67 サイドサドルと速足
「え? 馬で行くのですか?」
翌日の朝食の席で、アルヘルムに港町へのお出かけには馬で行くと告げられてアデライーデは、思わずプレーンオムレツをこぼしそうになった。
「ええ…天気も良いですし、馬車より景色を楽しめますよ」
「でも、私は馬に乗った事がありません…上手く乗れる自信ないです…」
観光地の引き馬くらいなら経験があるが、乗馬なんてしたことがない。前の馬に引かれるにしても走りだされたりしたら、絶対に止めたりできないと考えていたらアルヘルムが笑って大丈夫ですよと言った。
「私が馬を操るので、貴女は私の前で乗っているだけですよ」
「ええ…?二人乗りですか?」
「少し…狭いかな?でも、貴女は小柄ですから大丈夫ですよ」
「…」
「気持ちがいいですよ。二人乗りに慣れた馬もいますし馬なら港町はすぐです」
そう言って、アルヘルムは朝食を平らげると準備をするからと紅茶を飲むと「それでは後で」と、行ってしまった。
「マリア…どうしよう…私、馬になんて乗ったことがないわ…」
乗馬用にパニエを抜いたシンプルなグレーの上着とダークグレーのスカートのドレスに着替えてアデライーデはマリアに訴えたが、アデライーデの髪をまとめていたマリアは笑って宥めてくる。
「アルヘルム様にお任せしていればいいんですよ。アルヘルム様は乗馬の名手とお伺いしていますので、なんの心配もございませんって」
「でも…」
「さぁ、仕上がりましたよ」
乗馬用に編み込みのみつ編みを襟足に纏めたヘアスタイルにしたアデライーデに、鏡の中からマリアが励ます。
「それに素敵ではありませんか?お二人で騎乗なんて」
「そうかもしれないけど…」
自転車もあまり乗ったことがなく、お世辞にも運動神経が良いとは言えない陽子さんには不安しかない。
「そんな顔をされないで…初めは慣れないかもしれないですがきっと楽しいですわ」
「ええ…」
--港町に行きたいと言ったのは私だし、楽しみにしていたけどまさか二人乗りで馬で行くなんて…
なんでこんな事にと戸惑っていたが、迎えに来たナッサウ侍従長に連れられマリアと一緒に厩舎に行くと、二人乗り用の鞍を付けられた白馬を引いてアルヘルムが待っていた。
焦げ茶のジャケットと乗馬用の黒の長いロングブーツを着こなしているアルヘルムは、いかにも馬に乗りなれていると言った風情だった。
--さすがに慣れている感じ…それにとても良くお似合いだわ…
騎士が4人、騎乗して側に待機している。
「お待たせいたしました…」
「騎乗のドレスも良くお似合いだ。大変に可愛らしい」
「ありがとうございます…」
アルヘルムはそう言うとアデライーデの手を取り手袋の上に軽くキスをする。
--アルヘルム様!キスが多いです!
アデライーデが目を見開いて抗議すると、アルヘルムは「騎乗前のご挨拶ですよ」と笑う。
「さぁ、お乗せしましょう」とアルヘルムが言うと馬丁が足台を持ってきた。アデライーデは足台に乗ったがどう乗ればいいか分からずにいると、アルヘルムが馬に乗ってからアデライーデの腰を持ってひょいと横向きに馬に乗せた。
--ひゃあ〜
声にならない叫びをあげるが、周りの馬丁や騎士達は微笑ましく見ている。マリアに至っては羨望の眼差しだ…
「そうそう、右足を上のサドルにかけて…左足は鐙に…」アルヘルムはアデライーデが落ちないようにしっかり腰を持っているがそれが余計に緊張を誘う。
--た…高いわ。それにそんなにしっかり腰を持たないでぇ。いや…持ってくれてないと不安定だけど…
アワアワしながらなんとかサドルに右足をかけると馬丁が失礼いたしますと言って、鐙の長さがアデライーデの左足にちょうど良くなるように調整していると聞き慣れた声が聞こえた。
「父上!遠乗りに行かれるのですか?」
はぁはぁと息を弾ませ、フィリップが馬場の柵を開けて駆けてきた。
後ろから乗馬の指南役だろうか、騎士が一人歩いてきている。
「あぁ、アデライーデ様を港町にお連れしようと思ってな」
「アデライーデ様と行かれるのですか? 私も一緒に連れて行って下さい! 遠乗りできるようになったのです!」
フィリップはあれから乗馬を頑張り、少しだが城外を走れるようになってきていたのだ。
「ご一緒されま…」
「フィリップ。また今度連れて行ってやろう」
そう言ってアルヘルムは、馬をすすめた。
「父上!アデライーデ様!」
フィリップは、遅れてきた騎士に捕まってなにか耳打ちされているようだ。
「よろしいのですか?」
「………いいのですよ。また今度連れて行ってやろうと思います」
「フィリップ様!お土産買ってきますね!」
アデライーデはそう声をかけたが、馬上からでもフィリップがしょんぼりしているのがわかるくらいだった。
「お父様と遠乗りされたかったのですね……ちょっと可哀相かも…しょんぼりされてましたわ」
「………」
--かわいそうなのは私だと思うが…
いくらフィリップ達とも仲良くしたいと言われていても、いくら白い結婚でも新婚2日目で子供を交えての遠乗りはないのではないかと思う。自分は男性として見られていないのか?なんとも言えない複雑な気持ちになり、つい馬を速歩にさせてしまった。
「早いです!早いですわ」
馬が常歩から 速歩になり、驚いたアデライーデはアルヘルムにしがみついて抗議する。
「早く港町に、行きたくないですか?少し急ぎましょうか?」
「急がなくとも…」
「しっかり掴まっていてください。そうすればすぐに慣れますよ」
「慣れなくていいですぅ」
しっかりしがみついて抗議するアデライーデを見て、アルヘルムは常歩に戻しアデライーデの顔をのぞき込んだ。
ちょっと涙目になっているアデライーデに「急ぎすぎましたね。申し訳ない」と詫びると、「ゆっくり行きましょう。これからまだ時間はありますから」と、アデライーデの肩を抱いて港町を目指した。




