80 離宮の女主人
アデライーデが離宮に移る日、馬車に揺られていると前回と道が違うことに気がついた。以前よりずいぶん早く道を曲がって森の中に入っていく。
「アルヘルム様…道が違いませんか?」
「あぁ、前回は村に直接行ったからね。今日は直接離宮に行くからこの道なんだ。ほら見てごらん」
そう言って指差した先には澄んだ広い湖面の湖とその湖のすぐ側に小さな離宮があった。白漆喰の壁とオレンジ色の屋根の離宮の四隅には離宮と同じ高さの尖塔がある。尖塔の屋根は深いグリーンなのでオレンジ色の屋根によく映えている。
森を背景に白い離宮が浮かび上がり、鏡のような湖面にもゆらゆらと反射していて、とても優美な離宮だ。
「まぁ……なんて……素敵」
アデライーデは離宮に目を奪われてそれ以上の言葉が出なかった。
「だろう? 国外から賓客にもとても人気なんだ。今日からあれが君の離宮だよ」
「本当によろしいのですか?あんな素敵な離宮に私が住んで…」
「当たり前じゃないか。君はこの国の正妃なんだよ」
アルヘルムはそう言うと、アデライーデの隣に座り離宮から少し離れた村を指差す。離宮と同じオレンジの屋根と白い壁の家が見える。
「あれが君の村」
「この前連れて行って下さった村ですね。そう言えば村の名前は何というのですか?」
「本当はシードルフ村と言うんだけど、あまり知られてないし言われてもわからないかもね。先王の村と言えばわかるから。でも今日からは正妃の村と皆が呼ぶようになる」
村と離宮の間には林があり、お互いに見えないようになっているという。街道からも一見して離宮や村がわからないのは警備の為だとアルヘルムはアデライーデに説明をした。
離宮への道は湖の湖畔沿いに伸び、馬車は離宮の正面玄関に着いた。
到着して、少し経つと外からノックがされ馬車のドアが開けられた。
アルヘルムが先に馬車を降り、アデライーデの手を取ってエスコートして馬車から降ろすと離宮にいた使用人と護衛の騎士達がずらりと並んでアデライーデ達を出迎えた。
「ようこそおいでくださいました。陛下。正妃様」
初老の執事が恭しく2人に挨拶をし、控えていた使用人と騎士達が角度を揃えて頭を下げる。
「出迎えご苦労。レナード」
アルヘルムは執事にそう言うとアデライーデに執事を紹介した。
「執事のレナードだ。この離宮をずっと管理してくれている。レナード、私の正妃のアデライーデだ」
そう紹介されるとレナードは胸に手をあてアデライーデに深々と頭を垂れ「Yes, Your Majesty.(正妃様) レナード・ボアルネと申します。お仕えできて光栄でございます。どうぞレナードとお呼びください」と挨拶をした。
「よろしくお願いします。レナード」
そうアデライーデからの挨拶を受けて、ロマンスグレーの髪と口ひげをもつ細身の紳士はにっこりと笑い「帝国には及びませんが、精一杯お仕えさせていただきます」と応じる。
アルヘルムは次に、騎士達に目をやり「これへ…」と呼び寄せた。
30名の警備兵の隊列の前に3名の騎士が進み出た。
「この離宮の警備隊長のラインハートだ」とアデライーデに紹介する。
アルヘルムに紹介された壮年の騎士は、がっしりとした体躯を曲げてアデライーデに騎士の礼をとり「ご紹介に預かりましたラインハート・コンラディンと申します。後ろの二人は副隊長のレイナード・ライエンとギャレン・マルク。この身に代えましても正妃様をお守り申し上げます」と挨拶をした。
「ありがとうございます。ラインハート隊長、よろしくお願いします」アデライーデの返事にラインハートはにこりと頷く。
一通りの紹介をおえるとアルヘルムは「皆のものよ。私のアデライーデをよろしく頼む」と言うと皆は「仰せのままに」と声を揃えて腰を落とし臣下の礼をとった。
「さぁ、新居に入りましょうか」とアルヘルムが言うと、アデライーデをさっと横抱きにした。所謂お姫様だっこだ。
「あ…アルヘルム様…何を」
皆の前で何をするのだと身じろぐと、アルヘルムは笑いながら「ほら、じっとして」とアデライーデを抱いたまま離宮に向かって歩き始めた。
「花嫁が新居の敷居に躓かないように、花婿が花嫁を抱きかかえて新居に運ぶのですよ。躓くと縁起が悪いからですね。王宮だったら寝室に抱きかかえて入るのです…。このまま寝室までお連れしましょうか?」
アルヘルムはアデライーデの耳元でそう囁いた。
「いえ!玄関まででお願いします」
--昼間から何を!それに白い結婚でしょう〜
アデライーデが顔を赤くしてそう言うと、アルヘルムは「つれない花嫁様だ」と笑ってアデライーデの額にキスをした。
新婚の夫が妻を抱きかかえて新居に入るという事は、これから妻を大切に庇護するという意味がある。
アルヘルムは皆の前でアデライーデを大切にするという事を示したかったのだ。
レイナード・ライエンとギャレン・マルクが離宮の大きな正面玄関をあける。アルヘルムに抱えられて離宮に入ると、赤い絨毯が敷きつめられた玄関ホールに降ろされた。
離宮内も白い壁に統一され趣味の良い調度品が備えられている。
「部屋へ案内しましょう」
アルヘルムはアデライーデの手を取り2階の離宮の主の部屋へ案内した。輿入れの家具がすでに備えられ、花に飾られた部屋は女主人が住むにふさわしい華やいだ部屋だ。
ベランダからは湖が一望でき、対岸の森の端には王宮の青い屋根が見える。
「気に入ったかい」
「ええ!とても」
アデライーデがベランダからの景色に見とれていると、アルヘルムはアデライーデを後ろから抱きしめ少し悲しそうな顔をした。
「気に入ってくれたのは嬉しいが、ここに引き篭もってばかりいないでほしい」
ぎくっ…
「私の事を忘れないように、ちゃんと月に1度は王宮に会いに来てくれるかい」
離宮に暮らしてちょっと距離をおけば、アルヘルムも政務の忙しさに今のようなアデライーデへの関心がなくなるのではないかと思っていた。
--もしかして、見透かされてる?
「もちろんですわ。会いに行きますわ」
アデライーデがそう答えにっこりと笑う。
--本当に?色々理由をつけてここに引きこもりそうだな…
「時々は、私が貴女に会いに来ます」
「え?……はい。お待ちしております」
アデライーデが一瞬驚いた顔をしたのをアルヘルムは見逃さなかった。
--引きこもる気だったな…
--引きこもろうとしていたのがバレてる?
「ここまで馬で駆ければ直ぐだ。いい運動にもなるからね」
「そうですね」
ふたりの攻防が今日から始まった。
畔の離宮のイメージはドイツの小城。グリュックスブルグ城です。
とても素敵な小城でアデライーデが住むならこんなお城と思っています。




