83 負けられない戦いと自分だけの部屋
「ね。お願い…」
アデライーデは祈るように手を組み小首をかしげ、大きく見開いたうるうる瞳で彼を見上げた…。
一歩踏み出して、その胸に飛び込まんばかりの雰囲気に男性の方が気圧されている。
「だって…だって…1人で寂しいんですもの。褒められた事ではないとはわかっているのです…他の方がいらっしゃる時にはしませんわ。もちろん秘密にしますわ。私達2人だけの時に…」
アデライーデはあわせた手を、その桜色の唇に寄せて囁く。
「ね……。だから…お願い」
一瞬たじろぐ素振りを見せたが、すぐにコホンと咳払いをして己を律しアデライーデのお願いに返答をした。
「……仕方ありませんな…そこまでお願いされては…。2人だけの時にですよ。アルヘルム様にもご内密に」
「本当に?」
「はい」
「ありがとう!うれしいわ!」
「では…用意がすみましたらお呼びいたします…」
扉が閉まった途端に、アデライーデは小さくガッツポーズをした。
--よっしゃ!言質とったー!
部屋の片隅で全てを見ていた者たちのそれぞれだが…
「………マリア様。不敬を承知で…よろしいでしょうか」
「どうぞ…ミアさん」
「アデライーデ様のあれは、天然なのでしょうか?」
マリアの左斜め後ろにいたミアが、一歩前に出て、小声で問いかけた。
「天然とお思い?」
「いえ…養殖かと…」
「男女問わず、あの『お願い』の破壊力は凄まじいものがありますわ。直撃されるとひと溜りもありませんよ…」
「もしかして、マリア様も?」
小さくため息をついて、マリアは目を伏せた。
「ええ… 不意打ちでした…。至近距離で強弓で射抜かれたような気持ちでしたわ…」
「まぁ……」
--確かに…あんな風にお願いされたら、きゅんきゅんきますわね。
「お気をつけになって…」
「はい…心しておきますわ」
何をどう心するのかは、よくわからないがこの二人には通じるものがあるらしい。
一方では…
キャッキャウフフと、手を取り合って盛り上がっていた。
「はぁ……ステキですわー」
「本当に!お芝居の場面みたいでした!」
「レナード様がもっとお若ければ…。でもバリトンのお声がシブくて…それはそれで良いですわね! 声だけお聞きしているとまるで許されぬ逢瀬のお約束のような会話で…」
「ですよね。うっとりしちゃいましたわー」
エマとエミリアの会話は…。少し腐っているかもしれない。
そっとしておいた方が良いだろう。
「ね、マリア!これでこれからも一緒に食事ができるわ!」
アデライーデは、振り返ってマリアのそばに駆け寄り嬉しそうにマリアの手を取った。
「アリガトウゴザイマス」
感謝の言葉が少し棒読みになっているのはなぜだかわからないが、これで今までのようにマリアと食事をとることができるのだ。
離宮の案内を終えて夕食の話になった時に、レナードにマリアと食事をとりたいと話したら難色を示された。
女主人のアデライーデと、使用人である侍女のマリアとの同席はよろしくないとやんわり止められたのだ。
無論、レナードの言う事がここの貴族社会では正しい。
わかってはいるが、これからずっと1人の食事は味気ない。
ここで「はい」と言ってしまったら余程のことがない限り、マリアとの食事は望めないと感じた陽子さんは、レナードを攻略したのだ。
--絶対、負けられない戦いだったわ…
薫…「あざとかわいい」を伝授してくれてありがとう!アデライーデでなら無敵だわ!
