71 熾火とお忍びの服装
ガチャ…
アルヘルムの執務室に書類を掴んだタクシスが入ってきた。
王は結婚後3日間は執務をしない。新婚の王は迎えた妃と甘い二人だけの時間を過ごすと決められている。
結婚前にある程度詰めて仕事をしてもらうが、その間の執務は全て宰相と文官達が手分けして行う。今は緊急の案件もなく、強いて言うならアデライーデが住まう離宮の工事くらいだ。
今の時間は晩餐も終わって二人で閨で過ごすはずだが、白い結婚なので親睦を深めるためにおしゃべりでもしているはずだろう。
暗い執務室の明かりをつけて、暖炉の熾火を起こそうと近づくとソファにアルヘルムがいた……
「うぉ!」
誰もいないと思っていたのに、明かりもつけずに真っ暗な室内でアルヘルムが黙って座っているとは露にも思っていなかったタクシスは、思わず声を上げた。
「何やってるんだ…こんな所で…明かりもつけずに!びっくりするだろうが!」
落としそうになった書類を握りしめ、驚かされた分だけ声が大きくなる。
「あぁ。うん」
気のない返事をするアルヘルムを放っておいて、火かき棒で熾火を起こすと持ってきた書類をチェックして、半分は暖炉に放り込んだ。
メラメラと燃え上がる火は、焼けぼっくいに火をつけていく。充分に火が回った所でささくれ立たせた薪を3本程入れてタクシスはソファに座った。
アルヘルムは新しい薪を舐める火をぼっーと見ている。
「で、何があったんだ?」
「うん?」
「今頃は花嫁様といちゃいちゃしてる頃じゃないのか?喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩なんかしてない。さっきまで一緒に食事をしていた」
「ほぅ!」
乱暴に相槌を打つと、タクシスは残りの書類に目を通す。
「食後には土産のリボンやハンカチをメイド達や侍女に渡して、ものすごく喜ばれた」
「土産?どこかに行っていたのか?」
「メーアブルグに馬で遠出したんだ」
「いいじゃないか。花嫁様は馬に乗れるのか」
「いや、乗れないから同乗した」
「ロマンチックじゃないか。アエロリットに乗って行ったのか?」
アエロリットは今日騎乗したあの白い馬だ。
「あぁ」
「メーアブルグで何かあったのか?」
「…………」
--なにかあったな。
アルヘルムは先王から帝王学を学んでから、自分から何かを訴える事が極端に少なくなった。子供の頃はどうでもいい事もよく喋っていたのに、大人になるにつれ自分の要求や感想を言わなくなった。それは王として必要な事であるが溜め込みすぎると人としては良くない。
タクシスは、アルヘルムが溜め込んだものをよくこの部屋で掘り起こす。
「二人で楽しんだんじゃないのか」
「二人では楽しんだ。結構楽しかった…。彼女も楽しんでいたと思う」
「じゃあ、なんでここで暗くなっているんだ?」
「……やっぱり二人でいると親子に見えるよな?」
「は?」
「二人で広場で買い物をしたんだ。その店の店主にお父上って…呼ばれた」
「……」
「今まで、お忍びで何処に行ってもお兄さんって呼ばれていたんだ。やっぱり彼女と並ぶと父娘に見えるんだな…。夫婦に見えなくとも年の離れた兄妹くらいかと思っていた。城ではみんなお似合いだと言うが庶民は思ったままを口にするからな」
「お前…。そう言えば、年の差結構気にしていたな」
タクシスは書類を見ながら苦笑している。
「最初はフィリップとそう変わらない年だから、娘を扱うようにすれば良いと思っていたんだが、今日店主からお父上って言われて何だか現実を突きつけられたって言うか…」
「………」
自分では気がついてないんだ。
最初は国の為と皇女を迎え入れたが、迎え入れた皇女があれだ。大人びて変わっている彼女を思ったより気に入り始めたら、夫婦じゃなくて親子のようだと言われてショックを受けているのだろう。
知ってるか?それ、恋愛感情って言うんだぞ。
教えてやろうかどうしようかと思ったが、面白いので放って置くことにした。
自分で気が付くまでどのくらいかかるかな…。
こいつも言われて素直に認めるはずも無いしなと、タクシスは書類越しにアルヘルムを見た。
「お忍びの服装を変えるべきかな」
見当違いの事を言い出したアルヘルムが可笑しくてならない。
チェックし終わった書類を暖炉に放り込むと、タクシスはグラスとワインを出してきてアルヘルムのグラスにワインを注いた。
「焦らなくても2、3年もすればあっちがすぐに追いつくさ」
「……」
「あれだけ美人なんだ。成人すれば幼さも抜けてどう見たって似合いの夫婦だよ。父娘には見えないさ」
「そうか……そうかもな」
「明日はどうするんだ」
「明日は、離宮の近くの湖に行こうかと思ってる」
「そりゃ良いな。あそこは静かで景色もいい」
--それに湖の近くの村人達はアルヘルムを知ってるからな。下手な事は言わないだろ。
--明日、あの村の村人達にそれとなく聞いてみよう。それにやっぱりお忍びの服は変えるべきだな。
「じゃ、遅くなったが新婚おめでとう」
「ありがとう」
それぞれ別の事を思いながら、祝いの乾杯をした。




