58 秘密の木箱
「アデライーデ様、こちらでよろしいのですか?」
カートの下にあった木箱は、下ろしてみるとそれ程重いものではなかった。
ふかふかの絨毯だと押し始めがとても重いだけで、居間から寝室迄だとマリアでも運べる重さのようだ。
--皇后様がわざわざ一人で見てとこっそり伝言するくらいだから、一人で見た方が良いわよね。何かしら… 嫁に出す娘に持たせるもの…。うーん。へそくり的な現金?いや、あれだけ宝飾品を贈られているからそれはないわよね。
中身が何か全然見当がつかないが、確認するまでマリアにも言えない。
マリアには詳しい事は明日話すからと、メイドさん達が来るまでにとりあえず寝室のベッドの横に隠してもらった。
夕食後、いつもの様にワインを用意して貰いベッドの横から木箱を暖炉の前に引っ張り出した。
木箱の上には女神が赤子を抱いている絵が描かれていて箱の縁は金属の飾りがついている美しい箱だ。
箱の前には彫刻が施された錠前がついている。
--そうだ。小箱をもらったわ
急いでチェストから小箱をとって来て開けると、1枚の薄い紙に皇后の筆跡で「背中」と書かれていた。
紙の下には紅桔梗色のリボンが付いた小さな鍵があった。
鍵を取り出し錠前に差し込んで回すが、くるくる回るばかりで錠前は開かない…。
--おかしいわ。壊れているのかしら…。でも皇后様の贈り物が、壊れているなんてありえないわ。
錠前をかちゃかちゃしても、蓋はぴったりと締り開きそうにない。
--そうだわ!紙に書いてあった背中って錠前の後ろかも!
しかし、錠前をひっくり返しても鍵が入りそうな穴は無い。
背中背中…とぶつぶつ言いながら、箱の後ろを調べるが鍵穴のようなものはない。
--でも、錠前の後ろじゃなきゃ箱の後ろしかないわよね…
箱の後ろにはザクロの木の下に立つ貴婦人が、ザクロの実を取ろうとしている絵が描かれている。
よく見ると、縁の金属の四隅の飾りはザクロの実がデザインされている。
「あ! 動くわ」
上部の左右の飾り彫りのザクロを触ると動かせる事に気がついた陽子さんが、ザクロを動かすと鍵穴が見えた。
カチリ…
カチリ…
左右の鍵穴に鍵を差し込み鍵を回すと、箱の背面の板が手前にぱかんと開いた。
「開いたわ!」
すごいわ!カラクリ細工の箱なのね。前の錠前はおとりなんだわ。
箱の中身を覗いてみると中には何冊もの本やノートが入っている。
手前には、「アデライーデへ」と皇后の字で書かれた封筒があった。
帝国の紋章の押された封蝋を解く。
ーー
私達の娘 アデライーデへ
ちゃんと一人で見ているかしら。
もし、誰かと一緒にこの箱を開けたのなら本の後ろに隠してある黒い背表紙のノートは気付かれないようにして直ぐに燃やしてしまってね。
そしてヨハンに、「手袋は成人したら使う」と言ってちょうだい。
すぐに新しいものを用意させるわ。
一人で見ているのなら、「手袋は大切に使う」と伝えてね。
あとの本は私が実家から贈られた本なの。
もしかしたら貴女には必要が無い事かもしれないけど、急に必要になるかもしれないから貴女に贈るわ。
侍女には本の事なら教えてもいいわ。あとは侍女が上手くしてくれると思うから。
この手紙も読んだら燃やしてね。
貴女の幸せを願って。
貴女の母 ローザリンデより
ーー
手紙を読んで、すぐに中の本をどけると奥から黒い背表紙の薄いノートが出てきた。
ノートを持って椅子に座り、数ページを読むと陽子さんは国外に嫁ぐ皇女達を思う皇帝達の思いの深さと、アデライーデの特別な立場に言葉が出なかった。
そのノートに書かれていたのは、非常事態時の対応リストと暗号表だった。
帝国からの緊急の使者が名乗る名前。
アデライーデが手紙を渡して良い者が共通で名のる名前。
反帝国勢力からの暗殺者がアデライーデに向かっている時の手紙の話題。
救出部隊が向かっている時の話題。
脱出指示の時の話題。
そしてバルク国がアデライーデを暗殺しようとしているときの話題。
それらの話題が暗号として、皇后から皇女への何気ない普通の手紙として送られると記されてあった。
--それは、一人で読めと言うわね。こんな事マリアにも言えないわ。
でも、これは保険なのよね。日本とは違う世界なんだもの。非常事態にどう連絡を取るか想定して備えるのは王族として当たり前か…
陽子さんはワインを並々とグラスに注ぐと、ワインを飲み干した。
ページを読みすすめると、帝国内の要注意人物の名前が記されてあった。輿入れのお披露目の夜に皇后から名前を聞いた貴族の名前も記されている。
最後に非常事態の時はノートを燃やす事とバルク国は、今のところ帝国に好意的で安全だと記されてあった。
--今のところってとこが微妙だけど…用心しろってことね。
この暗号表が役に立たない事を、願うだけだわ。
なんとも言えない気持ちで、陽子さんはローザリンデからの手紙を暖炉に焚べた。
黒いノートを箱の後ろにしまうと、手前にあった本を手に取った。
--ご実家から贈られた本って書いてあったわね。
表示に「1」と書かれている本を手に取ってソファに座り、ワインを飲んでページをめくると、書いてあるタイトルを見て思わず「ぶふぉ」っと吹き出した!
初夜を迎えるにあたって。
「こ…こ…これは〜」
そう…閨の指南書である。