勝利の余韻に浸っているアデライーデに、マリアが声をかけた。
「アデライーデ様。今更かもしれませんが、彼女達をご紹介しますね」
「え? はい、そうだったわね」
--そう言えば、メイドさん達の名前を聞いた事が無かったのよね。
声をかける前に目が合うから、名前を聞くチャンスの逃し続けていたんだっけ…。
腐っていても王宮のメイドだ。
仕事においては、呼ばれる前に察する事ができるようだ。
「王宮にてもアデライーデ様付きを務めさせていただいておりましたが、本日より湖畔の離宮でアデライーデ様付となりました。ミア・ブラウンと申します。ブラウン子爵家の5女でございます。精一杯努めさせていただきます」
ミアは3人の中では1番背が高く暗めの茶の髪と濃い瞳の、きりっとした顔立ちのハンサムガールだ。
「同じく、エマ・シュトローマーと申します。シュトローマー男爵家3女でございます。よろしくお願いいたします」
エマは明るい茶の髪とヘーゼルの瞳を持ち、タレ目の愛くるしい顔立ちに豊かな胸元のダイナマイトボディの持ち主だ。
「同じく、エミリア・ノイラートと申します。ノイラート男爵家3女でございます。よろしくお願いいたします」
エミリアは薄い茶の巻毛でぱっちりとした明るい茶の瞳を持っている。小柄でほっそりとしているので1番幼く見える。
メイド服にフリルの付いたエプロンをし、髪はシニヨンにしてアデライーデから貰ったクリーム色の揃いのリボンをしている。年は皆18才で同期らしい。
「ミア、エマ、エミリアね。王宮ではお世話になったわ。これからもよろしくね」
アデライーデがにっこりと笑って、これからもよろしくと挨拶を返すと「仰せのままに」と揃って45度のお辞儀をした。
ミア達の挨拶が終わった頃、丁度良くレナードが夕食の支度が出来たと呼びに来た。
引越しの荷物の整理もあるだろうからとミア達に「今日はもういいわ」と暇を取らせて、アデライーデ達はレナードと一緒にダイニングルームに向かった。
ミア達は使用人部屋で早めの食事をとり、預けてあったトランクを抱えて細い階段を上がると廊下の両脇に部屋があった。ドアの横のネームプレートに名前があったのは彼女達だけだったので、住み込みのメイドは今のところ3人だけのようだ。
10畳ほどの部屋にはベッドと小さなクローゼットとチェスト。それに丸テーブルと椅子があった。ミアは灯り取り用の蝋燭から部屋の燭台に火を移すと塗り直された白い壁に蝋燭の光が当たり部屋の中が明るくなった。
家具やベッドは古いものだがきれいに手入れされ、真新しいかけ布団とシーツが敷かれていた。クローゼットの中には新しいメイド服が2着と靴が一足支給され、チェストの中には替えのシーツと枕カバーもある。
チェストの上には鏡と水差しとコップ。そしてりんごが2つ置かれていた。
「初めての自分だけの部屋だわ」
3人とも子沢山の家でずっと姉妹と共用の部屋だった。王宮の寮でも相部屋で、今まで自分だけの部屋を持ったことがなかったのだ。
同僚の支度の音で起こされることもなく、お休みの日には刺繍をしてクッションを作ったりして自分だけの部屋を飾ることもできる。手癖の悪い同僚を警戒したり、先輩から持ち物をねだられる事もない。
王宮でアデライーデ様付きになった時、酷く気まぐれな方で使用人泣かせらしいと噂が流れ、皇女様付きを嫌がった先輩達から「年が近い方が何かと良いから」と押し付けられたが、蓋を開ければアデライーデ様もマリア様もお優しくお土産に貰ったリボンを見て先輩方は悔しがっていた。
すぐに追加のメイドに立候補したようだが、一度体よく辞退をした先輩方は選考から外れると後輩が3人にこっそり耳打ちしてくれたのを聞いてホッとした。
「推薦、よろしくお願いしますね」とちゃっかり者の後輩だが、性格は悪くないのでマイヤー夫人に候補者の推薦があるかと尋ねられた時に3人は推薦しておいた。激しい選考を勝ち抜ければいいけど…。
それにしても噂なんて当てにできないわ。どこからあんな噂が出たのだろう…
それは国境の伯爵の使用人からの噂で、元々輿入れするはずだったカトリーヌの事だ。噂は間違ってないが人が違うのだ。
ミアが寝間着に着換え、早いがそろそろ休もうかとしていた頃、エマとエミリアがやって来た。
「栄転パーティしない?」
エマの手にはワインの瓶が。エミリアの手にはサラミがあった。
「あなた達…それどこから」
「実家からよ。栄転祝いに貰ってきたの。コップも持ってきたわよ」
にっこり笑う二人は祝う気満々だ。
ベッドのそばにテーブルを寄せて、3人は乾杯をした。
個室を貰って嬉しかったのは皆同じで、そのうちベッドカバーを作ったりかわいいテーブルクロスをかけたいと夢を語りあって、3人の初めての離宮の夜は更けていった。
えっと…魚の養殖はしてませんが、牡蠣の養殖はやってます。日本も1600年代くらいから牡蠣の養殖の歴史はあるようです。




