61 ローストビーフとヨークシャープディング
ウェディングドレスの調整から婚儀の前日まではあっという間だった。
朝夕の庭園の散策時に、時々フィリップと会い短い時間だが仲良く話ができるようになり、陽子さんは胸をなでおろしていた。
ウェディングドレス調整の翌日、ヨハン・ベックからバルク国への引き渡しが終わった持参品の目録をお渡ししたいと先触れがあり、午後にヨハンの訪問を受けた。
目録に目を通すと思っていたより多くの品と量に驚いたが、ヨハン曰く「嫁がれる皇女様がお持ちになる普通の量」らしい。
--そう言えば、10台位の荷車が輿入れの時について来ていたわね。
昔、嫁入りには箪笥3棹っておばあちゃんが言っていたけど、そんな感覚なのかしら…。
彼の名前は手紙を渡してもいいリストにあったので、午前中に陛下たちに宛てて書いた手紙を託した。
陛下への手紙には、結婚を整えてくれたお礼とアルヘルムはアデライーデに王宮住まいを勧めてくれているが、アデライーデ自身が穏やかな暮らしを望んでいるので、離宮住まいをするのを許して欲しいとしたためた。
皇后への手紙には、ウェディングドレスと両陛下の贈り物のお礼とバルク国の皆に良くしてもらっている事、食事も大変気に入りここでの生活が楽しみだとしたためている。
そして、皇后に言われたとおりに「いただいた手袋は大切にしますとお伝えください」と告げた。
ヨハンは「贈られた皇后様もお聞きすれば、お喜びになりますでしょう」とにこやかに応じたが、彼がこの伝言の意味を知っているかどうかは表情からは読み取れない。
ヨハンは預かった手紙を侍従の一人に持たせると、コホンと咳払いを1つして「婚儀の当日は僭越ではございますが、私がアデライーデ様を陛下の名代としてエスコートさせていただきたく存じます」と恭しくお辞儀をした。
「はい、よろしくお願いします」
「お許しいただき光栄に存じます。若輩ものですが精一杯努めさせていただきます。それでは当日控室にお迎えに上がりますので、失礼いたします…」
柔らかな笑顔を向けて退出の挨拶をしヨハンが侍従と共に下がって行くと、ヨハンと入れ替わるようにして、マイヤー夫人とナッサウ侍従長からの先触れがあった。
その後、数日に渡りマイヤー夫人やナッサウ侍従長から、婚儀は王宮内の王族専用の教会で王族のみの出席であげる事や婚儀の後のパレードやお披露目のパーティの事などの説明を受けた。
基本的にすべての準備はバルク国側でし、当日アデライーデは介添え役のマイヤー夫人の案内に従っていればいいらしい。
気がつけば婚儀の前日となり、久しぶりにアルヘルムからランチの誘いがあった。
いつもの様に庭園でのランチでグラスを合わせる。
蜂蜜酒が東屋のカーテンから入る柔らかな日差しを受け、金色にキラキラする。
「先日ウェディングドレスが届けられたと聞きましたが、仕上がりは満足のいくものでしたか?」
アルヘルムは蜂蜜酒に口につけ、アデライーデに微笑んだ。
「ええ、マダム・シュナイダーですから。とても満足をしていますわ」
そう言うと、給仕がサーブするスープに口をつけた。タイのあら汁に似た澄んだスープにアスパラガスの穂先があしらってあった。懐かしい味だ。
「そのウェディングドレスは、皇后陛下のものを譲り受けたとお聞きしました。素晴らしいものなのでしょうね」
「ええ、とても素晴らしいもので…私も譲っていただけると聞いてびっくりしましたの。デザイナーはマダム・シュナイダーですのよ。マダムのドレスは素晴らしいですわ。今回は私用に少しリメイクしていただきましたの」
ドレスの話がひとしきり終わる頃には、サラダが運ばれてきた。一口大の丸いポテトサラダに香草と小さく刻んだ四角い人参が散らされ、シーザードレッシングが朝露のようにかかっている。
「あの小柄な老婦人が…」
「お会いになったのですか?」
「ドレスのチェックと言う事で挨拶を受けましたが……皇后陛下のデザイナーとは気が付きませんでした」
