82 離宮探訪と海泡石のパイプ
「行ってしまわれたわね」
「はい…。アデライーデ様、お部屋へ戻られますか?」
「そうねぇ、そう言えばマリア達はどこに行ったのかしら」
「侍女殿とメイド達は、従僕達への顔合わせとお食事をハウスキーパールームでしております。お呼びしますか?」
「そうね…食事が済んでいるのなら…」
「ご一緒に離宮のご案内をいたしましょうか」
「ええ!ぜひ」
アデライーデがそう言うと、レナードは傍らの従僕の一人にマリア達を呼びに行かせた。すぐにマリアとメイド達がアデライーデの待つ広間……いわゆる玄関ホールにやって来たところを見ると、従業員部屋は、広間のすぐ側らしい。
レナードによると、この離宮は3階建てで5代前の国王が隠居する際に建てられたという。かなりな年数が経っているにも関わらずそう感じさせないのは日頃のお手入れなのだろう。所々に掛かった歴代の王と王妃の絵画は若い頃のもので刺繍をしていたり狩りをしている絵が多かった。
何でもそうやって、離宮を散歩して昔を思い出す為らしい。
1階はいわゆるパブリックスペースでたまに来る賓客をもてなす為に、数部屋の客室、小規模な晩餐会が開けるダイニングルーム、応接間、図書室やカードゲーム用の娯楽室、タバコが吸える喫煙室がある。
--分煙されているのね。近代的?
喫煙室に入ると、離宮の中で一部屋だけ白い壁ではなく薄い茶色の蔦模様の壁紙が貼られていた。先王はパイプがお好きだったらしくガラスの飾り棚の中には、飴色になった海泡石のパイプが鎮座していた。
海泡石のパイプは、白い多孔質の石から出来ていて長い年月タバコを吸ううち飴色に染まる。その色を楽しみながら吸うパイプで何代にも亘って受け継がれるものは貴重品で遺産目録に書かれた物もあるらしい。
「おタバコを嗜まれるのですか」
彫刻が施された先王のパイプを眺めているとレナードが目を細めてアデライーデに声をかけた。長く見すぎていたようだ。
「いえ、初めて見るもので珍しくて…きれいな彫刻なのですね…」
実はメシャムのパイプを見るのは初めてではない。
陽子さんのおじいちゃんが同じメシャムのパイプを持っていて懐かしかったのだ。先王のパイプのような立派な彫刻もなくつるんとしたパイプだったが、いつも遊びに行くと、飴色のパイプを吸いながら絵本を読んでくれたなと懐かしいことを思い出した。
--紙タバコの匂いは好きじゃないけど、おじいちゃんのパイプの煙は甘い匂いがしていたわね。あのパイプ、今はどこに行ったのかしら。
おじいちゃんとの思い出に浸っているのを、パイプの彫刻が気に入ったと思ったレナードはガラス棚を開け、パイプをもっと見やすいようにガラス棚の手前に置き直した。
「アルヘルム様は今は嗜まれませんが、お年を召したらきっと嗜まれるでしょう。その時まではここに飾っておきますので、いつでも見にいらしてください」
「ええ、そうするわ」
1階の案内が終わり、階段を上がって2階のプライベートスペースにやってきた。
アデライーデとアルヘルムの主寝室、主寝室の両脇にそれぞれのプライベート寝室と浴室とクローゼットルーム、居間、貴重品室、書斎、書庫があると言う。
貴重品室の鍵はアデライーデとレナードが持ち、マリアは必要に応じてどちらかに借りるようになると言う。むしろ貴重品室の鍵など持ちたくない陽子さんはマリアに託してしまいたかったが、マリアには「私には荷が重すぎます」と丁重に断られてしまった。
どうも鍵と言うのは、使用人のステイタスを表すものらしくそれなりのキャリアがある使用人が持つものらしい。
2階はほとんどの部屋に手を加えたとレナードが説明していた。落ち着いた1階より輿入れの時に持たされた家具やファブリックは、女性好みの華やいだもので部屋を華やかにしていた。水周りも一新され以前より使いやすくなっているらしい。
「レナード。マリアやメイドさん達はこれからどこに住むの?」
「通いのものもいますが、住み込みの使用人は3階に住みます」
王宮では別棟の寮に住んでいたメイド達は、離宮に住めるとワクワク顔でレナードの言葉を待った。
「階段が見当たらないのだけど…」
「こちらですよ」
レナードは2階の端の壁を開けた。
帝国で見た隠し部屋のように、壁の模様に沿ってぽっかりとドアが奥に向かって開いた。よく見るとドアノブも付いているが、縁模様のデザインのせいで非常にわかりにくい。
ドアの横には細い階段がついていて3階に行けるようになっているようだ。
「狭いですが、個室になっているのでリラックスはできますよ」
そうレナードが言うとメイドさん達は声を上げて喜んだ。王宮でも4人部屋だったのに個室だなんて…なんて贅沢なのだろうと言うことらしい。
「後で荷物を運ぶと良いですよ。こちらの端は女性用であちらの端は男性用です。間違えないように」
レナードが指差した先の壁には3階に行くドアがあるらしいが全くわからない。
「侍女殿のお部屋はこちらです」
そう言って、アデライーデのプライベート寝室の辺りの壁を押して少しだけ開け部屋の中は見えないようにして「後で、ここまで荷物を運ばせますので…」とドアを閉めた。
出来る執事のレナードは、プライバシーにも配慮を欠かさない。
「離宮内のご案内は以上でございますが、このまま外もご案内いたしましょうか?」
「「「はい!ぜひ!」」」
アデライーデを始めとして、皆の声を揃えた返事にレナードは笑いながら皆を庭に案内した。
「離宮も華やかになりますな」
レナードも心なしか、楽しんでるところがある。
遠足の引率の気分であろうか。前庭、厩、温室、少し離れたところにある兵士達の訓練場と兵舎(離宮と同じ白壁とグリーンの屋根で可愛らしい)と案内してくれた。
先王がお亡くなりになって、ここ数年は年に数回のアルヘルムたち家族がやって来る以外は静かな離宮だったと言う。
レナードと5人の従僕達と1人の調理人と下働きの夫婦が2人、1人の庭師とで離宮を管理していたが、アデライーデがここに住むとなって侍女のマリア、メイド達が3人、常駐の騎士が3名、警備兵が30名となり料理人も5名下働きも5名増やされた。
後からメイドも数名増やされる予定なので、しばらく残る帝国の庭師3名を加えると一気に5倍近くの人が増えるのだ。
賑やかになるのは間違いない。




