74 馬のおもちゃとマドレーヌ
新婚の3日も過ぎて城に日常が帰ってきた。
アルヘルムと朝昼晩と過ごす事は無くなったが、離宮に行くまでの間は週に1度の食事の約束をさせられた。
翌日の久しぶりのマリアとの朝食は、アルヘルムとの遠出がどんなものだったかの聞き取り調査のようなものだった。当日は慣れない乗馬にお疲れだったアデライーデに聞くのは遠慮してくれていたらしい。
二人で馬でお出かけというのは現代のツーリングのような感覚だろうか。やっぱり女子には憧れのデートらしい。王都での人気のデートコースは城下町で人気のカフェ巡りや、森へのピクニック。港町のメーアブルグへの遠出らしい。
それならば、アルヘルムのデートコースは人気のデートスポットの王道を押さえているようだ。
メイド達はまだメーアブルグに行ったことがないらしく、いつか彼氏が出来たらアデライーデが行ったメーアブルグの広場に連れて行ってもらうのだと熱く語っていた。
マリアもメーアブルグには興味津々だった。海を見たことがないのでどのくらい海が大きいのかわからないらしい。
離宮に移ったら皆で行こうと誘うと、4人は大はしゃぎだった。
賑やかな朝食が終わり、食後にフィリップにお土産を渡したいから会いたいとマリアに頼みマイヤー夫人にことづけると午後の授業の前ならばと時間をとってくれた。
「フィリップ様。はい、お土産ですよ」
「馬だ!ありがとうございます!この馬、頭が動く!」
やっぱり店主の言うように男の子に馬は人気らしい。
王子へのお土産にしては素朴すぎる感がするが、喜んでくれるならそれも良いのかもと微笑ましく見ていると、フィリップにはどこに行ったのかと話をねだられた。
メーアブルグの話をしていると、家庭教師がやって来てアデライーデに挨拶をし午後の授業だと告げるとフィリップは途端につまらなそうな顔をした。
「もし良かったら私も聞いていて良いですか?」
「正妃様?」
「どんな授業か興味がありますの。お邪魔はしませんわ」
驚いていたのは家庭教師だ。それはそうだろう…いきなり正妃から授業を聞きたいと言われて驚かないわけがない。
「アデライーデ様もご一緒にですか?先生、いいでしょう」
フィリップは今まで一人だけで授業を受けていたらしく、アデライーデと一緒の授業を熱心にねだると、まだ若い家庭教師は渋々良いでしょうと許可をしてくれた。フィリップの願いもだが、家庭教師としても正妃のお願いは断れないようだ。
--先生、ごめんなさいね。急な授業参観で…
先生にはちょっと申し訳なく思うが、授業にも興味があった陽子さんは許可をもらって喜んでいた。
コホンと軽く咳払いをして眼鏡を正すと「今日は昨日の続きで、バルク国の地理から始めましょう」と言い、1枚の地図を取り出した。昨日はバルク国の主な地名と治める貴族の事を習ったらしく覚えたてのことを、フィリップは喜々としてアデライーデに教え始める。
フィリップによると、養蜂の盛んな国と聞いていたが深い森に囲まれたバルク国は林業やガラス産業も盛んらしい。治める貴族の名前は時々家庭教師に助けてもらいながらも、休憩時間を挟むまでフィリップは熱心にバルク国の事を説明してくれた。
「その侯爵様にお会いになった事はあるの」
アデライーデは王都に近い侯爵の領地を指差してフィリップに尋ねる。
「新年のパーティの時にお祝いを言われました。同い年のハロルドのお父上です」どうやらご学友のお家らしい。
「ハロルド様の家の特産って何なのかしら…」
フィリップは教科書代わりの貴族録を引きながら特産品を説明する。
「えっとですね…『豊かな小麦』です。ハロルドの持ってくるクッキーはとても美味しいんですよ」
「それはきっと『豊かな小麦』を使ってクッキーをつくっているからね」
「そうかも!」
「じゃ、こちらの領地はどなたの?」
「そこは子爵の…えっと…」
そう熱心な生徒でなかったフィリップが積極的に説明する姿に家庭教師は、目を細めフィリップの説明を止めずにここの地名は?ここは誰の領地ですかとフィリップを誘導していく。
