60 木箱とサイドボード
「アデライーデ様。お美しいですわ」
「本当に」
「言葉がありませんわ」
「お美しい…」
マリアとメイドさん達に絶賛され、アデライーデはマダム・シュナイダーにウェディングドレスの最終調整をしてもらっている。
マダムは相変わらずパワフルで、連れてきたお針子に指示を出している。本当は昨日にも調整はできたらしいが、ヨハンに止められたらしい。
「失礼でございましょう?気遣いと年寄り扱いは別ですのに!」とぷんぷん怒っていた。
「でも、道中辛くありませんでしたか?私も長旅で結構お尻が痛かったのですが…」
「まぁ!アデライーデ様まで!大丈夫でございますよ。私の馬車は特別仕立てなのですから」と鼻息荒くピンを打つ。
怒りで手元が狂わないか、ちょっと怖い。
お針子の一人が「マダムの馬車は厚みを倍にしたベッドとクッションが入っている特製のものです。どんな悪路でも快適に寝ながら移動できるのです」と小声で教えてくれた。
寝ながらの移動なら腰には負担が少ないかもしれない。
「さぁ!侍女殿。鏡をこちらに」
マダムに言われてマリアが持ってきた鏡の中には、美しいウェディングドレスを纏ったアデライーデが立っている。
ドレスは一分の隙もなくアデライーデの身体にぴったりだった。
「こちらのドレスは、皇后様のご婚儀のドレスでございました」
「ええ、お聞きしたわ。マダムがドレスをデザインされたのでしょう?」
「はい、元々は胸元がもう少し広くフリルで縁取られていたデザインでお袖も7分丈パフスリーブでしたが、陛下が肌は極力隠すべしとハイネックで長袖のデザインをご希望されましてね」
「でも、これはハイネックではありませんね」
「ええ、皇后様がハイネックだとネックレスが映えないじゃないかと大反対されてまして…袖は長袖にしましたが、胸もとはベールと同じ帝国の国花である桔梗の花の刺繍を施したレースで飾らせていただきました。もちろん取り外せます」
背中のラインのチェックが済んだ鏡の中のマダムと目があった。
「世の父親というものは、そんな物でございます」
マダムはそう言うとウィンクをした。
アデライーデは可笑しそうに笑う。どんな会話があったか想像に難くない。
マダムがパンパンと軽く手を打つと、前回ダンスを踊った背の高いお針子がハンガーラックから黒い元帥服を手にとり着用してアデライーデの側に立つ。
アルヘルムの身長に合わせているのだろう前回より少し踵の高い靴を履いて、黒髪をうしろで1つにまとめると涼やかな目元の美青年と言ってもおかしくない。
「まぁぁぁぁ〜」
黄色い声がメイド達からあがる。宝塚的な…
「お式では国王様は、黒い服をお召しと聞いております。お針子の腕に手を回していただけますか?そして少し歩いていだだけますでしょうか」
マダムにそう言われ2人で室内を何度も往復した。マダムはその度に立ち位置を変え鋭くドレスの動きをチェックして裾や襟を細かく調整していく。
何回歩き回ったか…やっとマダムの納得の調整ができたようで、ドレスを着換えた時には喉がカラカラになっていた。
前回と同じようにお針子が仕上げる間、マダムとお茶の時間になったので、アデライーデはマダムに尋ねた。
「マダム、そう言えば引退されていたのでは?」
「ええ、でもアフターメンテナンスは今もしておりますわ」
そう言ってにっこり笑うマダムだが、これはアフターメンテナンスと言うより、リメイクでの新作の依頼ではないのかしら?とアデライーデは疑問に思っていたが、マダムの守備範囲は広いのだと思うようにした。
聞けば子供服のメゾンも中々の評判らしく、ドレスのデザイナーを引退しても忙しさは変わらないらしい。
そんな中、わざわざバルク国まで来てもらって申し訳なく思っていると、アデライーデの表情を読んだのか「ご心配には及びませんわ。これを機にバルク国で新規顧客開拓をいたします。皇后様と皇女様2代続けてのデザイナーの肩書を得られましたので…」といい笑顔で答えられた。
さすがマダムである…
長年の帝国御用達は伊達ではない。
その後、マダムの厳しい仕上がりチェックを終える頃には夕方になってしまっていた。疲労困憊のアデライーデとは反対にマダムは、満足げに別れの挨拶をする。
「私達は陛下より当日まで滞在し、対応をと仰せつかっておりますので、何かございましたらヨハン殿にご連絡くださいませ」
「マダムはどちらにご滞在ですの?」
「城下のホテルに滞在しております。市場調査いたしておりますがお呼びくださればすぐにかけつけますわ」
タフである。
その日マリアと一緒に夕食を済ませ、食後の紅茶を居間のソファでマリアと二人だけでとっている時に木箱の話を打ち明けた。
「マリア。あの木箱ね、その…初夜の指南書だったの」
「……やはり、そうでございましたか」
「え?知っていたの?」
「私は見た事はありませんが、侍女の先輩から聞いたことはございます。嫁ぐ高位貴族のご令嬢は持たされるようでございますね」
マリアもちょっと顔を赤くして紅茶をかき回しながら答えた。
「箱に出産の女神の絵がございましたし、多産のシンボルのザクロの飾りがございましたから…中身はそのようなものかと…」
「マリアも…その…そう言う教育を受けたの?」
「いいえ!私達のようなものは…その…色々先輩から話を聞きます。あ。でも、アデライーデ様にお話する様な内容ではございません!」
マリアは恥ずかしいのか、先手を打たれて聞くなと予防線を張られてしまった。
「大丈夫よ!聞かないから!」知っているし…とは言えない。
「多分メイド達も、あの箱を見ても何も触れないと思いますわ。寝室に保管されるものと聞いておりますので…その…置いておけばいつでもご覧になれますよ」
「そ…そうなの…じゃ…そうしてもらうわ」
こうして微妙な食後のお茶は終わり、前日の夜ふかしと今日のウェディングドレスのチェックで疲れていたせいかベッドに入るとすぐに意識を手放した。
翌日アデライーデが目覚めた時には、木箱はずっとそこにあったかのように寝室のサイドボードの上に鎮座していた。




