69 メーアブルグと新婚夫婦
着替え慣れているのか、アルヘルムは裕福な商人風の茶の上着に着替え、すぐにアデライーデを迎えに来た。
「貴女の髪はここでは珍しい色なので、こちらの帽子を被ると良いですよ」と、髪がすっぽり隠れるようなグレイの帽子を持ってきてくれた。
目深にかぶると確かに髪はきれいに隠れる。
「ほら、じっとして」
帽子には太めのくすんだスモーキーピンクのシフォンのリボンがついている。顎の下で大きくリボン結びにすると大変に可愛らしい。
アルヘルムは器用にリボンを結ぶと満足げに「よくお似合いだ」と言って姿見の前にアデライーデを立たせる。
シンプルなグレーの上着とダークグレーのスカートに、スモーキーピンクのシフォンのリボンはアクセントになって、どこから見てもいい家のお嬢様といった感じた。
アルヘルムも仕立ての良さがわかる羽振りの良さげな商人と言う感じだ。
「目立ちませんか?」とおずおずとアデライーデが尋ねると…
「そうかな?どこから見ても下位貴族のお忍び夫婦と言う感じだ。誰も国王夫妻とは思わないはずだよ」アルヘルムは自信を持って答えた。
--確かに国王夫妻が結婚2日目に変装してここにいるとは思わないわよね…下手に隠さないで、下位貴族のお忍びって方が自然なのかも。お忍びで歩き慣れている上様の言う事は間違いないはず。
「そうですね!これで街歩きを愉しめますね」
「さぁ、街を歩こうか」
アルヘルムの腕をとり、2人はメーアブルグの街に繰り出した。
護衛の騎士達はマントを羽織り、ヴェルフの部下達はバラバラとアルヘルム達に近づきすぎない程度に離れて人混みに紛れる。
久しぶりの街歩きは、それだけで心が踊る。大通りには、たくさんの人が溢れていた。子供たちは駆け回り荷物を積んだ馬車も行き交って活気のあふれる街のようだ。
--久しぶりだわ。あー。いいなぁ、自由に歩けるって。レンガ造りの建物も素敵ね
周りの人混みを楽しんでいるとアルヘルムは歩きながら、すっと前の教会を指差した。
「あれがこの街の教会ですよ」
尖塔があるレンガ造りの立派な建物を指差しながら説明を始めた。
「先王が30年ほど前に建てられ、この街が発展するきっかけになったんだよ。それまで小さな漁村だったこの街が、灯台を兼ねた教会が出来少しずつ港を整備して、外国の船も寄るようになってきて街も活気づいてきたし」
アルヘルムはお忍びになって少しくだけた喋り方になってきている。
「大きな船も来るのですか?」
「いや、この港には入れないので沖に停泊して、船員が小舟でこの街に休みに来るんですよ。ほら、彼らはもっと西の方から来ている船員」
アルヘルムが指差した先には、異国風の服を着た船員が何かを話しながら歩いていた。
茶の髪とグリーンの瞳の人が多い中、黒髪黒目の人は異国の人らしい。
「そうなんですね」
船員らしく日焼けした彼らは、ワイワイ話しながら脇道に入って行った。
「さぁ、食事に行きましょうか」
「お食事ですか?」
「ええ、ヴェルフが用意してくれています」
アルヘルムはそう言うと、大通りの一角にある2階建てのレストランにアデライーデを連れて入っていく。
1階は、広いホールになっていてすでにたくさんの人達が賑やかに食事をしていたが、迎えに出たウェイターに2階の部屋に案内された。
その部屋は、港が一望できる壁が1面開放された明るい室内だ。
用意された部屋には窓に向かって椅子が2脚並んでいるテーブルが、1台だけ据えられていた。
早速運ばれてきた食前酒で乾杯をすると、アルヘルムは「せっかく港町に来たのですから、今日はマナーを忘れていつもと違う食事を用意してもらいましたよ」とウェイターを呼んだ。
「いつもと違う食事ですか?」
「ええ」
なんだろうとわくわくしていると、ウェイターは銀の水の入ったフィンガーボールを二人の脇に1つずつとナプキンを置き、カートから一抱えもある様な銀の丸蓋付の大皿をテーブルにセッティングすると一礼して下がっていった。