「それでは少し休憩をしましょう」
あっという間に休憩時間になったらしく、家庭教師がそう告げるとフィリップ付の侍女がティーカートにおやつを乗せてやってきた。
おやつはマドレーヌだった。バターをたっぷり使っているらしくしっとりとしたリッチな食感はさすが王宮のマドレーヌである。いくらでも入りそうだ。
フィリップには果実水が、アデライーデには紅茶が出された。
「アデライーデ様、次は書き取りの授業なんです。ご一緒ですよね?」
フィリップはそう言うが、無理を言って参加させてもらったのであまり長居は良くないかも…お茶を飲んだあとにお暇しようと思っていたアデライーデがチラッと家庭教師を見る。
フィリップの声が聞こえていたのであろう、家庭教師からすぐに返事が聞こえた。
「よろしければ、次の書き取りの授業もご覧になりませんか」
授業の大テーブルで次の授業の準備をしていた家庭教師の返事に、アデライーデの返事より早くフィリップが「ご一緒ですよ」と喜んでいる。
お暇はできないようだ。
書き取りの授業と言うのは、国語の授業のようで有名な詩集の書き写しや朗読をするらしい。苦手だと言っていた書き写しは所々間違えていたが朗読は中々上手だ。
ただ、恋愛の詩の朗読はこの年には少し早いのではないかと思うが、この世界の文化なのだろうか…。
--ゴンきつねとか大きなクジラとか、そんなお話はないのかしら。
アルヘルム様がさらっとドキドキするようなセリフを言うのは、こういう授業で言いなれているのが下地からなのかしら…。
ちょっと斜め上なことを考えていたらフィリップの朗読が終わった。
アデライーデがパチパチと拍手をすると、フィリップは嬉しそうにして「暗唱できるようになった詩もあるんです」と短い詩をいくつか暗唱し始めた。
途中でひっかかったりしてはいたが、ちゃんと最後まで暗唱し終えたフィリップに拍手をしていると家庭教師がアデライーデに話しかけた。
「正妃様はどのような詩がお好きで?」
……もしかして私にも暗唱しろと?いや、何も知らないわよ!詩なんて…お題目だけならハイネの詩とか知ってるけど…読んだことないし。
あぁ みんなちがってみんないい なら言えるかしら…薫に付き合って何度も読まされたわね…
なんと答えていいか笑顔を引つらせていると、家庭教師はなにか察したらしくメガネをクイっと押し上げて「正妃様のためにフィリップ様に暗唱してもらおうかと…」と少し小声でアデライーデに告げた。
「あぁ…フィリップ様にね…」
ホッと胸を撫で下ろす。でも、何をリクエストしたらいいのかしら…
とりあえず恋の詩はパスね。
うーんと、悩んで「それでは…馬の短い詩を」とリクエストした。
馬ならフィリップも好きだし、短いものなら負担もないだろう「承知しました。それでは…」と家庭教師は挨拶して下がっていった。
「今日の授業はとっても楽しかったです」
「そう?良かったわ。フィリップ様はいつも1人で授業なの?」
「はい、でも秋から学院に行くのです。ハロルド達も一緒に入学するからすごく楽しみなのですよ」
バルクの貴族は10才から16才までの6年間、王立貴族学院に通う。領地の遠い師弟は寮やタウンハウスに住んでの通学となるがフィリップは、もちろん王宮からの通いだ。
ハロルドはタウンハウスから通うらしく、フィリップは10才で一人暮らしをする友人が羨ましいらしい。もちろんメイドや執事や教育係と言う監視役はつくらしいが。
--10才で1人暮し!しかもメイド付きなんて…さすが貴族ね。うちの子供たちなんてアラサーだけど家にいるわよ…
女性貴族もこの学院を卒業して結婚と言う事が多く、貴族の殆どはこの学院を卒業すると言う。
それまで家庭で教育し、失敗の出来ない社交界の練習の場となる学院で実践を積むようだ。
もっとおしゃべりしたいと言うフィリップに、また今度ねと約束して部屋を出た時には日もだいぶ傾いていた。




