妃の名はアデライーデと知れている。お忍びなのに正妃とばれてしまっては今後気ままに街歩きができなくなる。
「それではなんとお呼びしましょうか?アデライーデ様の愛称だったらアーデルハイト、アデレード、アリス、アリシア、アデリー…等がございますね」
--アーデルハイト…は無いわね。ロッテンマイヤーさんを思い出すわ。アーデルハイトと呼ばれたら、緊張でドキドキしそうだわ。
「そうねぇ、アリス…アリシア。アリシアにしようかしら」
「アリシア…承知しましたわ」
「よろしくね。マリア姉様、レイナード兄様」
「うう…弟達にもマリア姉様なんて呼ばれたことないのでぞわぞわしますわ。どうぞ今までと変わらずマリアとお呼びください」
「私もレイナードと…」
商人風の茶の上着に白のシャツ、黒いズボンを履いているレイナードも緊張気味にアデライーデに申し出た。
今日はラインハートが休みでメーアブルク出身の自分が案内役になったのだ。お忍びとはいえ正妃様から「兄様」と呼ばれるのは緊張する。
そんな話をしながら、メーアブルクの市場に着くと活気に溢れた売り子の声が聞こえた。どの世界も市場と言うのは活気があるようだ。見渡すと焼き魚や串焼きの肉を売る屋台があちこちにありいい匂いが漂っている。
この市場はメーアブルクの台所と言われ、街の皆が買い物に来る。日用品から食材までほぼこの市場で買えるという。
新鮮な海産物や野菜、台所用品や包丁などを扱う金物屋まで屋台がたくさん並んでいた。
陽子さんにとっては前世で見慣れたイワシや鯵などの懐かしい魚だが、帝国育ちで川魚以外見たことのないマリアは驚きの連続のようで、こんなに魚に種類があるとは知らなかったとびっくりしていた。
一通り3人で屋台を見て回り、まずは何か食べてから買い物をしようと屋台に入った。レイナードから店で食事をしないのかと言われたが、市場に来たら市場の屋台でそこの名物を楽しみたい陽子さんは「屋台で食べたいの」とレイナードにねだった。
串焼きの屋台で鶏肉の串を数本と黒いパンにベーコンを挟んだサンドイッチと木のコップに入った白ワインを買って、市場の隣の公園のベンチに座った。
木のコップは買った店の印がつけられ店に戻すとコップのお金を返してくれ、お代わりは別の店でも買えるという理にかなったシステムだ。シンプルに塩味で焼かれた鶏肉の串焼きは前世の焼き鳥に似ている。
久しぶりにマナーもなく、外でのんびりと開放感あふれる食事だとワインを口にしていたら後ろのベンチから大声が聞こえた。
「汚い面して寄ってくるんじゃねぇよ。飯が不味くなるだろうが!」
「ぎゃっ」
アデライーデが振り向くと赤ら顔の男が、子供を蹴飛ばしていた。蹴られた子供は地面に蹲ってお腹を抑えていた。
「小さな子供に何をしているの!」
アデライーデが、その子に駆け寄るとレイナードが黙ってアデライーデの横に立って男を睨んだ。
男はバツが悪くなったのか「人が飯食ってる時に物乞いされるなんざ、気分が悪いぜ。小僧恵んでやるよ!」と木のコップを持って舌打ちをしながらヨロヨロと屋台の方に歩き出した。
「大丈夫?」
アデライーデがその子に声をかけると、その子は返事もせずに男の食べ残しに飛びつきガツガツと残り物を食べ始めた。
「アデラ…いえ、アリシア、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ」
その子は残り物を食べ終わると、食べ物を包んでいた油紙を舐め始めた。
「まだお腹が空いてる?」
「……」
「もっと食べたい?」
「……」
黙って頷くその子をアデライーデはベンチに座らせ、マリアに何か買ってくるように言うとレイナードが申し訳なさそうな顔をした。
「お恥ずかしながら、メーアブルクには浮浪児が多くて」
「そう…」
マリアが串焼きとサンドイッチを買ってくると、その子は半分ほど食べるとぴたりと手を止めた。
「もうお腹いっぱい?全部食べてもいいのよ」
「……お嬢様 ありがとうございます。これ持って帰ってもいい…?」
「いいわよ」
「みんな待ってる…」
「みんな?他にもいるの?」
「うん」
「何人いるの?」
「4つ」
「……連れていらっしゃい。その子達もお腹空いているんでしょう?」
「いいの?」
「ここで待っているから」
そう聞くと、その子は串焼きとサンドイッチを掴むと公園の向こうの街に駆け出していった。
「レイナード、ああいう子が沢山いるの?」
「はい、教会が孤児院をしていますが、収容しきれない子供や逃げ出した子は街で暮らしているようです」
「そう…」
しばらくするとその子はボロボロの服を着た裸足の4人の子供を連れて戻ってきた。




