55 申し出
「アデライーデ様、昨日はフィリップが貴女を連れ回したようで…重ね重ね申し訳ありません」
翌日の晩餐の席でアデライーデを迎えたアルヘルムは、すぐさまアデライーデにお詫びをした。
「いえ、私の方こそフィリップ様のお勉強のお邪魔をしてしまい、配慮が足りませんでしたわ。どうぞフィリップ様を叱らないでいただけますか?私に誘われて断れなかったのだと思います」
昨晩マイヤー夫人からフィリップのことを聞き、また何かやったのかと肝を冷やしたが、マイヤー夫人の「お二人はまるで姉弟の様に庭園と厩舎を散策されておりました」との報告に一応は安堵した。
が、先日の事もある。確かめなくてと時間をやりくりして晩餐に誘ったのだ。
アデライーデの言葉に、アルヘルムはホッとした。続けざまにフィリップには心配させられる。
「しかし、フィリップには先を越されました」
「はい?」
「庭園をご案内する役目です。厩舎にまで連れて行かれたと聞いています」
「そうですね。新しい馬や初めて乗ったポニーを紹介してくれましたわ」
「馬の紹介ですか?」
ふたりは笑いながら席につくと晩餐を始めた。
人参のポタージュは、昨日の馬にかけているわけじゃないわよねと味わっているとアルヘルムが同じことを考えていたのか、ポタージュを見てくすりと笑い出した。
「昨日、フィリップはアデライーデ様に励まされたのが嬉しかったようで午後の乗馬の稽古はいつもより張り切っていたようです」
「良かったですわ…褒められれば子供は頑張りますもの。そう言えばお聞きしたいというかお願いしたい事がございます」
アルヘルムは、ドキリとして食事の手を止めた。
「なんでしょうか」
「お聞きしたい事は…私は何か学ぶ事がありますか? お妃教育とか…」
「帝国の皇女様にお教えする事はないかと…寧ろこちらの方がご教示いただきたいくらいですが…」
「この国にはこの国のしきたりみたいなものがあるのではないですか?」
「確かにあるにはありますが…」
「もしよろしければ、そういうものを学んでおこうかと思います」
「それは…この国の正妃として…ですか?」
「いえ、ここでの生活の為ですわ」
シーフードが散りばめられたサラダをつつきながらアデライーデは、にっこり笑った。
「生活の為?ですか?」
「ええ、だって王妃様はテレサ様がいらっしゃるではないですか」
「……テレサが王妃でも正妃はアデライーデ様ですが…」
「正妃はお飾りで良いのではないですか?」
「は?」
「アルヘルム様にはすでに立派なご家庭があるではないですか。子供も3人。跡取りも2人いるし、これから数人は生まれるでしょう。私が割り込む必要性は無いと思いますが」
ナッサウ侍従長がサーブする焦げたバターの香り高いスズキのソテーを、口にしながらアデライーデはそう言った。
いつの間にか給仕たちは下がり、ナッサウが全てを取り仕切っている。
「政略結婚と言うのは、お互いの国や家の結びつきを深めるためのものですよね。この輿入れにより帝国とバルク国は結びつきます。私とアルヘルム様のご家族が仲違いせず仲良く過ごす。それが国と国との仲を強くすると思いますの。私に子はなくともこの国で穏やかに過ごしているのであれば、それは帝国との強い結びつきだと思うのです」
「………」
アルヘルムはアデライーデの意図がわからず、皿の半分も口にせず下げさせた。
「私の子が必要であれば、テレサ様とフィリップ王子が同意してくだされば養子という形を取って、私の子ということにもできますわ」
「しかし、皇帝はそれを良しと思われますでしょうか…」
「お父様からは穏やかに暮らせ、幸せになれと言われましたが立派な王妃になれとは一言も言われませんでしたわ… 仮に私に子供が出来ればそれはこの国の争いの元となるでしょう?」
陽子さんは確信していた。決して陛下も皇后様もアデライーデに権力闘争に明け暮れるような生き方を望んでいないと。それはきっとひっそりと暮らしてきたアデライーデも同じだと。
「……」
「アルヘルム様、確約が必要ですか?」
「必要であれば、お父様になにがしかの文書を私が求めますわ」
「アデライーデ様…お話をお伺いして私やテレサ、フィリップにとっては願ってもないことですがアデライーデ様にとっては何も利益が無いように思いますが…」
「ございますよ」
アデライーデは笑って、ナッサウのサーブしたワインを口にした。
「穏やかな生活ですわ… 私は誰かと姸を競ったりアルヘルム様の寵愛をテレサ様と争う気はございません。まして子供たちを泣かせたり不安がらせる事も望みません」
アデライーデの立場では普通の庶民の感覚は見当違いかもしれない。
でも、間違っていない。
「そして、お願いなのですが…」
アルヘルムは、アデライーデを見つめた。
「出来れば離宮で暮らしたいのですが…」
「いや、しかし…正妃が王宮で暮らさぬとはなんと言われるか」
「体が弱いから静養させる為に離宮暮らしをしているとでも…なんでもいいと思うのです。それなりの理由があれば。私が一緒に暮らせば、横からいらぬことを言う者も出るでしょうし。何よりテレサ様がご心配されるでしょう?適度な距離をもって、たまに会う程度でいたほうがお互い良い関係を築けると思うのです」
「……」
「直ぐにお返事をとは申しません。でもお互い知り合ったばかり…婚儀はすぐですが、無理に夫婦になる必要はないと思いますの。政略結婚ですもの。婚姻するだけでもお互い十分に役目は果たしているはずですわ」
「確かに…おっしゃる通りです。アデライーデ様とは成人まで白い結婚をとなっていますが、それでは…」
「白い結婚? あぁ、そうですね。私は成人前でしたわね」
「アデライーデ様?」
「それも良い口実ですわね。幼いのでゆっくりバルク国に馴染むために…と言うのも離宮で暮らす良い口実ですわ」
ふふっと、笑うアデライーデをアルヘルムはただ見ていた。
「フィリップ王子を見ていると、アルヘルム様とテレサ様は良いご夫婦だと思いましたのよ。お父様に憧れているしお母様の事も大好きだと言うのがよくわかります。子供が幸せと思える環境で育つのが1番ですわ…」
「アデライーデ様…貴女は一体…」
アルヘルムの呟きは誰にも聞こえなかった。




