84 レモネードと炭酸水
「おはようございます。アデライーデ様」
離宮に来て初めての朝も、マリアの声で目が覚めた。
「おはよう。今日もいい天気ね」
カーテンを開け、外の空気を入れ替えたマリアは目覚めの紅茶を差し出した。
目覚めの紅茶は、この世界に来てからの習慣だが飲むとすっきりと目が覚める。たまにはコーヒーが飲みたくなるが、コーヒーなるものはないらしい。
手早く身支度を整え、ドレスに着替えると朝食の為にダイニングルームに向かった。
マリアとの食事権は勝ち取ったが、晩餐後レナードから若い従僕達の為にも食事のスタイルは正式なものにして欲しいと交渉されたのだ。
--そーっと、なし崩し的に堅苦しい事は省こうと思っていたのにな……。でもああ言うふうに言われたら断れないし…。正妃としてやることも少ないからしょうがないわね…。
この離宮では年に数回賓客も招くし、アルヘルム達も休暇を過ごす。アデライーデが正式な食事をしてくれれば、従僕達にはいい訓練になるのでと言われたのだ。
引けないところはきちんと抑えてくるレナードは、侮れない。
「おはようございます。アデライーデ様」
「おはよう。レナード」
笑顔のレナードは朝の挨拶をすると、2人の若い従僕がアデライーデ達の椅子を引いた。彼らがサーブを行い、レナードが監督をするようだ。
若い従僕が緊張気味に「フルーツジュースでございますが、桃とデラウェア、レモネードをご用意しております。今朝は何にいたしましょうか」とアデライーデに尋ねる。
初夏らしいメニューだ。因みにどれも今朝もぎたてのフルーツである。
「では、桃を」
「かしこまりました」
--あら…今から絞るのかしら。本当にフレッシュジュースなのね。
注文を聞いた従僕が下がっていくと、もう一人がトーストされたフィンガーサイズの薄いパンを用意した。
バターたっぷりのスクランブルエッグがサーブされた頃、アデライーデには桃のフレッシュジュース。マリアにはデラウェアのフレッシュジュースとそれぞれに水が添えられて、サーブされた。
「あら…」
「どうかされましたか?」
アデライーデがお水のグラスを手にとったので、従僕はサーブの手を止めた。
「お水はガス入りなのね」
「はい、村に炭酸水が湧く井戸がございますのでこちらでも使っております。お好みでなければガス無しもございますので、お取り替えいたしましょうか?」
「このままでいいわ。炭酸水が湧く井戸があるのね。この辺りではみな炭酸入りの井戸なの?」
「いえ、炭酸が入った井戸はバルクでも珍しくあの村に1つしかありません。こちらへは瓶詰めにして持ってきております」
--懐かしいわ。こちらでも炭酸水ってあるのね。
口に含むと、シュワシュワとした微炭酸だった。残念ながら冷えてはいなかったが、思わぬ懐かしい口当たりとの再会だった。以前はそれ程炭酸飲料が好きではなかったが、こちらでも飲めるのはとても嬉しい。
「レモネードと半々にしてくれる?」
「はい。少々お待ちください」
レモネードと炭酸水を混ぜ、軽くステアしてもらうとレモネードサイダーの出来上がりだ。
マリアにも飲んでみる?と声をかけたら、少し苦笑いをしながらもいただきますと返事をし、レモネードサイダーを恐る恐る口にする。
「美味しいですわ!シュワシュワ感が優しくなってお水のままより、ずっと飲みやすいです」
マリアはどうも炭酸が苦手なタイプのようだ。お水は一口だけ飲んでガス無しに替えてもらっていた。
「お気に召しましたでしょうか?」
「ええ、とっても美味しいわ。レモネードをこのお水で割って飲んだりしないの?」
「はい。そのまま飲んでいました」
「そう…」
--もったいないわね。色々使えるのに…。
炭酸水の事をもっと知りたくて、食後にレナードに炭酸水の井戸を見てみたいと言うと、案内いたしましょうと馬車の用意をしてくれた。騎士達に先導され着いた炭酸水の井戸は村の端にひっそりとあった。水は彫刻されたライオンの口から出ていて、湧き出た水は水路を通って湖に流されている。
井戸と言うより、有名な水を吐くシンガポールのマーライオンのようだ。
「皆はこのお水を飲まないの?」
「村のものは飲むというより料理に使う事が多いようです。肉が柔らかくなりますので。先代様はお好きでしたのでよくお飲みでしたが…シュワシュワとする感じはお好みが分かれるようです」
「そう…ちょっと飲んでみたいのだけど…」
「アデライーデ様、お飲みになるのですか?」
「ええ、大丈夫よ」
マリアがびっくりしてアデライーデを止めようとしたが、備え付けのコップが置かれていたので、飲む人もいるはずだ。
コップを手に取ろうとしたときに、「お待ちください。こちらをお使いください」と、レナードは、持ってきた鞄からリネンに包まれたグラスを取り出した。
--何が入っているかと思ったらグラスだったのね。
レナードは、マーライオンの口から水を汲むと水を拭き取りアデライーデに手渡した。アデライーデが手渡されたグラスの水を飲むと離宮で飲んだ時より強い炭酸が喉を刺激する。しかも冷たい!
「美味しいわ」
「ほぅ…。アデライーデ様にそう言われると先代様も喜びましょう。何しろ先代様しかお好みになりませんでしたから」
「アルヘルム様はお好みにはならなかったの?」
「残念ながら…。子供の頃にこの井戸から直接飲んで、かなり喉が痛かったらしくそれ以降はご自分からは口にされませんでした。お好みではなかったようですが、いたずらの罰としてこの水を何度か飲んでいただき、今は飲めるようにはなっていらっしゃいます」
それは、トラウマになるのでは?
アデライーデがびっくりした顔をしていると「問題ございません。ただの水ですから」とレナードはすまして答えた。
アルヘルムは子供の頃、かなりのやんちゃ坊主だったらしい。




