56 王と侍従長
それでは……と、
アデライーデは晩餐を済ませて晩餐室を出て行った。
アデライーデを見送り、アルヘルムは晩餐室にひとり残り、自席につくとナッサウがグラスを取り出しワインを注ぐ。
注がれたワインに口をつけることなく、晩餐時のアデライーデの申し出を心の中で反芻していた。
グラスを眺めていると、食器を載せたカートを廊下の給仕長に渡しナッサウがアルヘルムのそばに控えた。
「アルヘルム様、してやられましたな」
ナッサウは、アルヘルムにそう言うとおかしそうに笑った。
「やられたとは?」
「まるで先代の王妃様に諭されているようでございました」
ナッサウは懐かしむようにそう言うと、アデライーデの出ていった扉を見つめた。
「帝国の皇女様と言うのはああいうものなのか。あれが当たり前と言うなら我が国はいつまで経っても小国かもしれん」
アルヘルムはグラスを手に取り、ワインを飲んだ。今日の晩餐は食べた気がしない。
「あのお方は特別なのだと思いますが…。先代様よりお仕えし他国の王族のお方も拝見させて頂きましたが、あのお年であの落ち着き。周りを見てのご判断、身の振り方の交渉も素晴らしいと思いますな」
先程のアルヘルムたちの会話を思い出しながら、ナッサウはしみじみと言った。
「アルヘルム様の弱みを握った上で魅力的な条件の提示。いやはや老練なと思います。いや、お若い貴婦人に老練なとは失礼でございますな」
ナッサウは、笑いを噛み殺して言葉を正した。
「弱み?」
アルヘルムはピクリと眉を動かしてワインを飲む。
「テレサ様のことでございますよ。誰になんと言われても第2夫人を召されなかったアルヘルム様が、それでも国の為にと皇女様のお迎えをお決めになったのちもテレサ様の処遇を決めかねられておられました」
「……」
子供の頃から仕えているナッサウには、お見通しだったらしい。
アルヘルムの此度の輿入れでの1番の悩みは、テレサの処遇の事だった。
第2夫人は離宮暮らしが普通である。だが長く共に暮らした王宮を出て行かせるのは忍びなかった。
「アデライーデ様のお申し出で、後継のご懸念も無くなるのではないですか?」
「………」
空になったアルヘルムのグラスにワインを注ぎながら、ナッサウは続けた。
「貴族の中にも第2夫人や妾を持つものは多うございますが、ご婦人方同士で仲良くしようという話はなかなか聞きませんな。まして他の方のお子様を尊重しその為に子を持たぬという話は皆無です」
「そうだな、必要なら養子にすれば良いと言われた時には耳を疑った。女性は子を持ちたがると思っていたのだが…」
結婚した女性貴族に求められるのは跡取りを産むことだ。最低限男子を2人と女子を1人。家の存続のためにできるだけ早く3人は産むことを求められる。
グラスを見つめアルヘルムは、先程のことを思い出していた。
離宮暮らしで子は持たぬ。そしてテレサ達と適度な距離で付き合いたい…。
気位の高い婦人なら第2夫人はもちろんの事、自分の子のために他の子供たちを排除しようとしてもおかしくない。アデライーデの申し出は貴族社会では考えられない事だ。
「ナッサウは、アデライーデ様の言葉をどう思う」
「……ご本心かと思います。離宮での穏やかな暮らしをと言うのは、今までのお暮らしをお望みなのでは?」
先代に仕えていた時から重要な会議や晩餐などに必ず控えていたナッサウは、タクシスと共にアルヘルムの貴重な相談相手だ。相手の挙動ひとつ見逃さない。
そのナッサウが、相手の言葉をそのまま受け取って良いと言うのは珍しい事だった。
「あのようなお方が、政治や後継の事など表向きの事に関心を持たれない事は皆様にとっても良い事だと思います。お望み通りお静かな暮らしをされ、皆様と良い関係を結ばれる事が国の為かと…」
「お前も、アデライーデ様の申し出が1番と言う事か…」
「はい」
「年齢で言えば、フィリップの妃として迎えた方が良かったかもしれんな」
「それは、無理でございましょう」
「無理か? 仲良くしていたときいているが…」
「お父上を圧倒し凌駕する方をフィリップ様に…と言うのは酷でございます」
呆気に取られているアルヘルムに、ナッサウは大真面目にそう言った。