「今はドレスのデザイナーは引退されてお孫さんにメゾンを譲られたそうなのですが、ベビー服と子供服のメゾンを新たに立ち上げたそうですの」
「あのお年で?それはすごいな…」
感心したように言うアルヘルムに、陽子さんは心の中で同意した。
--アルヘルム様の驚きはわかるわ…親より上の年のご婦人が、60の今から会社立ち上げようとしているようなものですもんね。
「あの、もしよろしければお子様達に贈り物をしたいのですが…」
「贈り物ですか?」
「ええ、アルヘルム様のお許しがあれば、せっかく帝国からマダムが来ているのですから、この機会に子供服を作っていただこうかと」
「それは子供達も喜びましょう。皇后陛下のデザイナーに仕立ててもらえる機会はほとんどありませんからね」
アルヘルムが微笑んでくれたのでホッとした。
フィリップの件でテレサが気を病んでいないか気になっていた。
再度ご挨拶をと言えば、フィリップの件を蒸し返しそうになるので挨拶をとは言えなかったが、子供服の贈り物であればこちらが気にしていないと受け取ってもらえるはずと思ったのだ。
1つ肩の荷がおりたところで、メインのローストビーフがやってきた。付け合せにはヨークシャープディングとグリーンピースとズッキーニが添えられている。
給仕がグレービーソースをたっぷりかけてくれ、肉厚に切られた柔らかいローストビーフの肉汁と一緒に口の中に混じり合った味は絶妙だった。ヨークシャープディングはもちもちとして、前世のふわふわタイプとはまた違った美味しさだ。
軽めの赤ワインともよくあって美味しく頂いていると「婚儀のあとのお話ですが」とアルヘルムが少し困惑した顔でアデライーデに話を始めた。
「今朝、皇帝陛下より祝いの書状が届きました」
「はい…」
--お祝い電報みたいなもの?
「祝いの書状と一緒に、『皇女を気遣い皇女の望むようにしてくれようとしていることを嬉しく思う。皇女は大切に扱われているようで安心した。貴国との盟約が永遠である事を望む』と別の書状が届きました。陛下は貴女の望む離宮暮らしをお認めになるようです」
--え?ちょっと待って… ヨハンに陛下へのお手紙を渡したのは確か5日くらい前だったはず…返事がくるの早すぎない??
「あの…確かに私、陛下にお手紙を書きましたが、5日ほど前で…お返事が早すぎると思うのですが…」
「伝馬を使えば、ここから2日ほどで着くことができるはずです。確か5日ほど前にヨハン・ベック殿の侍従の一人が帝国に馬で戻っています」
グラスに口をつけたあと、アルヘルムがアデライーデを見つめた。
「本当に、皇帝陛下も皇后陛下もアデライーデ様の事を大切に思ってらっしゃるのですね」
「はい…。ありがたい事です」
アデライーデが両陛下を思って言葉をつまらせているのを見て、アルヘルムはしばらく間を置いてから話しかけた。
「貴女の住む離宮の事ですが、2つほど候補があります」
「2つ…」
「警護の関係とあまり遠くだと要らぬ噂が立つため、両方とも馬車で1時間、馬で30分程度の距離です」
「1つは山の方。森の中の離宮で夏の避暑地に使っています。もう1つは海に近い湖の近く離宮で、引退した先王が余生を過ごす離宮です」
「海の近くに離宮があるのですか?」
「ええ、いつかご案内しようとお約束した港町の近くです。少し海から離れていますが2階の部屋からは海が見えますよ」
アデライーデが目を輝かせたのを見て、アルヘルムは「そちらにいたしましょうか」と勧めてみた。
「ええ!是非」
遥かに年上の自分と対等に話し、公の場での突然の出来事にも冷静な判断を下せるアデライーデでも、年なりの表情をするのだとアルヘルムは少し安心した。
「お住みになる為に少し改修をするので1月程後となりますがよろしいか?」
「もちろんですわ! アルヘルム様ありがとうございます!」
自分と別居するのを喜ばれるのは微妙な気持ちになる…
例えそれが最善の選択だとしても。