「これ…ですの?」
「そう。これ」
ウェイターが出て行った後、アルヘルムは悪戯っ子っぽい笑顔で笑う。
--何かしら…
アデライーデが興味津々で見ているのを満足げに見てアルヘルムは丸蓋をとった。
「海老だわ!」
丸蓋がとられた皿から、茹でた海老のいい匂いが部屋の中に広がった。車海老によく似た赤い海老が大皿いっぱいに盛られている。
「お好きでしょう? 是非ここで茹でたての海老を食べてもらおうと思ってね」
「ありがとうございます。こんなに沢山の海老を見るのも初めてです」
前世でもこんなに沢山の海老にお目にかかったことは無い。アデライーデが喜んでいるのに気を良くしたアルヘルムは、海老の食べ方を教え始めた。
「頭をとって、足をとって…殻を剥く。尻尾をきれいに残すのは難しいんですよ。ほら」
器用に殻をとった海老を、自慢げにアデライーデに見せ子供のように笑うと、エビをアデライーデの口元に持ってきた。
--これは…た…食べろって事よね。
口を開けるとアルヘルムが、海老を放り込んできた。
「美味しいですか?」
もぐもぐと、海老を咀嚼するアデライーデにアルヘルムは返事を待っているが、ドキドキして味なんてわからない…。
「美味しいです…」
やっと飲み込んだアデライーデがそう答えると、アルヘルムは破顔する。
「そうでしょう! ここの店は海老料理が自慢でね。茹で加減が絶妙なんです。貴女も気に入ってくれてよかった。庶民はよくこうやって海老を食べているんです」
そう言うと海老を剥きだしてパクパクと食べ始めた。
--アルヘルム様の『あれ』はここでは普通なのかしら…それとも特別?いや…日本人はあまりしないけど、外国人はスキンシップ多いし距離近いって聞くけど…慣れなきゃ心臓が保たないわ…
結婚後、急に近くなったアルヘルムとの距離に未だになれない陽子さんが、この世界では『あれ』が当たり前と気が付くのは、いつになるのであろうか。
陽子さんは気を取り直して海老を剥いて口にすると、海老料理が自慢というだけあってしっとりとした茹で加減で海老の甘みと塩加減がちょうど良い。
添えてある塩やレモン、カイエンヌペッパーをパラパラとかけて頂くとそれだけで美味しい。
蟹は人を無口にするが、海老は人を饒舌にするのか、城を離れ変装している気安さからか、王様でいる時よりも随分饒舌に話を始めた。
アルヘルムは、ここに王子時代からちょくちょくお忍びで来ていたと言う。
最初は寂れた漁村で野営したとか、灯台を設置してから外国の船がたまに寄るようになって街が栄えだしたとか、難破船が来たのをタクシスとこっそり見に来て叱られたとか楽しそうに話している。
この店も最初は漁師の女将さんが教会建設の人足相手に始めた店で、立派な建物にしたのはつい最近らしい。頼めば今もこうやって茹でた海老だけ出してくれるいい店だと店自慢を始めた。
その顔を見るとフィリップに似ているなぁ、あ、フィリップがアルヘルム様に似ているのかと思いながら話も聞いていたら、いつの間にか海老は二人のお腹に収まっていた。
まぁ、その大半はアルヘルムのお腹に収まったようだが。
フィンガーボールで指を洗いお茶を飲んでから、窓から見えた広場に向かった。手押し車が店になるらしく教会の横の広場では思い思いの店があった。
肉や魚の串焼き屋やパン屋、搾りたてのジュースのお店と食べ物の店が1番多く、次いで花屋が軒を連ねていた。船員たちのお土産だろうか所々に蜂蜜のお店があり蜂蜜の瓶と蜂蜜酒が置いてあってなかなか盛況のようだ。
「何か買いたいものでもありますか」
「そうですねぇ、まずは一通り見てみたいです」
「……。全部見るのかい?」
「もちろんです!」
新婚2日目の健全な昼下りは、まだ始まったばかりだ。
遅くなってすいません。
休日出勤が響いてました。




